第六十四話「死骸蟻団」
黒檀の椅子に腰掛け、レースのカーテンから入る陽光に目を細めながら、男は本を読んでいた。
『時間旅行』というタイトルの戯曲である。
死を間際にした、年老いた男が過去を思い出し、後悔の残る人生の選択をやり直していき、もう一つの人生をその男とともに追体験していくという、売れっ子劇作家ショーン・アレン作の戯曲であった。
皇都でも有名な大歌劇場ペリア座でも、何度も何度も公演されているベストセラーの王道作品だ。
目にかかる銀の髪を軽く右手で払い、淡いグレイの瞳が流れるように文字を追っていく。
整った顔立ちをしている。一度目にすると、はっと息を飲むほどの美丈夫だが、どこか物憂げでエキゾチックな妖しさを感じさせる。
その切れ長の目がふと、ドアの方へと向けられた。すると、ノックの音。
「シャロンか、入れ」
ドアの外の気配を察し、カインは言った。
シャロンと呼ばれた、アッシュブラウンの髪をエアリーボブにした女が部屋に入ってきた。
紺のブレザーにインナーはベージュのパーカー、ズボンにデニムを取り合わせた、カジュアルスタイリッシュなコーデの美人が、無骨な黒の大剣を抱えていた。
「それが例の魔剣か」
「ええ。お望み通り魔剣は手に入れましたが、おかげで『蒼精輝機団』と全面戦争ですよ」
不満気に口を尖らせて、シャロンはカインに白い目を向け、ドンッと乱暴に魔剣を黒檀の机の上に置いた。
「この魔剣を手にした者が、『蒼精輝機団』の構成員だったの、知ってましたよね?知った上で襲撃させましたね」
「人聞きが悪い。確証はなかった。あくまで結果論さ」
と、カインは肩をすくめた。
『蒼精輝機団』は『赤星たちの十字団』と同じ五団の一つで、アーセナルトが所属する組織であった。
「ガーヘルト、ソフィア、ベーオウルフ、クリジェスらは、『蒼精輝機団』との抗争でしばらく動けませんよ。なのに聞いた話では、『赤星たちの十字団』にも喧嘩を吹っ掛けてるそうで」
「蒼と赤は裏で結託していたようだが、どうも蒼の動きが不可解で。蒼と赤がつるんでるのも後々面倒になりそうなので、先に赤を潰しておこうかと思って」
机の上の魔剣「影を飲むもの」に視線を落として、カインは軽い感じで応えた。
シャロンは、いつも勝手気ままな団長殿を横睨みに、深いため息を吐き出した。それは、どうせ言っても聞かないという諦めにも似た思いの表れであり、あてつけでもあった。
だが、そんなあてつけなど通じる相手ではない。
「それで、赤への対処は誰が?」
だいたいの予想はつくが現状把握のため、シャロンはあえて質問した。
蒼と赤どちらとも抗争状態に入った現状を鑑みると、これから先どう動くのか、カインの考えを聞いておきたかった。『蒼精輝機団』の時のようなサプライズはごめんである。
「赤はランスロット一人で十分だろ」
『死骸蟻団』序列第一位の男の無愛想な顔を思い浮かべる。あの男なら団一つを壊滅させるのも、容易ではないにしろ十分可能であろう。
「それより実験の方だ。ヒューバートに最後のピースを手に入れるよう指示しているが、そのまま彼の地で実験を強行する」
「また唐突な……」
「赤の目論見は天使召喚、それによる神秘的合一だと一目瞭然だが、蒼の意図が判然としない。賢者の石より、魔剣の奪取を優先したことといい、どういう思惑があってか。ただ単純に我々が魔剣を探しているのを知り、その邪魔立てをしたかったというだけなら、気に留めるほどのことでもないが。万が一、我々の計画が気取られているとすれば……。それに今回は新たに、予想外な因子である黒も関わってきているから、時間差を設けるべきではない。一気に相手の機先を制するべきだと判断した」
「黒?」
「アリアブルグに突如現れた冒険者で、一千の魔物の群れを一瞬にして殲滅したという黒の大賢者のことだ。何体かの魔族を単独で討伐したという噂も聞く。この魔剣もその男の物らしい」
「一千の魔物の殲滅に単独での複数魔族の討伐……。それが事実なら、その男一人で騎士団に比肩する戦力!なおさら性急に事を進め過ぎではありませんか?せめてオベリアかヴォルフォートが戻るのを待ってからにしては。もしくは、ガーヘルト達からの報告を受け、蒼の意図が少しでも明らかになってからにすべきです」
「いや、それでは遅い気がする。直感だが。こういうときの俺のそれはよく当たる」
「しかし、イレギュラーとなり得る要素が多すぎます。実験と並行してそれらに対処するには、人員も不足しております。すぐに動けるシングルナンバーも、今は私しかおりません。考えなおすべきです!」
と、難色を示すシャロン。
パタンと手に持つ本を閉じると、『死骸蟻団』団長カイン・ロガルディアは、有無を言わさぬ口調で言った。
「この機を逃せば、我々の悲願成就は遠のく。ここまで来たのだ。実験強行は決定事項だ。直接俺が出張る!」




