第三十六話「アリシア、レカイオンVSブーハビーズ」
四人が閉じ込められたのは、長い回廊の左右に、青と白の扉がずらりと並ぶだけの空間だった。幅は三人が横並びに歩いても、十分な広さがある。
回廊の端にある赤い扉の前で、ガイは腕を組み、考えていた。
さっき試しに、空間収納が開くかどうか試してみたところ、普通に開いた。また、炎の魔法で扉を攻撃したり、死魂兵の亡骸を焼き払って片付けたりしたが、酸欠になることもなかった。
(空間収納も開き、しかもドアスコープからは外が見える。そして、空気も普通にあるということは、外界と完全に隔絶された空間ではないということ。さほどの制約もないようだし、ただ単に閉じ込められたというだけのようだ。しかし、ここからどうやったら出られるのか?)
程なくして、ラーサムたちが片っ端からドアノブをガチャガチャと開くかどうか確認しつつ、戻ってくる。
「大賢者様、オレたちが閉じ込められていた扉以外は全部鍵がかかっていて、開かないっす」
「その大賢者っての、とりあえずやめろ。ガイでいい」
「はぁーい!ガイ様!」
と、ケイシーが愛想よく、手を挙げて返事をした。
「反対側の赤い扉も、他と同様に施錠されていて、開きませんでした」
代わってミカナが生真面目にも、直立してそう報告する。赤い扉は二枚だけ。普通に考えるなら、入口と出口であろうと推察される。
「反対側の赤い扉を見てくる。お前たちはそこの開いてる扉の中で休憩しててくれ」
「ガイさん、俺たちにできることは何でもしますから言ってください!」
「わかってる。反対側の扉に魔法を叩き込んでみる。そこそこ強力なヤツを。だから、お前たちを巻き込みかねないのでな。それで開けばいいが。開かないときのことも考え、休憩しながら何か方策はないか、考えておいてくれ」
「はい、わかりました!お気をつけてください。くれぐれも無茶しないでくださいね」
ぐっと顔と身体を近付けて、ケイシーが潤んだ瞳で言った。
「ああ」
さしてケイシーのことなど気にもせず、気のない返事をして、ガイはさっさと反対側の扉へと歩いて行ってしまった。
「脈なしね。残念だけど」
「そんなことないわ。照れてるだけよ。ミカナ達が見てるから、あえて素っ気ないフリをしてるのよ」
「ミカナ、ほっとけよ。今に始まったことでもなし」
「いつものアレね。ケイシーの恋患い。恋する乙女は盲目って言うし。そうね」
ラーサムとミカナは呆れ顔で肩をすくめた。
ただただまっすぐな回廊を進んでいくガイ。
(さっき見たときより、心なしか、実際に歩くと長く感じるな)
もと来た一本道をふと振り返る。反対側の赤い扉が見えなくなっていることに気付く。
(やはりこの回廊は、実際に長くなっているようだ。だとしたら、どういう仕組みで伸びている?)
