第十二話:くちづける指と、穿つ杭
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ギオン・ソウジュは額の汗を拭う。月光から逃れるように闇に身を隠し、背に妹を担ぎ、荷物を持って影から影へと渡る。
──ソウジュが目覚めたそこは、島の沿岸部東側に位置する遊園地前の広場、その入口に設置された噴水の傍だった。キャラクターのオブジェと一体化したベンチに横たわり、立ち並ぶライトに照らされてソウジュは覚醒した。
すぐ隣のベンチには妹のサラも眠っていたが、何度起こそうとしてもサラは目覚めなかった。そうこうしている内に流れてきたオボロの放送を聞き終え、焦りながらもソウジュは思案し、結局妹を背負い荷物を抱えてそこから移動する事に決めたのだった。
一瞬の逡巡の後、ソウジュは遊園地の中へと足を踏み入れた。後ろに広がる大きな駐車場や幅広の道路では身を隠す場所が無いからだ。妹を背負った状態で敵に襲われたならば一巻の終わりだ。遊園地の園内なら身を潜める場所もあるに違い無いという判断だった。
予想通り、園内には多数のアトラクションや建物が並んでいる。調べたところ建物内に侵入する事は不可能だったが、それでも二人が姿を隠せる場所には事欠かなかった。ソウジュはレストランと土産物屋の間に設置されたベンチにサラを寝かせ、自らも腰を下ろして安堵の息をつく。
「サラ……」
ソウジュは眠ったままのサラの髪をそっと撫で、慈しみに満ちた声で妹の名を囁いた。
──妹であるサラと一緒だった事はソウジュにとって何物にも代え難い救いだった。ソウジュは単独でも戦えるものの、サラは一人では何も出来ない筈だ──そう、何も。もし二人が離ればなれになっていたならば、ソウジュは血眼になってサラを探し島中を駆けずり回ったことだろう。それ程に、ソウジュにとってサラは大切な、離れがたい妹だった。
「ああ、サラ。ずっと一緒だ、必ずサラと二人で生き抜いて、そしてきっと家に二人で帰ろう。その為ならどんな犠牲も厭わない」
まだ目覚めぬ妹の手を取り、ソウジュはそのしなやかな白い指にそっとくちづけた。祈るようにその名を呼び、希望という願いを、覚悟という決意を口にする。
ソウジュの瞳に危うい炎が揺れる。自分では気付かないその狂気に妹の姿を映して、ソウジュはただ愛しい存在の名を口にする。
囁きはさやかに、切なさは千々に乱れて。月光さえ届かない建物の隙間には、ただ風だけが二人を撫でるのみだった。
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「ひひひ、どうやら自分のお相手はあの術士のようですねえ。ひひ」
白衣を着た痩せぎすの男──ヒラガが不気味な声で笑っていた。
ヒラガは遊園地の中心に建てられた中世欧州風の城の城壁内に身を潜めていた。この城の内部は鏡と錯覚を利用した迷路のアトラクションとなっている。その内部に侵入する事は不可思議な術によって不可能だったが、城をぐるり囲む低い城壁の門は開かれたままで、これ幸いとヒラガはその内側を潜伏場所と決めたのだった。
「彼、面白いモノを連れてるんですね。ひひ、あれは良い。是非とも手に入れたいものですね」
ヒラガが愉悦に口を歪めたその時、不意にヒラガの脳内に三つのあどけない声が響く。
『御主人様、しばらくは動きは無さそうです』『御主人様、どう致しましょう』『御主人様、如何なさいますか?』
「ああ、アイン、ツヴァイ、ドライ。アインとツヴァイは戻っておいで。ドライはそのまま見張りを宜しく」
『了解致しました』
そしてひひひと笑うヒラガの横に、ひらりと音も無く二つの人影が舞い降りる。
降り立った影は幼い風貌の少女達だった。片方はワインレッドの髪と目をした、もう片方は濃い青の髪と目の少女。それぞれ自分の髪と同じ色のクラシカルなメイド服を身に纏っている。
ヒラガがちらり見上げると、尖塔の上に立つ影が見えた。そちらの少女も二人と同じメイド服を着込んでいる。こちらは深い緑で彩られていた。
