3ー5 ラングイット5
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朝早くに邸を出てからソフィアに連れてこられた場所は、王都の中央付近にある白い壁の建物がよく見える広場の前だった。そして俺とソフィアは、家紋のついていない馬車の中で小一時間建物の回りの様子を見ている。
先ほど、二人で馬車に乗るときにソフィアは信じ難い行き先を御者に告げた。
「フェルーナ様の職場に向かってくれる?」
「は?職場だって?フェルーナは仕事をしているのか?」
「···そこから教えないといけない訳?結婚してから今まで、フェルーナ様が毎日何をしていたのかも知らなかったの?」
ソフィアは、この世の者とは思えないと言いたげな鋭い視線を俺に向けた。
馬車が、フェルーナの職場だという場所まで来ると方向転換して反対側の道で馬車を停めるようにとソフィアが伝える。そして、馬車は一度迂回してきてから反対側の道の端に停まった。
「あの建物は、フェルーナ様の商会なの。一階は薬を売っている店と薬草の研究室、2階では薬と化粧品などを作っているらしいわ。3階が事務所で、4階は商談室、最上階は仮眠室って言っていたと思う」
それから、ソフィアにオペラグラスを渡されると、馬車の中からそれを使って建物を見続けているのだ。
「···あっ!ちょっと待ってて!」
突然声を挙げると、ソフィアは急いで馬車を降りフェルーナの商会の建物を目指して駆け出した。
しばらくすると、彼女はまた走ってこちらに向かってくる。
そして、馬車の扉が勢いよく開かれた。
「ラングイット!降りてきて!理由は後から話すから!」
ソフィアに連れられて向かった先には、なんとなく見覚えのある顔をした一人の男が立っていた。
「ラフィル・アダルクスと申します。ソフィアさんから話を伺いました」
そう切り出した彼は、今から事務所に入室するが、ドアを少しだけ開けておくと言う。
彼女が邸を出てきた理由を、誘導して話させるのでドアの隙間から漏れ出た話を聞くだけにして欲しいという内容だ。
「その変わりに、約束をしていただきたいことがあります」
二人は絶対に声を出さない。顔を見せないこと。もし、フェルーナが事務所から出ていくときには、壁の柱の陰に隠れて姿を見せないようにすること。
「なぜ隠れなければならない?」
俺の疑問に彼は溜め息を吐いたあとで、呆れた顔で俺を睨んだ。
商会のみんなに裏切られたと思い彼女がまたどこかへ行ってしまうからだと、彼から説明された。
「貴方は、彼女の唯一の居場所をも無くすつもりですか?彼女は、ユリシーズ公爵家にて居場所がなくて辛いから出てきたのでしょう?その自分本位な考え方が彼女は嫌だったのではないでしょうか?」
腹が立った。自分のことしか考えていないと言われたのだ。殴りかかりたかったが、ソフィアが首を振りながら俺の手を強く握りしめたため、続けて彼の話を聞く羽目になった。
「そういうところです。公爵家のご子息様であろうお方が、感情を抑えられないとは···。一つだけ助言をすると、貴方が今すべきことは明確ですがなんだかわかりますか?」
「今すべきこと···彼女を連れ戻し、話し合いの席を設けることだ」
「違います。待つことですよ。フェルーナ様から手紙で戻る日を伝えられたのでしょう?でしたら、今は彼女を信じて待つことです。その後で自分の気持ちを伝えればいいのです」
彼はそう言って、ソフィアに視線を戻すと俺のことをまた馬鹿にした。
「では、参りますか!ソフィアさん頼みましたよ。彼の監視!」
階段を音を立てないように静かに登って行くと、ドアの前で彼が指をさした方へと移動する。その方向にある壁の柱の陰に一度隠れた。そして、彼は扉を開けて入室して行った。
「おはよー···あっ、フェルーナ様!昨夜はシベルク伯爵家では、夜中にてんやわんやの大騒ぎだったんだ」
