第四十六話「元魔王、愛剣を売る」
リックワース商会の商館はアリアブルグ北地区の一等地にあった。
豪奢な邸宅前には、咲き始めの薔薇の庭園が広がる。
庭師が丁寧に手入れをしている薔薇を眺めつつ、商館内の応接間へと通される。
「まもなく当家の主人が参りますのでこちらでお待ちを」
ガイが席に着く。
「アリシアも座れよ」
アリシアはふるふると首を振って、何度かガイがすすめるも頑なに座ろうとはしなかった。
そのうちに、長身で細身の四十代半ばくらいの男が部屋にやって来た。
「これはこれは、大賢者殿、よくぞお越しになられました。お噂はかねがね伺っております。私は、この商会の会頭を務めておりますアーセナルト・リックワースと申します」
「さっさと座れ。お前の名などどうでもいい。馴れ合うつもりもない。単刀直入に聞く。このアリシアの身柄を買い取るのに、いくらいる?俺はアリシアを手放すつもりはない」
「師匠……」
目にいっぱいの涙を溜め、アリシアはガイの背を見つめる。見捨てられるかもしれないと不安だった。けど、きっぱりと手放すつもりはないと言ってくれた。本当に嬉しかった。
「ははは、気が早い御仁だ。ただあなた様に買い取ることができるでしょうか」
「勿体ぶるな。さっさと言え」
「狐人族はとても珍しい。しかも妙齢の娘となると、買い手はいくらでもいる。そうですな、金貨一千枚というところでしょうか」
「そんなはずない!!獣人の奴隷なら高くてもせいぜい金貨百枚もしない!一千枚なんて法外過ぎる!!」
と、アリシアは訴えた。
「いやはや、自分の価値をわかってないとみえる。それに奴隷の値段は奴隷商が決めるもの。奴隷自身が決めるものではない。いかがですかな、大賢者殿?こちらが契約書になります」
「随分と用意周到だな」
「はじめから価格は決まっておりましたから」
優越感に浸るようにガイを見、黒い笑みを浮かべる奴隷商人。
提示された契約書を見て、ガイは机の上に置かれていたペンを手に取った。すると、一切迷うことなくサッとサインを記入した。
「しかし、自分の価値をわかってないというのには同意見だな。まったくもって安過ぎる。が、有難い。たかだか大金貨一千枚でいいとは。そいつは助かる。交渉成立だな」
ガイは目の前の奴隷商人に握手を求めた。
握手を無視してアーセナルトは叫んだ。
「なっ!?大金貨一千枚を即決だと!!ど、どうやって払うつもりだ!」
「こいつを売ろう」
ガイは黒の魔剣「影を飲むもの」をどんっと机に置くと、なんの躊躇いもなく、言った。
先の戦いでガイは現在、魔力が使えぬ状況で空間収納も使えず、手持ちの金目の物といえば、この魔剣くらいしか今は手元になかった。
「なかなかの業物だ。見る者が見れば、大金貨一千枚くらいの価値はあるだろうよ」
「師匠!!ダメだよ!それは師匠の大切な剣!私なんかのために手放していいものじゃない!!」
「お前だから手放すんだよ。アリシア、お前の方が大切だから」
アリシアは言葉もなく、涙する。
「そんな剣が大金貨一千枚になどなるものかっ!!」
ちょうどアーセナルトが立ち上がり、そう言い放ったとき、応接間の扉が開き、バグスとレカイオンがやって来た。
「それはどうですかな。お互い信頼のおける鍛冶師か武器商人を呼び、鑑定してもらいましょう。我々は雑貨商に奴隷商。多少の鑑定はできても、やはり武器は門外漢。業物になるとなおさら。餅は餅屋にまかせるのが一番。価値を個人の主観により決めつけるのはよくありませんよ、リックワースさん」
入ってくるなり、バグスがぴしゃりと言ってのけた。
同業者の声だけに無視することもできなかった。
下手にゴネて商業ギルドに通報され、ギルドの介入を招けば、法外な価格設定をしているリックワース商会は非を責められ、より不利になることは火を見るよりも明らかであった。