──彼女らはヒラガが生み出した忠実なる下僕達だった。些か大人びた紅の娘がアイン、硬質な表情の紺の娘がツヴァイ、一番幼さの残る深緑の娘がドライだ。ヒラガは自らの呪術で作りだした『三姉妹』をいつも傍らに置き、手足や目として利用していた。
彼女達とヒラガはいつでも感覚を共有する事が出来る。現に今も、ヒラガの脳内にはドライから送られる視覚情報により、青年術士とその妹が潜んでいるさまが鮮やかに映し出されていた。
「ひひ、彼らも自ら敵を探すつもりは無さそうですね、やはり『組織』の人間はそういう者が多いのですねえ。ひひ、それではこちらもしばらくは楽しませて貰う事としましょうか、ひひひひひ」
不気味に笑いながらヒラガがツヴァイを手招きする。おいで、と呼ぶとツヴァイは表情を変える事無く、だらしなく座り込んだヒラガの傍らに身を寄せた。
「ヒヒ、さあおいで。ツヴァイ、楽しみましょう。ああアイン、くれぐれも見張りは怠らないで下さいね?」
『はい、御主人様』『了解致しました、御主人様』
少し離れてアインが周囲への警戒を始めると、ヒラガは自分の膝の上に後ろ向きにツヴァイを座らせた。ヒラガがツヴァイを腕の中へと抱き寄せる。無表情のツヴァイから香る柔軟剤と、石鹸と、──少し饐えたような匂い。
「ひひ、いい子だね。さあ、始めようか。──『感覚共有』『絶対服従』『自我解放』」
ヒラガが特定のコマンドワードを口にした途端、ツヴァイの表情が劇的に変わる。
嫌悪、憤怒、拒絶、絶望──。抑制されていた自我が解放されるに伴い、美しく整った顔を歪め、ツヴァイはありとあらゆる負の感情を発露する。形の良い唇を開きかけるも声が奪われている事に憤り奥歯を噛み締め、手足を動かそうとして意のままに動かぬ事に諦めて力を抜いた。
一連のツヴァイの感情を感覚共有で理解し、その苦悩にヒラガは愉悦の声を漏らす。ひひひと笑いながら筋張った指はツヴァイのメイド服のボタンを外し、くるぶしまであるスカートをたくし上げた。
まさぐる指先がねっとりと肌を這い、怖気が走ると同時に甘美な悦楽が広がる。恐怖と快楽に脳がぐちゃぐちゃに掻き回され、ツヴァイの瞳から光が消える。じんと疼いた体内に熱い杭が打ち込まれ、苦痛と法悦が全ての感覚を支配する。
「いい子だ。ツヴァイ、君は素晴らしい。自分の最高傑作ですよ、ひ、ひひひ、ひひひひひ」
ツヴァイから流れ込む感覚にヒラガは精神を昂ぶらせ、またヒラガの感覚を送り込まれたツヴァイが焼き切れそうな程に神経を揉みくちゃにされる。脳内では何度も火花が爆ぜ、真っ白に塗り潰される。
何度も何度も穿たれ、揺さぶられる華奢な身体。響く水音に重なる笑い声。荒い呼吸の熱さに、渇いた喉に、絶望と冷たい夜の空気が入り交じる。ツヴァイは呪う、ただ呪う、自分を弄ぶ『御主人様』を、自我を未だに保ち続けている自分を。
「さあそろそろです、受け留めなさい、ひひ、ひひひひ」
流れ込む膨大な法悦にツヴァイは身を固くする。一瞬の後──爆発した熱に灼かれ、あ、と漏れない声の代わりにツヴァイは喉を震わせた。痙攣が全身に広がる。視界が真っ赤に染まる。身体と精神の内側から穢される汚辱に、全身から血の気が失せる。
弛緩した身体を強くヒラガに抱かれ、君は素晴らしい、と耳許で囁かれ、ツヴァイはただ奥歯を噛み締めた。
光の失せた紺の瞳から、ただ一粒の涙すら流せずに。
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前話でディアドラvsマドイの闘いが一旦中止、そしてムサシマル君と戦う相手であるだろう傭兵イブキの顔見せが終わりました。
そして今話が最後の組、ギオン兄妹とヒラガの様子です。
どちらも怪しい雰囲気が……?
それでは次回も乞うご期待、なのです。
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