「ん?どうして実家がお祭り騒ぎ?何かあったの?」
先ほどと打って変わったかのような陽気な声をだした彼の次に聞こえてきたのは、フェルーナの声。それは、初めて聞いたハツラツとした明るい声だった。そして、俺は初めて素の彼女と対面したかのような気分になった。
中で続いている会話に耳を済ます。
「···ラングイット様が夜中に訪ねてきたんだよ」
「ん?どうして?」
「フェルーナ様がいなくなったからだろ」
「いなくなった?私はラングイット様にお手紙にて帰る日時を伝えてきました――」
しばらくの間、昨夜に訪れたシベルク伯爵家の話をしていた彼は、見事に出ていった理由にまで誘導して見せた。
「それで?なんで昨日だったんだ?もう少ししてから出てくるはずじゃなかった?」
「なんとなく?」
「はぁ?」
「だって、これといった事はないのよ」
そして彼女は昨日の出来事を大まかに話した後で、本題を話し始めた。
「理由が分からないの。分からないまま流されそうで怖いのよ」
「だって、ずっと彼は冷ややかな目で私を見ていたのよ。態度も口調もそう。結婚してから一月の間いつも冷たかったのに突然急に優しくなったの。何かあったとしか考えられないわ。昨日までの彼と今日の彼が180度変わったのよ。急に一緒に寝るといいだし、優しい微笑みを向けるようになり、興味のなかった私に突然触れてくるようになったの。冷たかった瞳が急に甘い瞳に変わるなんて···。そんな彼と一緒にいる時間は苦痛でしかないから出てきたのよ。王命結婚の理由でさえユリシーズ公爵家に利用されてのことだったのに、今度は夫が私を何かに利用しようと考えているとしかおもえないわ。確かに私は彼を慕っているけど、結婚して絶望に変わった。彼との結婚生活に希望がすべて消えてしまったことで、彼との生活を捨てるための準備もしてきたのに····流されそうで怖いのよ。結婚してからずっと辛かった。立ち直るために、辛い日々の中で気持ちの整理をつけてきたのに。新たに決めた進む道を、彼の言動だけで揺らいでしまいそうで怖いから出てきたのよ」
「はぁー。フェルーナ様の気持ちをラングイット様に伝えたことはあるのか?一度二人でじっくり話した方がいいと思うぞ」
「話したところでなのよ。私はトラウマになっているから。多分、彼が何を言っても信じられない。疑うことしかできないからこそ、彼の隣には居られない」
「そうか。···ほら、元気だせ!今日は孤児院へ行く日だろう」
俺は、何も考えず彼女の言葉を聞いていた。後ろから袖を引っ張られ我に返る。ソフィアが『隠れるわよ』小さな声で呟いた。
壁の柱の陰に隠れたところでドアからフェルーナが現れた。階段を下りると商会の建物の道を隔てて隣り合う場所にある辻馬車乗り場で辻馬車に乗り込んだ。そのあと辻馬車が動き出すと、すぐに建物の陰に入り見えなくなった。
次に商会のドアが開くと、先程の彼が中から姿を現した。3人で階段を下りた後で俺は頭を下げた。
「迷惑をかけた」
彼は俺の行動に驚き目を見開いた。
「先ほどは済まなかった。色々と混乱していて、余裕がなくなっていた」
「改めて、俺はフェルーナの夫のラングイットだ。君は妻のことをよく知る人なんだな。俺は、彼女のことを何も知らなくて追い詰めることしかしていなかったようだ」
「いえ、謝るのは私の方です。伯爵様に対する礼儀や作法を怠ったのですから、罰を与えられる覚悟は出来ています。ただ、フェルーナ様とは幼い頃から一緒に育ったような間柄ですので、約15年間も一緒にいれば自ずと考えていることが分かるというか···。だからといって許される言動ではありません。出過ぎた真似をして大変申し訳ありませんでした」
「···では、罰として···これからも妻の良き友人でいることと、そうだな···俺とも友人になってもらうということで、先ほどの件は許そう」
「リグニクス伯爵様、それでは罰になりません――」
