第六十六話「竜鱗の魔族」
「あれは……」
朝もやの南城門を遠望し、ヒルデガルトは良からぬ気配を感じて、足を止める。それは直感か、胸にある紅玉が何らかの魔力に反応してか。
「南門はダメね。他の城門もきっと同じね」
ヒルデガルトは踵を返し、街とは反対の東のレーベ川方向の森へと足を向ける。
とぼとぼと疲れた足を引きずって、彼女は思う。
(私、何してるんだろう……?ラステカの再興を望んでいるセイヴィアたちを利用してまで、どうやって死ぬかを考えて……。私が生まれてきた意味って。姉さんはどういう気持ちで火の勇者を務めていたのだろう?私は生まれてくるべきではなかったのかもしれない……)
もうどうでもいいはずなのに。もうどうなってもいいはずなのに。だったら、後の事なんて考えず、ただ死ねばいいだけなのに。けれども、ずっと自分ではどうしても死を選べなかった。
自分の心の奥底ではずっとわかっていた。でも、自分を捨て、いつも考えないようにしていた。本当は生きていたいんだということを。一人になって、それを今、改めて思い知る。
このどうしようもない気持ちを抑えきれず、誰も見ていないと思うと、感情が堰を切ったように溢れ出した。
ヒルデガルトは子供のように泣きじゃくった。泣きじゃくりながら、一人森へと向かう。なんのあてもあるはずもなく。
こんなに泣いたのはいつ振りくらいだろう。
ひとしきり声を上げて泣いたら、ふと冷静に我に返った。
(死ぬための方法じゃなく、どうにか生き残る方法を模索しよう。天使とかなんとかのために殺されたり、世界のために死のうなんて考えを強要されるのはおかし過ぎる!どうせ尽きるかもしれない命なら、私を慕ってくれているラステカの人々、セイヴィアたちのために使おう。どうにか街に入ってセイヴィアたちのもとに戻ろう)
そう思うと前向きな気持ちと気力がわずかに湧いてきた。
(いくつかの勢力が私の身柄と姉さんの紅玉を狙っている。必ずどこかのタイミングで衝突する。その混乱に乗じて街に入ろう。それまでは森に潜んで動向を伺うべき)
草の根を食べても生き残ってやると気持ちを強くして、ヒルデガルトは一旦森へと姿を消した。
一方、ヒルデガルトの行方を追うベランギは、カッソールの丘を降った街道脇で、最悪の敵と遭遇してしまっていた。
銀髪に鼻梁高く整った顔つきの、まるで彫像を彷彿とさせる均整の取れた美しい肉体。額に竜の如き角と腰には太い竜鱗の尾を巻き付けている禍々しい気配を纏う者。
「魔族がなぜこんなトコに……」
からからに乾いた喉から声を絞り出すベランギ。彼女の気配はもはやその魔族――ヘリオスに補足されていた。
「残って探索を続けていた甲斐があったというもの。突然でかい魔力を感じて来てみれば。賢者の石か、それに類する魔力の凝縮体を持っているようだな、お前」
ベランギにゆっくりと視線を移し、ヘリオスはにやりと笑った。
「人の肉体に埋め込まれていたものを取り出したか?肉体の内にあると魔力を感じにくいものだからな」
ベランギは凛気転式『操死身帯同』によって、常に死体を纏っており、その内にヒルデガルダから奪った紅玉を隠し持っていたから、気付かれずにいたが、今は生身で紅玉を所持していた。それで、この目の前の魔族に紅玉のことを気取られてしまったのかと理解する。
(どうやってこいつから逃げる?ここまで近付かれるまで気付かなかった。これほどまでの禍々しい魔力量の魔族に。魔力操作のできるかなり高位の魔族)
状況は絶望的だった。実力差があり過ぎる。しかも今は生身。ベランギの技能はほぼ役に立たない。魔法で凌ぐしか。詠唱している時間はない。威力は落ちるが無詠唱でいく!
「バースト・フレア!!」
無詠唱の分の威力を補うように、右手と左手から二重に同じ魔法を放つ!火炎放射の火流が左右交差する、最も火力の高い位置でヘリオスを焼き払う。
「笑止!焔将の異名をとるこの俺に、こんな炎など生温い。もしくは目眩ましのつもりなら無駄だ」
凄まじい火炎の中、ものともせず、瞬間で間合いを詰め、ベランギの両腕を切り飛ばす。右腕の竜鱗を鋭利な刃と変えた一振りだった。
そのまま、ベランギの胸に竜鱗の刃を突き入れる。
「がはぁっ!?」
どろりとした血を吐き出し、だらりと体勢を崩してしなだれるベランギの腹部辺りをまさぐり、真っ赤な石を奪うと、彼女の身体を乱暴に蹴り離す。
心臓を貫く致命傷。ベランギの瞳からは光が失せ、生気ない顔が明け始めた空を仰ぐ。
「ほぅ。なかなかの魔力純度の宝玉よ。わずかに神気も帯びている。こいつならいけすかないあの野郎に一泡吹かせられようか。ハハハッ!見るからに実に美しい!」
と、ヘリオスはベランギへの興味など一切無くし、その美しい紅玉を朝日に透かし、うっとりと眺めた。
その状況を離れたところから目撃していた、ベランギたちを追っていたヒューバートは、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「最悪の事態だ。魔族に賢者の石を奪われるとは!痛恨の極み!」
「だったらあいつを殺るか?」
半眼で大きな口を引き歪めてリオノーラが言った。
戦斧に甲冑姿の重騎士クローディアも神妙な面持ちでこくりと一つ頷いた。
「手ぶらで戻れば、二度もしくじったダブルナンバーの私らはきっと制裁は免れない。下手したら粛清だ」
「やめとけ。無駄死にだ。あの魔族は不規則因子、お前たちのことは俺が責任を持って取りなしてやる。だから一旦引くぞ。シャロンさんにまず話を通す」
目深にフードを被り直してヒューバートは二人に自重を促し、一度後方に下がって仕切り直すことにした。
「くっくっくっ。こいつ以外にもまだ何かありそうだな」
紅玉の冷たい感触を掌で弄びつつ、楽しそうにヘリオスは笑みを浮かべ、ヒューバートに気付かれぬよう、付かず離れずその背を追う。
そして、誰もいなくなった。
その時、ベランギがむくりと身を起こした。瞳の色を失ったまま。




