第七話「元魔王、商人と知り合う」
「随分と高い城壁だな。こんな辺鄙なとこによくこれほどのものを」
優に十メートルを超える城壁が、都市を囲い込むように建てられていた。
「降りてくる方向を間違えたか?丘から見た感じだと、右手奥側に城門らしきものが見えたが」
しばらく城壁沿いを歩いて行くと、人だかりが見えた。
人だかりの奥には馬車が列をなしてずらっと門へと連なっている。馬車の列はほとんど動いていないようだが、人の列はスムーズに進んでいるようだった。
「師匠、あれ!門がある」
「この人だかりは検問待ちの列か」
列の脇に等間隔で、木で作られた立て看板が設置されている。立て看板は最近作られたのか、木目のはっきりとした新しい感じの物ばかりであった。
その立て看板には大陸文字で、臨時的な措置として、都市に流入する商人を抑制する目的で、馬一頭大金貨一枚、馬車一台大金貨二枚を入市税として徴集すると書かれてあった。それ以外は無税らしい。
「一頭立ての馬車なら大金貨三枚だって。すごい大金」
大陸文字は読めるらしく、アリシアが言った。
(大陸共通語か。俺が知ってるものとやや異なっているが、なんとか内容は掴めるな。しかし、銅貨や金貨銀貨はあったが、この世界の貨幣価値が俺の常識と同じかわからんな)
「なぁ、アリシア。人と接する機会があまりなくて、貨幣価値がいまいちわからんのだが、簡単に説明してくれないか」
「うん。えっと、銅貨十枚と小銀貨一枚が同じでパン一個くらい。小銀貨十枚で大銀貨一枚になってパン十個くらい。大銀貨十枚が小金貨一枚でパン百個くらいで、小金貨十枚で大金貨一枚になってパン一日三食一年分」
「なるほど。よくわかった」
(俺の常識とは、三倍増しくらいの価値変動があると考えるべきか)
貨幣価値は時代時代で変わるが、人が食べる量はさほど変わらないと考えると、正確とは言い難いがだいたいの価値はわかる気がした。
「なぁ、アンタ。えらい大金払ってまで、なんでこの街に入りたいんだ?」
近くの馬車の御者席に腰掛け、ぼーっと頬杖をついていた口髭の男に話しかける。
「あん?そんなのあと二週間で五月大市がこのアリアブルグ市で開催されるからに決まってるだろ」
何を馬鹿なことを聞いてくるのかと、男はガイに胡乱な目を向ける。
「ところで、その獣人はあんたの奴隷かい?見たところ首枷が無いようだが」
アリシアを不躾に指差して男が聞いてくる。
「何が言いたい?彼女は奴隷じゃない。俺の旅の連れだ」
と、ガイが凄みを利かせる。
「い、いや、悪かったよ。そう怒るなって。大市では奴隷市も開かれるんだが、その奴隷の輸送馬車の一団が道に迷ったらしく、消息不明だって噂をふと思い出してな。そいつがリックワース商会の奴隷で、先行して扱う奴隷の目録が各所に配られていて、その中に狐人族の娘がいたんでな。なかなか狐人族は珍しいから。でも、首枷がないなら別人だな。気分を害しちまってすまなかった」
「…………………………」
不安気な表情でアリシアがガイのコートの裾を引く。
「ああ、首枷がない奴隷なんているわけないだろ。まったくの別人だ」
殊更大きな声でガイは言った。周りにも聞かせるように。
「お詫びと言ってはなんだが、三割引きにしてやるからうちの商品を見ていかないか?うちは旅回りや冒険者が使う飯盒や水袋、ロープや毛布、なんなら毒消し、回復薬も扱ってる。旅に必要な品ならなんでも揃う」
「有難い申し出だが、残念ながら路銀が心許なくてな。逆に買い取りをしてもらえると助かるんだが」
「ああ、いいぜ。アリアブルクの大市では大概のものは売れるからな。品はいくらあってもいい。なんせ人類圏最果ての地、何かと物資は不足しがちだからなんでもそこそこ高値で売れる」
(だから、こんなに入市税が高くとも商人たちが列を成しているのか。同時に街の財政も潤い、こんな頑強な城壁も建設できるというわけか)
「それで?品は?」
「ああ、これだ」
と、ガイは無造作に虚空に手を突っ込み、いくつかの指輪や首飾りをじゃらじゃらと取り出した。
「あんた、時空魔法の空間収納が使えるのか!?」
「生き物を入れると空気はないから死ぬ。だから馬は無理だぞ」
商人の考えそうなことを先回りして、ガイは言った。
「荷台はどうだ?」
「入れれるが、俺が持ち逃げするかもしれんぞ。それに馬だけ連れてるなんて不自然だし、周りの目もあるからそんな不正はすぐにバレる」
「それもそうか」
「まぁ、こいつを見てくれ」
首飾り二つに、指輪を三つ、商人に手渡してガイが査定を促す。
魔王という前職の職業柄、武器や防具、魔法効果のかかった装飾具は集めていたが、美しいだけのただの装飾具には全く興味はなかった。
商人に手渡したのは、そういったただの装飾具であった。どこかの一族が昔、献上してきたもので、部下たちの褒美用に手元に置いておいたものだ。
「ピンクダイヤモンドの指輪に、金をふんだんに使った首飾り、その中央にはピジョンブラッドのルビーだと!他もロイヤルブルーのサファイアとか、こんなもの買い取る資金なんて持ち合わせちゃあいないぜ。旦那はどこぞの王族か?」
まぁ、元であるが王といえば王である。
「いくらなら出せる?」
「大金貨九十枚が限界だ。おれの全財産の九割だ」
「だ、大金貨九十枚」
後ろで聞いていたアリシアが素っ頓狂な声を上げる。
「ならそれでいい。買い取り頼めるか?」
「おれに異存はねぇが、旦那はそれでいいのか?しかるべきところに持っていけば、五倍、いや十倍の値は付くぞ」
「じゅ、十倍!?」
「アリシア、うるさい」
と、ガイはアリシアの頭にチョップをかましつつ、話を続ける。
「アンタ、商人に向いてないんじゃないか?そんな馬鹿正直に」
「商人も人。人としての信用を失えば、商いもできやしないってのが、先々代の教えだ」
「いい教えだな。アンタにまかせよう」
「わかった。交渉成立だな。だが、あまりに高い物なので、贋物を掴まされちゃかなわん。きっちり契約書は交わさせてもらうけど、いいか?」
「前言撤回しよう。さすが抜け目がない。アンタは商人に向いてるよ」
「おれはバグス・アルバインだ」
「俺はガイ・グレーシアス。こっちは連れのアリシアだ」
二人は握手を交わし、早速契約書の取り交わしと、商品と代金の受け渡しを滞りなく終わらせた。
別れ際、バグスがガイの耳元で彼にしか聞こえない声で言う。
「もし、リックワース商会に絡まれるようなことがあれば、おれの名前を出すといい。少しは力になってやれるかもしれん」
(感の鋭い男だ。でも……)
「最初に声を掛けたのが、バグス、アンタで良かったよ」
「お互いいい旅を!」
最後にもう一度固い握手を交わし、ガイとアリシアはバグスと別れた。