「…………そうですな。わかりました。先程は声を荒げ、失礼しました。鑑定士を呼び寄せ、その剣を査定してもらいましょう」
ぼふっと革張りのソファに倒れるように座り込むと、観念したか、アーセナルトはバグスの提案に同意した。
「バグス、来てくれて助かった。感謝する」
「いやいや。あんたにはだいぶ儲けさせてもらったからな。これくらいお安い御用さ」
「この前のあれ、もう売れたのか?」
「ああ。大市前に売れちまったよ」
ガイと話しながら、バグスは机のペンを手に取り、さらさらとメモを書くと、レカイオンに渡して頼んだ。
「レカイオンさん、こちらのメモに記した人のうち、どなたでもいいので、二人呼んで来てもらえますか?鑑定を依頼したい。商業ギルドに話せば、店や工房の所在は教えてもらえます」
「レカイオン、小間使いばかりですまんが、頼まれてくれるか?」
「もちろん!すぐに連れてくる」
と、レカイオンは足早に部屋を出ていった。
バグスたちと話している間、アーセナルトもセイヴィアを呼び付け、何事かを小声で話していた。
「セイヴィア、あの剣をこちらでなんとしても買い取りたい。わずかな望みだが、彼との関係を切らさぬためにも。すぐに大金貨一千五百枚用意し、バグスが連れてくる者の鑑定額より二百枚上乗せ、鑑定するよう鑑定士に言い含めよ」
その内容は、ガイたちには聞こえていなかった。
「ところで、いいのか?それ」
机の契約書を顎で指し、バグスはガイに耳打ちする。
「この金額は法外過ぎる。商業ギルドに訴えれば、この契約を無効にできるが」
「無効にして、やはりアリシアを手放さないと言われる方が困る。法外だろうが、正式な契約書がこうして存在するのは有益だ。そう考えると、大金貨一千枚など端金だ」
「お前さんは雅量に富む男だな」
「俺が俺自身でアリシアと縁を持つと決めたことだから。自分で決めたことを曲げる気はないだけさ」
それからしばらくしてレカイオンが、バグスが懇意にしている鍛冶師と武器商人を連れて戻って来た。
アーセナルトが連れてきた者と三人で、ガイの剣の鑑定を行う。
「これ程の業物は見たことがない」
「聖剣、魔剣、神剣に類する伝説級の代物だ。生きている内に、かようなものを目にする機会に恵まれるとは」
「こいつに値段を付けるのか……難しい……」
三人ともあれやこれやと言い合いながら、査定価格をなんとか決めた。それぞれ大金貨八百三十枚、一千百四十枚、一千三百四十枚と値を付けた。
意外なことに最も高値を付けたのは、アーセナルトが連れてきた武器商人であった。
「師匠……私、一生かけてでも師匠の大切な剣を取り返すから。こんな私に大切な剣をかけてくれてありがとう」
「気にするな。お前はもう俺の家族みたいな存在だ。剣など掃いて捨てるほどあるが、お前は一人しかいない」
ガイはアリシアの頭をわしゃわしゃ撫でると笑った。
アリシアは堪えてきたものが溢れ出し、ガイの胸に飛び込み、子供のように泣きじゃくった。
「さて、話はこれで終わりだな。俺たちは帰らせてもらう」
机の上の契約書を懐にしまうとガイは言った。
すると、アーセナルトがその背に声を掛けた。
「残金は後で届けさせよう」
「不要だ。俺たちに二度と関わるな」
そう言うと、振り返りもせず、ガイはアリシアたちを連れてその場を後にした。
「すまない、セイヴィア。どうやら私は接し方を間違えてしまったようだ。彼ほどの男なら、素直に助けを求めていれば、力になってくれていたやも知れぬのに」
悔しそうに膝を叩き、アーセナルトは後悔を口にした。
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