第七十六話「元魔王、しぶしぶ名乗る」
(この俺が恐れたのか!?)
反射的に距離を取ったことに、自分でも驚くヘリオス。
「いきなりあんな物騒なモン、人に向けてぶっ放しておいて、それ相応の覚悟がないとか言わないだろうなぁ」
黒水晶のような瞳に睨まれただけで、闇に引き摺り込まれそうな感覚が、腰から背筋へと這い上がってくる。
(はじめてベルネストを前にした時とよく似た感覚……!?つまり俺はあの時、ヤツを恐れていたのかっ!)
「認めぬ!!認めぬ!!認めぬ!!認めぬ!!俺がヤツを恐れるなど断じてありはしない!貴様を殺し、それを証明してやる!!」
四本腕を振り、ヘリオスが再び間合いを縮めにかかろうとした矢先、ガイが機先を制す。
気付けば黒のコートの裾が視界に入っていた。
牙竜刃とやらを右手のバスタードソードで力任せに上へと跳ね上げて、ガードをこじ開けると、がら空きのレバーに左ストレートを叩き込む。
強烈な一撃に体をくの字に折り、胃液をぶち撒ける。すかさず頭を垂れたヘリオスの後頭部に踵落としをきめ、顔面を土に埋もれさす。
さらにその後頭部目掛けてバスタードソードを両手で振り下ろし、頭をかち割る!
大量の血が吹き上がるが、グギッと鈍い音。頭蓋に剣は食い込むが脳には達していないと見るや、ガイは刺さったバスタードソードを手放して真上に跳躍した。そして、とどめとばかりにバスタードソードごとヘリオスの脳を潰すべく、体重を乗せてそれを踏み抜いた!
剣が耐久値を超えたか、ヘリオスの頭蓋が硬かったか、バスタードソードが砕ける。
「チッ。仕留め損ねたか」
死角から鞭のようにしなる太い竜尾の強打で薙ぎ払われるガイ。咄嗟、左腕でガードをするも、勢いは殺せず、間合いを無理やり引き離された。
頭から大量の流血をしながら、ヘリオスはなんとか立ち上がる。
(な、なんなんだ、この男は!なんて膂力をしてやがる)
ガイの膂力は「魔王印」によるもの。それは、世界に魔王としての役割を与えられた者に刻まれる証印。
かつて「勇者印」を持つ光の勇者の親友として、そのパーティーメンバーの一員として、ガイは前魔王の討伐に成功するも、勇者含め仲間全員をその激しい戦いで失った。
前魔王は死を目前に何を思ったのか、己の力の根源「魔王印」をガイの背へと刻み、次代の魔王としての役割を敵である「人間」のガイへと託して果てた。それは、世界への皮肉か、「人間」に対する呪詛か、それとも期待だったのか。長い年月を経ても、未だ答えには到らなかった。
「魔王印」を持つ者は、膂力を含めた全ての身体能力、魔力、瘴気、いずれも著しく向上し、人知を超えた力を得る。ガイはその力で魔族を統率する道を選び、数多の戦いを経て魔族圏の統一を果たす。そして、魔族圏と人類圏の領域を明確に示し、住み分けを行うことで、永きに渡る魔族と人類との戦いの歴史に、一時の平和を現出させた。
それはまた別の物語としてさておき――――
ガイの強さは、「魔王印」によるところよりも、歴戦に次ぐ歴戦で培われた、機を見るのに聡いその戦闘センスにこそある。
ヘリオスが動揺していると見て、一気に畳み掛ける。
「特別だ。そうそう拝めるものではないぞ」
そう言うと、
「凛気転式!『天剣』」
ガイの背に後光の如く、九本の光剣が白き輝きを放ち顕現する。
「八之剣『竜殺剣』。お前にお誂え向きの剣だ」
一本の光剣を手に取ると、ぶんっ!と一振り、光の粒子を振り撒いて、ガイは残りの光剣を背に駆けた。
(速いっ!)
右の二本の腕の竜鱗を盾の形状に変化させ、光剣を防ぐ。いや!防げない!
竜鱗の盾ごと二本の腕が、泥でも斬るかのように容易く斬り落とされた。
「ぐあっ!!クッ……」
痛みに顔を歪めながらも、竜尾を振るう!
だが、しかし!太く強靭な竜尾もガイの光剣に一瞬にして両断される!
けれども、それは織り込み済み。竜尾を犠牲に、背より翼を生やし、隙を突いて、ヘリオスは中空へと逃げる。
右腕、尾を失い、頭からの夥しい鮮血で全身を朱に染め、ヘリオスはガイを睨む。
「やはり竜種と魔族の混血だとは思っていたが、竜種の浮遊器官まで持つとは。そこまで竜種純血の遺伝が色濃いとは思ってもみなかった」
と、ガイは純粋に感想を述べた。
竜種には、その巨体を浮かばせ、空を飛ぶための浮遊器官が両翼の付け根に備わっていた。翼は、浮遊器官により浮いた身体の制御をするための舵である。翼で風を掻くことにより、推進力を得、また逆向きに風を掻くことでブレーキとなり、翼に角度を付けたり、左右別々に動かすことで進行方向をコントロールできる。
「逃げるのか?誇り高い竜種と魔族の混血児が」
ガイは空に浮かぶ、ヘリオスを挑発する。魔法が使えない今のガイでは、空に逃げられたらどうすることもできない。地上から『天剣』による斬撃を放っても、距離があり過ぎる。ヘリオスほどの実力者なら簡単に避けられるであろう。
なかなかの手練れだと踏んで、今ある全力で短時間で決着を付けようとしたが、そう甘い相手ではなかったようだ。
「今回は俺の完敗だ」
ヘリオスは憎々しくガイを睨め付けながら、奥歯をぎりりっと噛み締め、絞り出すように言った。
「次はこうはいかぬ」
「ボコられるだけボコられて、ただで引くのか?」
「安い挑発には乗らん。だが、負けた以上、代償は払わねばならんと言いたいところだが、残念ながら宝玉は奪われた。俺と同じ銀の髪色の男に。そいつは宝玉を使って時間遡行を計画しているようだ。宝玉を回収したいのなら急ぐことだな」
「お前が言うなよ。無駄に突っかかってきておいて」
少しムッとした表情を浮かべて、ガイはぼやいた。まったくもって無駄な戦闘をした。しかも買ったばかりのバスタードソードまで失った。これでは、ただの骨折り損のくたびれ儲けでしかない。
「どこまでもふざけた野郎め。いずれ貴様はこの俺、ヘリオス・アークヘルツがぶち殺す。貴様、名は?」
「名乗るほどの者ではありません」
「………………………………」
面白くもないという顔で、ヘリオスはぎろりとガイを睨んだまま、中空で静止している。
「ええっと、いつまでそこにいるんですか?」
「………………………………」
「はぁ、つくづくめんどくさいヤツだな。わかったわかった。名乗ればいいんだろ。俺は、ガイ・グレーシアスだ」
「覚えておこう」
好き勝手一方的に話し終えると、ヘリオスは翼をはためかせ、北へと飛び去っていったのだった。
(何だったんだよ、ったく。しかし、ヤツが嘘を吐いているようには見えなかった。紅玉を奪ったヤツが時間遡行を目論んでいるなら、大掛かりな儀式場を必要とするはず。それには、魔力場の特異点だろうが、紅玉一つで時限門を開けるだろうか?ヒルデガルトを先に保護すべきか?)
ガイは新たな選択を迫られる。
少し考える素振りを見せるも、すぐに判断すると、ガイはさっと移動を始めた。