第六十七話「元魔王、自身の失策に気付かされる」
ヒルデガルトが攫われてから二日。
大市で買ったバスタードソードを腰に差し、シュリと別れた後、アリシアとレカイオンと合流したガイは夕刻、商館近くの宿に滞在しているセイヴィアを訪れた。
簡素な木製の椅子と机に腰掛けるガイ達に、商館のメイド長エミリーが手馴れた所作で温かい紅茶を注いだティーカップを出す。そして、一言。
「どうかお嬢様をお救いください、大賢者様」
「エミリー!要らぬことを!ガイ殿はそんなことは百も承知だ!すみません、メイドが知った風な口をきいてしまい……」
セイヴィアがエミリーを窘め、頭を下げる。
「ヒルデガルトは慕われていたんだな。彼女はどういう人間なんだ?」
セイヴィアの謝罪を手で制し、ガイはエミリーに話を促した。
そういえば、ヒルデガルトについてあまり知らなかった。これも何かのきっかけかと思いたち、訊ねてみた。
やや狼狽えつつ、セイヴィアとガイを見比べて、エミリーはやおら話し出した。
「……お嬢様は屋敷のどんな者にも分け隔てなく、接してくださる心根の優しい方でした。旧ラステカの亜人だけでなく、奴隷の獣人や下働きの下女にまで。空腹で倒れている者には、身銭を切って食べ物を与え、家族が病で困っている下女には薬を買い与え、自分の身は後回しに、下々の者を常に気遣っておりました。また、会頭に対して奴隷商を廃業し、別の方策で散り散りになった仲間を集めるよう何度も掛け合っておられました」
「だが、旧ラステカの民は今でも多くが奴隷や貧民として虐げられている。その者達を一刻でも早く救い出したいと考えていた私や会頭によって、ヒルデガルト様の意見は受け入れられなかった」
懺悔でもするかのように、苦々しい顔付きでセイヴィアはエミリーの言葉を引き取って答えた。
「副会頭だけの責任ではございません。商館に勤めている我々旧ラステカの民の総意にもございます。旧ラステカの民以外の奴隷達にはひどい仕打ちをしてきました。恨まれても仕方のないことでございます」
と、執事長ラルフレッドも悔恨の表情を浮かべ、そう口を挟んだ。
「あなたたちのせいで多くの命が奪われた」
冷たい声音でアリシアは、セイヴィアとラルフレッドの二人を睨んだ。
「すまなかった。謝って済むことではないが。いずれ報いは受ける。自分達のことしか考えずにいた我々に対する天罰は。しかし、それは意志決定を担った私に最も重くあるべきで、虫のいい話だが、ヒルデガルト様が受けるべきものではないことだけはわかってほしい」
「アリシア、お前が望まないなら、彼らへの協力はやめる。どうする?」
セイヴィア、エミリー、ラルフレッドの三人が、アリシアをすがるような眼差しで見つめる。
「結果的に私は人質交換であの人に命を救われた。殺されるとわかっていながら来たあの人のことを悪くは思えない。この人たちは嫌いだけど、師匠、できるならあの人は助けてあげよう」
「ありがとう!ありがとう!!」
と、セイヴィアはアリシアに何度も何度も頭を下げた。静かにラルフレッドも深々と頭を下げる。
「本当にお嬢様は他人に優しくあられるも、自らを顧みない所があるから、ご自身のことをまず考え、どうか無事であってほしい」
エミリーは眉根をひそめ、祈るような仕草をしてそう言った。
「アリシアがそう言うのであれば。しかし――」
彼らの断片的な話から、奴隷達の境遇に心を痛める一人の少女の姿が浮かび上がってくる。自分の死しか考えない無機質な少女という、ガイが受け取った印象とは若干異なる感じ。ぬくもりのある、体温を感じる人としての少女像。
だが、それは他者への慈愛であって、そこに自愛という意識はない、どこか危うく儚い印象も併せ持つ。
「ヒルデガルト自身が生きたいと望むなら、協力は惜しまない。けれども、本人がそれを拒み、その血が俺の周りの者を危険にさらすというのなら、俺は容赦なくヒルデガルトやお前らを切り捨てる」
「十二分に理解しております」
恭順を示すようにセイヴィアはじめ一同は、ガイとアリシアに向かい、頭を垂れた。