「そもそも、俺は姓を名乗っていない。ラングイットと呼んでくれラフィル」
ニタリと笑った俺はラフィルの前に手を差し出すと、彼は眉を下げガシリと手を握り返してきた。
そしてソフィアが俺を連れ、次に向った先は孤児院だった。少し離れた場所に馬車を停めると、朝と同様にオペラグラスを渡された。
ソフィアは、ここに来る前に今日一日のフェルーナの予定をラフィルから聞いていたらしい。
どうも彼女は今日一日、フェルーナの行動を俺に見せるつもりのようだ。何も知らなかったフェルーナの仕事のことを俺自身も知りたいと、いや、知らなくてはいけないと思う。
オペラグラスを覗くと、フェルーナは孤児院の子供たちとふれ合いながら優しい笑みを浮かべている。
自分たちの子供が生まれたら、こんな光景を毎日見ることができるのだろうか?そんなことを考えると、思わず口角が上がる。
後ろから、孤児院へ訪れた彼女が孤児たちとどの様に接しているのかをソフィアが熱く語りだす。
「なぜ、そんなに詳しい?」
「フェルーナ様と一日デートをとしたときに、一緒に孤児院へ連れて行ってもらったの」
その後で一度公爵邸に戻り、父上に登城に必要な書面を書いてもらうと、二人で城へ向った。
城門の前にて父上から預かった書面を見せることで、何事もなく城門を通過することができた。
「この先を右折してから馬車を停めて」
「右折?右へと進むと城と離れてしまうぞ」
小窓から御者に進行方向を伝えるソフィアにそう言うと、城に行くのではなく医務局へと向かっているという。
「医務局?」
「そうよ。医師らがいるところよ」
「フェルーナは、どこか具合でも悪くしていたのか?」
「違うわよ。仕事よ!フェルーナ様が学園で学ばれていたのは、経営学と医学なの。彼女の商会は、薬の研究と薬品などの販売が主になっているわ。改良した薬などを騎士様たちに使用してもらって経過を見ているのよ」
医務局に続く渡り廊下を歩いていると数人の騎士らが前からやってくる。手や腕などに包帯を巻いているのを見ると、医務局で治療を終えてきたのだろう。
こちらに近づいてくる彼らの話し声の中にフェルーナの名が耳に入る。
「···から···縫い合わせた場所が化膿していたって。今日は、薬を違うものに変えたんだ。彼女の手作りだって言ってたぜ」
「へぇー。フェルーナ様の手作りか。俺も欲しいな」
すれ違いざまに一人の騎士が小瓶を手に持っていた。多分、それが『フェルーナの手作りの薬』だろう。···たかが小瓶だ。そう思うが、その小瓶を手に持つ騎士に嫉妬してしまい胸がイラッとした。
医務局の一つ手前にあるドアをノックすると、黒縁の眼鏡をかけた白衣姿の若い男性がドアを開けてくれた。
「はい。どなたですか?···あれ?君は確かフェルーナ様と――」
「ソフィアです。先日はお世話に成りました。今日は、こちらを資料室に持って来るように頼まれたのです。あら?今、フェルーナ様は診察中なのですね。少しだけ邪魔にならないようにしますので、見学させていただけますか」
今朝、邸を出るときに持たされた朝食の入ったバスケット。それを彼の目の前に差し出しながら有無を聞かずに入室した。
部屋の中は小さな図書館と研究室が一緒になった感じだった。
バスケットの蓋を開き、たくさんあるので一緒に食べましょうとソフィアがニコリと笑う。
そして『お茶を淹れますので茶器をお借りしたいです』ソフィアが茶器を彼に持ってくるように話すと、彼は奥にある給湯室へと入っていった。
「ラングイット。貴方はそちらの陰から医務局の様子を見ていて。私が時間を稼ぐから」
ソフィアは棚をゆび指した後に給湯室へと入っていった。
この部屋と隣の医務局は中で繋がっていてドアがない部分に、仕切りとしてカーテンが使われていた。俺は棚の陰からカーテンを少しだけ引くと医務局の様子を覗き見た。
ここからだと、フェルーナとの距離が近いが、声が聞こえる位置ではない。
