第八話:氷の乙女と、エンジニア
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蒼白い燐光が一気に膨張する。纏う空気が瞬時に冷却され、凍気を帯びる。空気中の水分が凍てついて結晶となり、月の光に煌めいた。
「その浮ついた気持ちもふざけた心根も忌まわしい力も、全て全て、──凍らせ砕いてやろう」
「っ、ぎゃあ!?」
コヨミの身体に刺さっていた触手が言葉と共に氷に覆われ、瞬時に砕け散る。触手を破壊された痛みに仰け反ったチギリの身体が霊気の圧に弾かれ、無様に床に転がった。
コヨミが肩や足に負った傷口の表面は氷によって止血され、痛みも失せてゆく。コヨミはゆっくりと立ち上がると尚も冷気じみた霊気を放出しながら口を開く。
「我、コトホギ・コヨミにしてコトホギ・コヨミに非ず、主神ヴォーダンのしもべなるもの。ルンの力を受け、死した魂を運びしもの」
それは呪文めいて、しかし宣言のようにも聞こえる、そんな言葉の旋律。
台詞と共に、蒼白い氷の花がコヨミを包む。群生したクリスタルの如く、氷の結晶が燐光を発しながらコヨミを覆ってゆく。
「今此処に、力持つ言の葉の紡ぎを借りて、力を内より顕現させん」
そして、──無数の氷の結晶が、砕け散る。
「その英知と力の片鱗を、その姿を顕さん、──我、変幻せよ、ヴァルキュリア!」
結晶が舞い踊る。燐光が煌めく。蒼白い、光の翼が広がる。
「コヨミ……?」
床から身を起こしたチギリが呆然と呟く。その神々しさに美しさに、目の前の光景に目を奪われて、ただただ見とれている。
──そこに立っていたのは、戦乙女。北欧神話に語られる、戦いの女神。
蒼白く輝く鎧と兜を纏い、意匠を凝らされた盾を持ち、長いハルバートを構え、まさに神話から抜け出て来たが如き威厳と神々しさをもって、戦乙女がそこにいた。
「さあ、立て。戦いの続きをしようじゃないか」
その姿となっても眼鏡を掛けたままのコヨミが、獰猛に笑む。ハルバートの先端をチギリに突き付ける。
「やっとヤる気になってくれたんだ、コヨミ! あーし、嬉しい、あーしも本気でイくよ!」
「いいだろう、私の本気を、見せてやる」
チギリが立ち上がり、再び背中から羽を出現させる。コヨミもまた、光の翼を羽ばたかせる。
──ゴウン、ゴウゥゥン……ゴウゥゥン……。
その瞬間、鐘が鳴った。午後七時を告げる時計塔の鐘が、高らかに宵闇に響き渡る。それはあたかも、第二ラウンドを報せる冷酷なゴングの如く。
再び、二人の乙女による月下の戦いが今、始まる。
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──一方、少しばかり遡った時間、別の場所。
鐘の音に促されるようにして、ムコウダ・ムサシマルは目覚めた。
ムサシマルはぼんやりと目を開け、周囲を窺う。空の色は夕焼けから藍のグラデーションを描き、それを背景に無数の星が輝き始めている。何者かによってそれなりの時間眠らされていたようだ。
止んだ鐘の音と引き換えに訪れた静寂の中、控え目な虫の声と、それからさやかな水の流れる音が耳についた。
起き上がり辺りをぐるり見回すと、そこは林の中に設けられた広場のような場所であった。平らな地には芝生が敷かれ、幾つか立てられた照明が控え目に辺りを照らしている。広場を囲うように水場やベンチやアスレチック系の遊具、そしてログハウス風の小屋が並んでいた。
寝かされていた木製のベンチに座り直し、ムサシマルはしばし黙考する。──島へ来る前に見た情報から察するに、此処は恐らくキャンプ場なのだろう。
島の外縁部に設けられたレジャー区画の西側に位置する施設だ。全てを持参してのキャンプは勿論、手ぶらでもOKの一式レンタルや食材の販売、果ては冷暖房完備のグランピング用コテージや水遊びの出来る人工の小川までを備えた至れり尽くせりの場所である。
さてどうしたものか、と丸太を組み合わせたようなベンチに胡座を組み悩んでいたところ、突如左耳から声が聞こえ始めた。オボロと名乗る者からの一方的な通信が、左耳に埋め込まれた小型の通信機から流れ続ける。
『──諸君らにはこの島の中で殺し合いをして貰いたい……』
内容は要するに、『組織』と『結社』のどちらかが全滅するまで殺し合え、というものだ。期限は夜明け、満月が沈むまで。
ムサシマルはその放送を聞き終わると、深い溜息をついた。どうやら自分はデスゲームとやらに強制的に参加させられてしまったようだ。しかも『組織』対『結社』とは言いつつも、恐らくは共闘など出来ないようバラバラにされてしまっている、つまりは個人戦だ。
再度ムサシマルは大きな溜息を一つ。──他のメンバーはともかく、自分は戦闘を専門としない後方担当である。『組織』に属する際に多少の戦闘訓練は受けたものの、普段は開発部に所属するエンジニアだ。術士でも能力者でもない。
普段対峙するようなちょっとしたあやかし相手ならば符や武器を使えば自分の身ぐらいは守れるが、『結社』の能力者相手の戦闘、ましてや殺し合いともなると全く自信が無かった。どうしたものか、とまた息を零す。
幸いと言うべきか、ベンチの傍にはムサシマル愛用のバックパックが置かれていた。中身を確かめると、通信機器の類などは抜き取られていたものの、戦闘に用いる符や専用機器はきちんと残されていた。
ゲームの主催者はどうやら、勝ちが一方に偏らぬようバランスを取っているらしい。要らぬお節介だとムサシマルは肩を竦める。
ムサシマルは自分の実力を冷静に把握している。あっさりと殺されるのは嫌だが、さりとて自分が最後まで生き残れるとも思ってはいない。多少戦えたところで、死ぬのが幾分先延ばしになるだけだ。悲観では無く、諦念でも無く、それは客観的な判断から来る結論だった。
──それでもまあ、他のメンバーの足を引っ張らない程度には足掻いてみるか、とムサシマルは荷物を背負い立ち上がった。愛用のワークキャップを目深に被り、ずれたゴーグルの位置を調整する。
周到なゲーム主催者のことだ、恐らく自分と対峙させたいであろう相手を近くに配置しているに違い無い──ムサシマルはそう判断し、自分の姿が丸見えの広場からそっと立ち去る。建物の中に隠れられるなら万々歳、そうでなくとも身を潜められる所にしばらく隠れて様子を見るのが良いだろう。
照明から逃れ林に踏み込むムサシマルの迷彩柄のツナギが周囲の緑と同化し、やがて闇へと消えてゆく。蟲の声と小川のせせらぎだけが静かに響く中、誰も居ないキャンプ場を月だけがただ、見下ろしていた。
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コヨミさんの変身回です。そう、コヨミさんは戦乙女ワルキューレの力を有しております。
ヴォーダン=オーディン、ルン=ルーンですね。
そしてこの闘いは二章に引き継がれることとなります。美しくも凄惨な女同士の戦いの行方は今しばらくお待ち下さい。
更にムサシマル君の登場。この組織メンバーの中で、彼は唯一の非戦闘員です。
彼は普段は開発部に所属し、術式をPCから起動させるプログラムを組んだり、AI(疑似自我)を積んだ式神を使った自動追尾ミサイルを設計したりと、主に電脳と術の融合物を製作しております。
それではまた次回、乞うご期待なのです。
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