第七十話「焔竜の吐息」
湖岸に吹く涼しげな風を感じながら、近くの大石に腰掛け、ガイは腰の水袋を手に取り、口に含む。
美しい沼沢湖の景色をぼんやりと眺める。
風が髪をいたずらにかき乱す。前髪をふとつまむと、独りごちる。
「だいぶ伸びたな。この騒動が終われば切るか」
前髪を見るために寄り目にしたとき、不意に瞳の端に蜃気楼のような揺らぎを捉えた。
「ん?今のは……。見間違いでは無さそうだが」
一体何を捉えたのか。もう一度寄り目にしてみるが、ふと見えた逃げ水のような揺らぎはもう見えなかった。
「ここには何かあるな。もう少し調べてみるか」
水袋を腰に括り付け、ガイが立ち上がったその時、沼沢湖のさらに西の林から、耳をつんざく爆音とともに天高く上がる火柱が目に入った。
「何かあるな」
そう呟くと、ガイはそちらに向かって駆け出した。
その火柱が上がる半時ほど前。
全力で走りながらほんのわずかに視線を後方に流すと、『死骸蟻団』序列第九席のヒューバードは、仲間であるリオノーラとクローディアに向かって小声で言った。
「尾行けられている。あの魔族だ。何の対策もなしに、あれと鉢合わせになるのはマズイ。オレとクローディアで時間を稼ぐ。リオノーラは団長かシャロンさんにこのことを伝えろ」
「私も戦う!」
「少しでも時間を稼ぐのは、実力からしてオレが一番適任だ。そして、伝令としては重装のクローディアより身軽なお前が適任だ。組織の構成員にはそれぞれの役割がある。理解しろ」
「そういうことだ。我はヒューバードの盾役。リオノーラ、伝令まかせたぞ」
「クローディア……わかった!ヒューバードは死んでも構わんが、お前は死ぬなよ」
「ああ、もちろんだ」
「ひどい言われようだな。ま、話はまとまったな」
そう言うと、ヒューバードとクローディアは足を止め、後ろを振り返った。
リオノーラはそのまま二人を顧みることなく、走り去る。
銀の甲冑をがちゃりと鳴らして、背に背負った戦斧を突き出す形でクローディアは構えると、間髪入れずに付かず離れずにいた竜鱗の魔族――ヘリオスへと真っ向から突っ込んだ。
ヒューバードの呪文詠唱を気取らせぬため、またその時間を繋ぐために。
ヘリオスははっと驚く表情を浮かべるも、すぐに笑みを浮かべて、
「ほぅ。俺の尾行に気付いただけでなく、反撃を試みるか。よかろう。相手してやる」
右腕の竜鱗を鋭く尖らせ、手甲剣のようにすると、その竜鱗の刃をもって、クローディアの戦斧を軽く受け流す。――と、さらに左腕にも竜鱗の剣を出現させ、即座に攻撃に転ずる。
それをクローディアはバックラーで防ぐも、竜鱗の剣はバックラーごとクローディアの左腕を貫く。
苦痛に顔を歪めるも、クローディアは自分の腕を刃から無造作に引き抜くと、さっと後ろに下がった。
その間に、黒のローブを目深に被るヒューバードが、両手の指で印を結んで詠唱していた呪文を完成させる。
「中天に座する天道の陽より来たれ。天照の凝光閃!其は岩を砕き、山を割り、大地を穿つ。我が宿敵を討ち滅ぼすために降り注げ!数多なる閃光の刃と刺よ!
プロヴィデンス・サウザンドエッジ!!」
力を持つ言葉を解き放つと、ヘリオスの頭上に無数の光の剣、光の矢、光の槍が顕現し、一斉に降り注ぐ。
鋭い刃の雨がヘリオスへと落とされる。
「俺が焔将と呼ばれる所以を見せてやろう。押し並べて焼き払うまで!」
ヘリオスの腹が裂けて、巨大な竜の顔が現れる。その巨大な顎を上体を反らして天へと向けると、
「竜の炎熱に焼けぬものはなしっ!」
凄絶なる炎が扇状に空へと放たれる!焔竜の吐息だ。
光の刃と竜炎の火柱が激しくぶつかり、宙空で連鎖的爆発を引き起こし、辺り一帯に爆音を轟かせ、大火柱が上がる。
ドドドドドッ、ゴゴゴゴゴゴゴッ――――――ンンンンン!!!!
空を震わすほどの衝突。
「オレの最大魔法を軽くいなすか!?化け物が」
ぼやいても始まらない。ヒューバードは次の攻撃に移るために再度、両手で印を結びながらヘリオスの背後に回る。
凛気転式と魔法を使えないクローディアは、再び戦斧で仕掛ける。人間や魔物、下級魔族くらいなら膂力と武具さばきで難なく圧倒できる実力を持つ彼女だが、いかんせん本物の高位魔族相手には、スピードも力も何もかも到底及ばなかった。
ヘリオスの腹に突き入れたハルバードは、巨大な竜の口に噛み砕かれた。続け様に来る両腕の竜刃を、バックラーで防ごうにもたやすく貫かれ、片腕を奪われる。
が、辛うじて、その隙に転がるように横へと飛び退くと、背後に回っていたヒューバードが、ヘリオスの後頭部目掛けて至近距離で光の槍を叩き込む。
「ディバイン・スピア!」
その瞬間、ヘリオスの背中から腹と同様に竜の頭が服を突き破り現れ、焔竜の吐息でヒューバードを焼き払う。
光の槍はヘリオスには届かず、上半身を丸焦げに焼かれたヒューバードが地面に崩折れる。そのヒューバードの首を裏拳を見舞うように、ヘリオスは竜の刃で容赦なく斬り飛ばした。
「単純な体術と武術、武具の扱いでは女、お前の方がこいつよりも上だな。何度か確実に殺したと思ったのだが、お前はまだこうして生きてる。なかなかお前は見所がある」
そう言うと、ヘリオスは腹と背中の竜の頭の変化を解いた。
そして、クローディアに完全回復魔法をかけ、切り飛ばした左腕を元に戻してやった。
「気まぐれだ。俺の気が変わらぬ内に何処へなりとも失せろ。追わぬ」
「貴様に情けを掛けられる謂れはない!殺せ!」
「……お前ごときに構ってる暇は無くなった」
木々の奥から来る圧倒的な気配に、ヘリオスの眼中には、クローディアなどもはや一ミリも映ってはいなかった。




