第五話「元魔王、戦闘指南す」
夢を見なかったのはいつ振りくらいだろう。村を、両親を、友達を、隣人を、なにもかも失ったあの日から見続けていた悪夢を。
こんなすっきりとした目覚めはここ何年もなかった。
しかし、起き上がってすぐさま絶望的な気持ちに叩き落とされる。
ガイの姿が見えない。
(置いて行かれた!?)
迷子が泣きながら母親を探すように、アリシアは叫んだ。
「し、師匠!師匠!師匠っ!」
「……うっせぇな、朝から。ションベンもゆっくりさせてもらえないのか?」
首をコキコキしながら、あくびを噛み殺しつつ、草むらからガイがのっそりと出て来た。
「師匠!」
「な!?ちょ、待て……」
ジャンピングニードロップでもかます勢いでアリシアがガイに抱きつこうと飛び込んできた。それを受け止めた反動で、ガイは後頭部を川原の石で強かに打ち付けた。
その胸に顔を埋めて、
「置いてかれたかと思った」
と、アリシアは唇を尖らせた。
「いてててて」
後頭部を擦り、身を起こしたガイが答える。
「置いてくつもりなら昨日のうちに置いてってるっつうの。……ったく。久々に目の前で星が散ったわ」
「それもそっか」
「とりあえず街か人里に向かうぞ。朝飯は干し肉な。食いながら行くから。あと、こいつをやるから、さっさと支度して来い」
と、ガイはアリシアに短剣と水袋を渡す。
「ラジャー!」
妙な敬礼ポーズで応じて、アリシアは腰に短剣を差すと、水袋を持って飲み水を汲みに川に向かった。
二人は干し肉を口にくわえ、川沿いを下流に向かって歩いていく。水の豊かな土地には街が栄えることを考えると、下流に向かえば川幅も広がり、街があるかもしれない。
道すがら、ガイが講釈を垂れる。
「短剣は長剣に比べ、短い分、力が分散しにくく、伝わり易いから扱い易い。特に突きでは体重を乗せやすく、力を倍加できるから、相手に致命傷を与えられる可能性が上がる。反面、相手の懐に入らないといけないから、それなりの俊敏さと彼我の距離を測る目の良さが求められる。逆に長剣で突きを繰り出すときに体重を乗せると、刺す角度によっては横向きの力が加わり、たやすく折れてしまう場合があるので、気を付けねばならない」
「だからあのときギガンテスの瞼に剣が通らず折れたのか」
うんうんと真剣に聞いていたアリシアは一人納得する。
「それと戦闘時には水袋の紐は切って少しでも身軽にしろ。さて、それじゃあモノは試しだ。さっきから俺たちの後ろ、風下から何匹か、オオカミの雰囲気に似た魔物が付いて来ている。アリシア、その短剣で一、二匹狩ってみろ。後ろと横は援護してやるから、正面に集中してやってみろ」
そう言うと、ガイは振り返って後方の草むらに、無詠唱で生み出した五本のアイスアローを無作為に放り込んだ。
すると、草むらからオオカミに一角獣のような角が生えた魔物が八頭出て来た。
見ると、さっきのアイスアローが当たったのか、二頭は手負いで、どれも殺気立ち、牙を剝いて二人を取り囲むように広がった。
アリシアは短剣を抜くと、言われた通りにさっと水袋の紐を切った。
どさりと水袋が地面に落ちたのを合図に、アリシアの正面にいた一角狼が彼女目掛けて突撃してきた。
アリシアの距離感覚は鋭く、紙一重でその狼の角を躱して真横に回ると、体重を乗せた突きを狼の首に叩き込み、真上に切り上げて頸動脈を掻き切る。
さらに後ろから突っ込んできた狼に、仕留めた狼の体を蹴り倒してぶつけて、体勢を崩すと、跳躍してその背に乗って、脳天に短剣を突き入れた。
それを見ていた他の狼たちは恐れをなしたか、キャインと犬のように甲高く鳴くと、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。
「俺の出番なしか。お前に怯えて狼どもが逃げ出しちまった」
「師匠、私、うまくやれたかな?」
「上出来だ。よくやった」
ガイは犬でも撫でるように、アリシアの頭をわしわしと撫でた。アリシアは猫が喉を鳴らすように、嬉しそうにガイに撫でられていた。
(狐は犬科だったような……猫みたいだな)
それを見てガイは、そんなどうでもいいことを思った。
「しばらくは短剣術を鍛えて、慣れてきたら槍術に切替えよう。お前には槍が向いてそうだ。並行していくつかアイスアローやファイアボールなど牽制のための魔法も習得していこう」
「私、魔法使えるの!」
キラキラと目を輝かせてアリシアが訊く。
「魔力量はそこそこありそうだからな。馬鹿じゃなければな」
「えっ?そ、それは……どうでしょう?」
バタフライ並に目が泳ぐアリシアには気付かず、ガイは続けた。
「だが、あくまでアリシア、お前の場合は魔法は補助だ。お前の一番の武器は、その俊敏さと間合いを測るその目だからな」
彼我との距離、相手との間合いを測る目は、ガイが思った以上だった。また倒した狼を蹴り上げて後続の狼にぶつけて体勢を崩す戦闘センスといい、実戦形式で鍛えていけば、五、六年で大成しそうな素質を感じる。
「街に魔物狩りの働き口てもあれば、実戦形式の鍛錬にはうってつけだな」
「それなら冒険者ギルドに行けばあると思う」
「冒険者ギルドか。その前に街まで辿り着くのに、あとどのくらいかかるのやら」
そうぼやいて、ガイは虚空に手を差し入れた。
そして、空間収納のアイテムボックスから干し肉を取り出し、口に放り込む。勇者にやられた後、セカンドスローライフへと旅立つために準備していた水袋や保存食などがこんなところで役に立とうとは。
「アリシアも食うか?」
「食う!」
アリシアは干し肉を受け取ると、ガイと同じようにさっと口に放り込み、さっき落とした水袋を拾い上げ、再び腰にくくりつけた。
翌日も、二人は川を横目に街を目指し、肩を並べて歩く。
幸い天気は良好のようだが、植生の濃いエリアに迷い込んでしまったようで、木々が鬱蒼と生い茂り、どことなく陰の気が漂う感じがする。
「嫌な雰囲気だ。アリシア、俺からあまり離れるなよ」
アリシアはこくりと頷き、おどおどと周りを眺める。
しばらく、昼間でも暗いその森を奥にどんどんと進んでいると、ふとアリシアが不安を口にする。
「し、師匠、なんだかここ、さっき通った道のような気がする」
立ち止まり、ガイは周囲を見渡す。
「どうやら、厄介なのに絡まれたようだ」
「厄介なのって?」
「俺も気付かぬほどの幻惑魔法の使い手」
言って、ガイはアリシアを抱えると、咄嗟にその場を飛び退いた。
さっきまで二人のいた空間に無数の鉄飛礫が!