彼女は騎士の血のついた腕を拭き薬を塗ると包帯を巻くなどの行為を行なっているようだった。
少しするとソフィアと黒縁眼鏡の彼が戻ってきて、籠の中のサンドイッチを3人で食べる羽目になった。
彼は俺の事が気になるらしく、食事中に何度もこちらを見てきた。
「あら、まだ紹介していなかったわ!この人は助手なの!それより、こちらのチキンも美味しいから食べてみて!」
彼にソフィアがサンドイッチを次から次へと手渡していく。彼もまたそれを受け取ると、次から次へと口に入れた。
「あっ!フェルーナ様の分が無くなってしまったわ。仕方がないわね···医務局から帰るまでにどうにかしないと、馬車に戻るまでに用意しましょう」
ここで、3人で食べてしまったことがバレてしまったら大変だから、俺達がここにきたことを内緒にするようにと黒縁眼鏡の彼と約束をし、ソフィアと馬車へと戻った。
可哀想に、彼はソフィアの話を信じ『バレたら大変』といいながら顔を蒼白にしていた。
帰りの馬車の中で、今朝方フェルーナの気持ちを聞いてしまったことを後悔した。
本当ならば、彼女がラフィルに言った言葉は俺が直接聞かなければならなかったのだ。彼女と少しずつ良好な夫婦関係を築けていると思っていたが、そもそもそれは俺の思い過ごしだった。
心に深い傷を負った彼女は、傷を隠していたのだ。どうして、隠している傷が俺にはわからなかったのだろう。更に、原因は夫である俺だった。
仕事のことにしてもそうだ。彼女は、敵対しているユリシーズ公爵邸にいるのが嫌で、外に遊びに行っているものだとばかり思っていた。言いたくなさそうだし聞かれたくなさそうだったから、俺は何も聞かなかった。
全て間違っていた。彼女に嫌われたくなくて、踏み込めなかった。カッコ悪い自分の気持ちを知られたくなかった。
どうして?何も言ってくれなかったんだ?俺が何も彼女に伝えていないのに、彼女が俺に心を開くはずがない。
どうか、今からでも間に合いますように。どうしても、どんなことをしても、俺はフェルーナを手放すことはしてあげられないから。
そして、俺とソフィアはユリシーズ公爵邸へと一度戻ってくると学園を休んでまで一日付き合ってくれたソフィアと別邸の前で別れた。
俺の私室にあるクロークルームに入ると、恥ずかしくてまだ贈ることができなかった俺と揃いのドレスと靴、それに合わせたアクセサリーの箱を取り出した。そして、筆を執り彼女に手紙を書いた。
その後でフェルーナの私室へ入った。誰もいない彼女の私室。彼女の残り香に何度か深呼吸をし気持ちを落ち着かせると俺は部屋を後にした。
シベルク伯爵邸に付いたころには夜空に星が輝き始めていた。
今朝ラフィルが話していた中で、明日から伯爵家の侍女を商会へ連れてくると、彼が言っていた。そのときに学園に行く際のドレスをフェルーナに渡して欲しいと頼むと、二つ返事で了承してくれたのだ。
2日続けての訪問にシベルク伯爵夫妻は驚愕していたが、持ってきたドレスを見ると夫人は「フェルーナはとても気に入ると思うわ」といって、目を輝かせてくれた。
シベルク伯爵家からユリシーズ公爵邸へと戻ってくる途中、王都にある彼女の商会の前を通って帰ってきた。チラリと建物を見上げれば、一番上の最上階だけ灯りが灯されているようだった。
明後日の彼女は、ドレスを着てくれるだろうか?
邸に戻り食事を済ませると、いつものように彼女の部屋のソファーに座る。
扉のノック音に返事を返すと、執事がもじもじとした様子で俺の顔色を伺うように口を開いた。
「旦那様、遅い時間に申し訳ございません。」
「どうした?」
「明日中に終わらせなければならない書類が溜まっています」
「···分かった。執務室の机の上へ置いてくれ。明日中に終わらせる。無理をさせて悪かったな」
明日もやることが山積みだ。そうして今夜も彼女の残り香に包まれながらソファーの上で瞼を閉じた。
誤字脱字がありましたら
申し訳ございません。