第四十五話「元魔王、老害と会話す」
五月大市が開催される三日前。
それは唐突にやって来た。
ギルドからの討伐依頼や採取依頼を近場でこなしつつ、鍛錬を重ねながら、日々を過ごしていたガイたちの前に。
「大賢者ガイ・グレーシアス様でいらっしゃいますね」
少し遅めの朝食を【風の凪亭】で食べている時だった。
向かいに座っているアリシアがきょとんとした顔をする。レカイオンは相変わらず無表情なので、どういう感情なのか、計り知れないが、三者三様、声を掛けてきた老紳士に視線を向ける。
濃紺のジャケットのボタンをしっかりと留め、落ち着いた身なりの、口髭を蓄えた老紳士だ。
はっきり言って、誰も見覚えがない男性だ。
けれど、その男性がガイに用向きを伝えると、アリシアの顔が一瞬にして青ざめる。
「主人アーセナルト・リックワースの使いで参りました。我が商会の奴隷を保護して頂いたそうで、主人は大賢者様に大層感謝しております」
老紳士は穏やかにそう言うと、アリシアを一瞥する。
「つきましては、奴隷の引き渡しと謝礼について、当家主人より直接大賢者様にお伝え致したく、これより同道頂ければ幸いであります」
丁寧な物言いだが、有無を言わせぬ圧が込められている。
奴隷制度はこの国では合法だ。おそらくアリシアの所有権は商会にあり、魔力紋や指紋を照合すれば、所有権をたやすく証明できるのだろう。
(ここで騒ぐと法律上、こちらが不利になるとわかった上で、慇懃無礼にも正面から声を掛けてきたのか。こちらに拒否権はないというわけか)
それは、同道という言葉からも理解できた。同道は目下の者を連れて行くときに使われる言葉だ。
「わかった。行こう。ただ交渉事は知り合いの商人に一任している。その場にバグス・アルバインという商人を呼んでくれ。でなければ、日を改めてもらおうか」
「わかりました。すぐにアルバイン氏にも使いを遣りましょう」
すんなりと話が通った。
それほどに、街に到着した初日にたまたま出会った商人は、名が知れ渡っているというのか。もしくは、使いを出したフリをして、適当な理由をつけて連れてこないつもりか。
その時、ガタンっと椅子を引いて、レカイオンが立ち上がった。
「バグスさんに会いたいからあたしも連れてって。居場所、知ってるんでしょ?」
「後ほど商館へお連れしますから、そちらでお会いになられればいかがですかな?」
「いいえ。一刻も早く会いたいわ。久しぶりだもの。何かあたしが付いて行ったら、マズいことでもあるのかしら?」
珍しくにっこりと老紳士に微笑みかけて、レカイオンが言った。
レカイオンも薄々何かおかしなことになっていると気付いてくれているようだ。うまく話を合わせて、相手を牽制してくれている。
「いえいえ、そのようなことは……」
「商業ギルドに問い合わせれば、所在はすぐ掴めるだろう。けど、こちらの話も急なので、忙しいとかなんとか言って、バグスに断られないよう、俺の名前を出して連れて来てくれると助かる」
ガイは老紳士にもしっかりと聞こえるように、レカイオンに言った。
何か理由を付けて、バグスを連れて来ないというのは通じないぞと、暗に釘を刺した格好だ。
「わかったわ。必ずバグスさんを連れて行くわ」
「しかし、よろしいので?獣人なぞ使いに出して。アルバイン氏が気分を害されて、お越し頂けないかもしれませんぞ。それに我々が用意した馬車は、人種族用でして、獣人を乗せることはできないのですが」
「それならば俺も歩いて行こう。生憎、種族で人を判断するような狭量な老害と同じ馬車に乗り合うなんて、俺も考えられないので馬車は結構。歩きだと、だいぶ時間はかかるだろうがな」
痛烈な皮肉を返すガイ。ついでに徒歩なら商館に到着する時間を遅らせられる口実にもなる。
老紳士は苦虫を噛み潰したような顔をする。歯軋りしながら、苛立ちを隠さず、言う。
「そこの狐人族の奴隷はもともと我が商会の物。先にお引き渡し頂きましょうか。あなたは後から好きに歩いて来られればいい」
「正式に謝礼をもらっていない以上、アリシアの所有権は拾得者である俺にまだあるはず。この場での引き渡しは拒否する」
「人が下手に出ておれば!拾得者は拾得物を速やかに警察各所に届けねばならぬというのに。一週間以上も届けを出さず、そのような勝手が許されるとお思いかっ!そもそも七日以内に届けねば、報労金を受け取る権利もなくなるというのに、謝礼をもらっていないだと!?厚かましいにも程がある!!」
法律を盾に一気にまくしたてる老紳士。
対してガイは冷静に言い返す。
「枷がないと奴隷かどうかも判断できない。それをどうやって届ければいいというんだ?」
その枷を壊したのはどこの誰だか。ガイは自分で枷をぶっ壊しておきながら、いけしゃあしゃあと言い放つ。
「その奴隷に聞けばわかるだろうが!」
「俺は、人を種族で判断するような狭量な男じゃないんでね。『お前、奴隷か?』などと、聞くわけないだろうが。お前、人の話聞いてたか?それとも、そこそこ馬鹿なのか?」
鼻で笑ってガイは目の前の老害紳士をあしらう。相手を怒らせることに関しては、まったくもって絶妙な口撃をする。
鬼の形相で何かを言いかけた老紳士の顔が突然ひしゃげて、体がふっ飛んでいった。
近くのテーブルを派手にひっくり返して、完全に伸びる。
「喧嘩なら他でやってくれ!!」
宿屋の主人が厨房からあわてて出てきて、怒鳴った。
老紳士の後ろに立っていた小柄な金髪の青年が謝る。
「お騒がせして申し訳ありません。当家の者が失礼なことをしましたので、鉄拳制裁をしただけです。壊してしまった備品は、後ほど弁償させて頂きますので、ご容赦ください」
「片付けて弁償してくれるならいいけどよぉ」
そう言って、宿屋の主人はややこしそうなことに関わるのはごめんだとばかりに、さっさと奥に引っ込んだ。
「大賢者様、当家の者が大変失礼をしましたこと、彼の者になり代わり、謝罪させて頂きます。申し訳ございませんでした」
小柄で老紳士の影に隠れていたとはいえ、全く気配に気付かなかった。しかも、裏拳で老紳士をたやすくふっ飛ばすとは。何かしらの訓練を受けているのは間違いない。
「主人がお待ちですので、どうぞお二方とも表の馬車へ」
「人種族専用ではなかったのか?」
「そこの老害の妄言にございます。そちらの女性にも馬車を手配するように」
近くの者にレカイオンのための馬車を用意するよう指示を出す。
「これよりは私、セイヴィアめがご案内を務めさせて頂きます」
と、金髪の青年がにっこりと微笑んで名乗った。
「あの老害は当て馬で、お前さんが本当の使者か。それで、俺はお前さんのお眼鏡に叶ったということか?」
「はてさて、何の事やら。さ、どうぞ表の馬車へ。このままというわけにはいかないのはおわかりでしょう。そこそこ馬鹿でなければ」
にこにことした人懐こい顔を崩さず、セイヴィアが不穏当な言葉を吐き、馬車へと二人を促した。
ガイは脇の黒剣を手に持つと、黙ってセイヴィアに従った。その後を無言で俯いたアリシアが続いた。




