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第十一話:熟せぬ時と、吐く紫煙


  *


 刃がディアドラの腹を裂き、一瞬の後に──マドイの身体に強烈な膝蹴りが打ち込まれた。


「──ぐっ!?」


 またもマドイの身体が吹っ飛び、玉砂利に転がった。その音を掻き消すように、鐘の響きは空気を震わせ続ける。


「ホントにやんちゃねえ、マドイちゃんは」


 呆れたような声を聞き付け、マドイが痛む身体をおして顔を上げる。手応えは確かにあった、一矢報いた筈だ──。


 しかし反撃を試みたマドイの必死の思いは、その結果を目の当たりにして粉々に打ち砕かれた。


 悠然と立ったままのディアドラの腹部、そこは確かにワンピースが裂けて刃を受けた痕があった。しかし赤い布切れの間に覗いているのは。


「ああこれ? コルセットよ、矯正下着ってヤツよ。これでもプロポーションには気を使ってるのよねアタシ。……残念だったわね、それくらいのチャチな刃じゃコレは切り裂けないようになってるの」


 油断は、油断では無かったのだ。そもそも警戒する必要すら感じていないだけだったのだ。──マドイはその事を理解し、悔しさにギリ、と音が鳴る程に奥歯を噛み締めた。


 ディアドラはふうと溜息をつくと、褪めた眼差しでマドイを見据える。正直、今此処でマドイを殺すのは感嘆だろう。ただそれでは何と言うか──そう、寝覚めが悪い。


「今は見逃してあげるわ。出直してらっしゃい」


 降った言葉に、マドイは一瞬意味が分からずぽかんとディアドラを見上げた。一拍置いてその台詞の示すところを理解するにつれ、憤怒と恥辱に可愛らしい顔が真っ赤に染まる。


「お情けか!? 自分は強いから、物足りないから余裕ぶっこいてるのか!? ば、馬鹿にするのも大概にしろ!」


「お情けじゃないわ、馬鹿になんかもしていない。ただ、まだ機が熟していない、それだけよ」


「機って何だよ! タイミングなんて問題じゃないだろ!? 情け掛けるぐらいなら今すぐに殺せよ!」


 怒鳴る少年の声にも屈せず、ディアドラはただかぶりを振った。


「そういう意味じゃないのよ。……アタシ達には、少なくともアタシには、アナタを殺すだけの理由が必要なのよ。だから今は殺せない」


 褪めた、いや凍る程に冷徹な視線がマドイを射る。マドイは動けずに、魅入られたようにディアドラの目を見返した。知らずゴクリと喉が鳴る。


「だったら、どうしろって」


「だから、アナタはまた本気でアタシを殺しにいらっしゃい。本気の本気よ、全力よ? そうしたらアタシも全力で対峙してあげるわ、アナタを──殺してあげる」


 些かの沈黙。──そして小さく、わかった、と零してマドイの姿が不意に掻き消えた。


「……覚えとけよオッサン、絶対にボクが殺してやるから」


 風に載って捨て台詞が届く。ディアドラは相貌を崩すと、やれやれといった風に鼻を鳴らした。


「期待してるわよ、子猫ちゃん」


  *


 一方その頃、軍コートを着た大柄な男──イシズチ・イブキは巨大なアスレチックに登り、月を眺め煙草をふかしていた。


 ふぅー……、と長く吐いた紫煙がゆらり流れ、昇り始めたばかりの低い月を煙らせる。


「厄介な事になっちまったなあ」


 傷だらけの強面を歪め、ひとりごちた。短くなった煙草に舌打ちをし、携帯灰皿代わりにしているピューターのスキットルに揉み消した吸い殻を放り込む。蓋を閉めたそれを煙草やライター共々荒っぽくポケットに捻じ込んで、イブキはゴロリと組んだ腕を枕に寝そべった。


 視界を覆い尽くす満天の星空を眺めながら、僅かばかり昔を懐かしむ。


 『結社』に入る前は、イブキは傭兵だった。金で雇われれば何処へでも行った。世界中を駆けずり回った。様々な紛争地で戦った。どんな惨い仕事もこなした。


 だからイブキは知っている。正義は人の数だけ存在することを。人の命など銃弾の一発よりも軽いことを。死は全ての人間に等しく寄り添うことを。


 イブキが自分の能力に気付いたのは、ジャングルの中で繰り広げられる泥沼のようなゲリラ戦の最中だった。部隊の皆が死に絶え、銃弾の雨に追い詰められた時、それは奇蹟のようにイブキを守り、そして敵は全滅した。イブキはこの能力を、便利だとしか思わなかった。


 ──そしてイブキは、『結社』にスカウトされたのだ。


 イブキは『結社』の思惑などどうでも良かった。能力を高く買ってくれる雇い主としか思っていない。やる事の内容は多少変わっても今までと同じく、仕事をこなす、ただそれだけだった。もし仕事の中で死んでしまうような事があっても、イブキは別に『結社』を怨むつもりは無い。


 しかしながら──この流れは、いけすかない。今ここで死ねと言われても、ハイそうですかと従う気にはなれなかった。何故だか分からないが、イブキはそう感じ、苛ついていた。


 苛立ち紛れに起き上がり、もう一度煙草を取り出す。咥えた銘柄はラッキーストライク、まぐれ当たりでも当たりは当たりだ。神頼みなんて願うタチではないが、担げる験は担ぐ、イブキはそういう性分だった。


 キン、とライターの音が響く。少しのオイルの匂いと灯る明かり。深く吸い込むと、不思議と頭が冴える気がした。


「ああ、そうか」


 言葉が独りでに零れる。──気付いたのだ、苛立ちの理由に。


 雇用主に命令されての戦いで死ぬのならそれは当然だ、それこそが矜持だ。しかし、今の状況はそうでは無い。オボロとかいう知らない人物に強要されて殺し合いをさせられようとしている、その事が気に食わないのだ。


 ならばどうするか。


 イブキは、生き残ってやろうと決めた。不本意だが戦いに勝ち残り、生きてオボロとかいうやからの顔を拝んでやろうと、あまつさえ可能ならばそいつを倒してやろうと、そう決めたのだ。


 短くなった煙草を潰し、イブキは仰向けに寝転んだ。──今はまだ、時では無い。イブキの『能力』が島に馴染むまでにまだしばらくの時間が必要だった。


 既に『種』は蒔いた。焦る必要は無い、まだ時間はたっぷりとある。イブキは目を瞑り、夜に身を浸す。


 木々のさざめきが流れる。風が紫煙の残り香をさらってゆく。微かな寝息が夜に吐き出される。


 イブキはただ静かに、微睡みに落ちてゆくのだった。


  *



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