「……ほぅ。避けるか」
抑揚のない低い声が暗い森に響き渡る。
(どうやらバカのようで助かった。幻惑魔法の有利を捨てて、攻撃してくるとは。ここにいるって言ってるようなもんだ)
内心ガイはほくそ笑む。
左腕にアリシアを抱えたまま、声のした方を、虚空より取り出した黒の大剣で無造作に薙ぎ払う。
空間が風に吹かれたカーテンのように波打ち、その隙間より、杖を手に祭服を纏う司祭が姿を現した。
それを見たアリシアが短い悲鳴を上げる。
「ひゃっ!?が、骸骨!」
髑髏に金の宝冠、杖を持つ骨の五指にはそれぞれ指輪、穢れた闇の祭服の上からはルビー・ざくろ石・オパール・藍玉の意匠を施した胸当て。
「祭服もキレイに整ったまま。死の制約をねじ曲げ、自らアンデッド化したデミリッチか」
「いかにも。疾うの昔に名は忘れ、人々は我を恐怖の対象としてそう呼ぶ」
「魔術研究にでも溺れたか?どうせ良からぬ類の研究だろう」
「すべての意識ある者を死から解放する。それが我の理想とするところ。しかし、研究には失敗が付き物。この場で四百二十七名の人命をもって、我はデミリッチへと進化を果たしたが、代償にこの土地に囚われてしまった」
「ここで死んだ者たちの無念が、今もお前をこの地に留めるというのであれば、お前をこの場で放っておくわけにもいかんな」
「それはこちらの台詞よ。なかなかここは旅人も訪れぬ。久々の獲物。この呪縛を解くには、多くの魂が持つエネルギーが必須。我のために死ねることを誇りに思うがいいっ!」
デミリッチが杖を振るうと大火球が生じ、周囲を焼き払いながら、二人に殺到する。
「無詠唱の大魔法!リッチですら到底敵わないのに、デミリッチになんて、勝てない……、もう終わりだ」
ガイの腕の中で青ざめた顔でアリシアが震える。
「ちょっと幻惑魔法が得意なだけのあんな雑魚に俺が負けるわけがあるまい。心配するな」
アリシアが見上げると、自信に満ちた凛々しい横顔。
「だが、アリシア一人ならその判断は正しい。しかし、すぐに諦めるのは良くないぞ。お前が一人のとき、ヤバい、敵わないと感じたら全力で逃げる手立てを考えろ。そう簡単に死を受け入れるな」
そう言うと、黒の大剣を一振りして、デミリッチの火球を容易く吹き飛ばす。
「なんと!!」
「すごい!」
デミリッチとアリシアが同時に感嘆の声を上げる。
「ならば、これならどうだっ!
仄暗き夜の底を這う闇なる黒炎よ。地獄の亡者すら泥灰と化す、無慈悲なる暗きその燈火にて、我が怨敵を一片の肉すら残さず、闇に引き摺り飲み込むがいい!アステロイド・ヘルファイア!!」
ガイとアリシアの周囲を、星型に五本の黒き炎が取り囲む。
「師匠、囲まれた!逃げられない!」
「問題ない。俺の傍にいろ」
それが爆発的に内へと広がり、二人を一気に飲み込んだ!
「ふんっ。他愛もない。さて、魂が天に召される前にエネルギーとして回収せねば」
「誰の魂を回収するって?」
黒炎が晴れると、そこには無傷のガイとアリシアが立っていた。
「我が最大魔法のアステロイド・ヘルファイアを喰らって無傷だと!?馬鹿なっ!」
「結界魔法は苦手なんだが、お前の魔法が貧弱で助かったよ。とりあえず滅べ。燃え散れ!ライジング・メテオライト!」
デミリッチの足下から凄まじい火柱が噴き上がった。
「ぐあぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
デミリッチの断末魔。
その魔法の名は、燃え盛る隕石の火が足下から噴き上がり、その上にある全てを焼き尽くす、言うなれば「立ち昇る流星の火」。まさにその名の通り、跡形も残さずデミリッチを一瞬で消し去った。
「さて、街に着くまで、そこらの魔物を倒していきながら、もう少し身体を動かせるよう修行だな」
ガイは茫然とするアリシアの頭を乱暴に撫でると軽く微笑んだ。
「は、はいっ!!」
(師匠に付いて行けば、絶対私は強くなれる!!)
と、アリシアは改めて強い確信を得たのであった。