「とはいえ、どうするか。五日後に奴らと交渉するというのに、タブラ・スマラグディナの原典とは言わんが、それに準ずる写本か何かないとな。そのアテが全くなく困っている。
『赤星たちの十字団』の目的は天使召喚。そして、その天使との合一による神の意志に触れる事だとして……」
「せめて天使召喚の術式やその知識の断片でもあれば、交渉材料くらいにはなるかもしれないのに」
と、ガイの言葉を受けてセイヴィアが呟く。
「もしくは、二つの『天使の紅玉』を融合させる方法だな。一瞬見ただけだが、あの紅玉にはかなりの魔力が込められている。それが二つもあるとすれば、その魔力を融合させるだけでも大きな魔力場の乱れや揺らぎを起こせる。その不安定な魔力場から隔絶世界、いわば神域にアクセスすることも理論上可能だ。そこから天使との接触ができれば――」
「魔力場の揺らぎと言えば、十九日前にかなり大きな魔力場の揺らぎがあったね」
ふとレカイオンがそう言った。
「十九日前?」
「師匠と私がちょうど出会った日だ!!」
アリシアが無邪気に声を上げる。
「あの大きな魔力場の揺らぎから、バイアケスは近くの街のアリアブルグに目を付け、色々調べてたみたい。あたしにはよくわからないけど」
(俺が召喚された日か。今は魔力ゼロだから、召喚術式には掛からないが……)
召喚術式を発動するには、召喚対象との魔力呼応をもって行われるため、召喚される者にもある程度の魔力がなければ、召喚術式は適応されない。
(……たしかに、別世界もしくは別時空から俺という、この世界に存在しないはずの者を召喚したほどの術式。それを無理矢理、魔王としての魔力で途中強制解除したから、大規模な魔力場の相反が起きたか。そこには考えが至らなかった。マジ抜かった)
と、ガイは頭に手をやり、心の中で思いっきり舌打ちをする。
「じゃあその魔力場とかの揺らぎで、この辺りに魔族や魔物が集まって来ちゃったの?」
アリシアが核心を突く。
「そうね。他の良からぬ人たちも。また無意識に魔力場の揺らぎに引き寄せられた人や魔の者たちもいるかも」
ちらりとセイヴィアの方に目を向け、レカイオンは言った。暗に賢者の石を持ち込み、あなたが騒動を起こしたんだと、軽く責めるように。
(いや、セイヴィアよりも俺が責められるべきかも……。アリアブルグ襲撃含めた、この一連の騒動はもしかしなくても、きっと俺が発端だからな)
内心、ずーんと落ち込むガイ。
「バイアケスと言えば、先頃アリアブルグを襲撃したという魔族の名ですね。魔族を引き寄せるほどの魔力場の揺らぎが発生したというのなら、もしかしたら魔力の溜り場――魔力場の特異点が何処かに出来ているかもしれませんね」
魔術的素養を持つのか、執事長ラルフレッドが言った。
「魔力場の特異点でなら、かなり大掛かりな術式の展開も可能」
「だとしたら、賢者の石、天使の紅玉の融合も可能なのですか!?」
前のめり気味に、セイヴィアはレカイオンに訊ねた。
「おそらくは」
「なら、方針は決まりましたね、ガイ殿!残り五日以内にその魔力場の特異点を探し出せれば、奴らとの十分な交渉材料となる!」
「ああ、そうだな」
と、ガイは気のない返事をした。別の思考が彼の脳裏を占めていた。
「バイアケスもそれを調べていたのかも」
そのガイの気のない返事に触発されたのか、さして興味を失った様子で、レカイオンは抑揚のない声でそう続けた。
魔力場の特異点とは、厄介なモノを生み出した。それに今まで気付かなかったなんて、つくづく自分の能天気さに嫌気が差す。
(魔力場の特異点を悪用される前に、なんとしても絶対に消し去らねば!俺の責任でもって)
「魔力場の特異点は俺も俺で探すが、広範囲だからセイヴィア、お前の方でも捜索を頼む」
ガイがそう言って席を立つと、セイヴィアは意気揚々とラルフレッドに向かい、魔力場の特異点を探し出す捜索隊をどう編成し、効率的に探せるか、すぐに検討を始めた。
「あと、定時連絡は『風の凪亭』まで。こちらからも定期的な連絡をこの宿に入れる」
「わかりました!」
光明を見出したセイヴィアは明るい声で応じたのだった。