結構歩いて、やっと反対側の端にある赤い扉に辿り着いた。とりあえず外を確認しようと、ドアスコープを覗き込む。
どこかに扉が出現しているのか。仕組みは分からなかったが、ガス灯の明かりに照らされた、ロン毛魔族の背中が見える。たしかブーハビーズと言ったか。しかし、見えるアングルが扉にしてはおかしいように思う。
その肩越しに、見知った顔があった。
「アリシア!レカイオン!なぜお前たちがここに!?無茶だ!逃げろっ!!」
思わずガイは叫んだ。けど、声は聞こえないのか、二人に反応はない。
レカイオンがローブの下から仮面を取り出して顔に装着すると、腰の双剣を抜き放つところが見えた。
ガイは扉に拳を叩き込む。なんとか赤の扉を開けようと。けれども、扉はびくともしない。今度は炎の魔法を扉に炸裂させるも、全然変化はない。
「その仮面に双剣。そして、この気配……お前、バイアケスが言っていた、レカイオンってヤツっしょ。なんで、人間の街なんかにいるっしょ?しかも獣人なんかと一緒に?それに、剣を抜くってこたぁ、オレとやる気ってこと?」
鈍い光を放ち、ざらつく視線を向けて、ブーハビーズは訊いた。
「そう。もうあたしは虐げられない」
明確な意思をもって、レカイオンは大きく一つ頷いた。
こうやって遭遇してしまった以上、逃げることは難しい。それに、この男の近くから微かだが、ガイの気配を感じる。何か知っているかもしれない。
「――ガイはどこ?」
「そうだ!師匠をどこにやった?」
アリシアがレカイオンに追随し、槍を構えた。
「あの全身黒ずくめの男か。知りたければ、オレから力ずくで聞き出してみるっしょ」
そう言って、ブーハビーズは虚空に手を突っ込み、空間収納より、フランベルジュを取り出す。
刀身が炎のように波打つ長剣である。ブーハビーズの長身と相まって、かなりのリーチの長さになる。下手をしたら、アリシアが持つ槍以上のリーチがありそうだ。
「さぁ、来いよっ!来ないなら、こっちから行ってもいいけど、どうするっしょ?」
ピアスだらけの顔を、ニヒルに笑みの形に引き歪めてブーハビーズが誘う。額の三つ目がギョロリと動いた。
(リーチは相手にイニシアチブがあるけど、手数なら双剣のあたしに分がある)
「瘴気転式!『流絡纏剣』」
一気に距離を詰めた。
舞うような剣撃を連続で繰り出すレカイオン。
フランベルジュで鮮やかに捌きながら、ブーハビーズはわずかな合間を見抜き、攻撃に転じる。いつの間にか、攻守入れ替わり、ブーハビーズが無数の滅多切りで、レカイオンを押し込んでいく。
ドアスコープからの視界が、ブーハビーズの動きに合わせて、激しく揺れる。
ブーハビーズの『結扉双極回廊』には、入口と出口の概念があった。中に生きたものを閉じ込めると、入口を消すことができず、固定される。出口は、その入口から一キロまでの距離の制限はあるが、任意に設定できる。出口を設定していない場合、ブーハビーズの背後に仮の扉が設定され、視界だけは距離の制限なく確保されるという仕様があった。
だから、ドアスコープを覗くと、ブーハビーズの背中と肩越しが見えた。
レカイオンの腕や足、頬や肩に裂傷ができていく。
(速い!双剣のあたしの手数を上回る連撃。このままだと、致命傷を負うのも時間の問題)
「おらおら!どうしたっしょ?二本も剣持ってて、防戦一方か」
レカイオンに距離を取る時間を与えるため、アリシアがブーハビーズの気を引きつけようと、槍を投擲した。
槍の軌道は、ブーハビーズの三つ目に完全に読み切られ、軽く左に上半身をひねるだけで躱された。
ブーハビーズの乱撃はさらに速度を増して、レカイオンを追い詰めていく。
ついに、レカイオンの右手の甲を深く斬り裂き、右の剣を虚空に跳ね上げた。
そして、がら空きの上半身にフランベルジュが振り下ろされる!
フランベルジュ――別名「死よりも苦痛を与える剣」と呼ばれるそれは、波形の刃で切り裂くことで、止血を難しくする恐ろしい剣。その剣で上半身を左袈裟に斬られたら、失血死は免れられない。
「レカイオン!!」
叫んでも届かない。拳が破れて血まみれになるほど殴りつけても、扉は開かない。
何が「俺の手の届く範囲でなら守ってやる」だ!
「クソッ!!レカイオン!!」
ガイは扉に激しく額を打ち付けた。
そのとき、ドアスコープがちかっと眩い光を一瞬放った。
あわてて覗き込むと、レカイオンから距離を取るように飛び退くブーハビーズの背が見えた。
右手を押さえて離れるレカイオンに、視界の端に黄色の蛇――――雷撃の魔法か!
「そんなものを隠し持っていたのか!獣人のガキが舐めた真似をしてくれるっしょ。お前から殺してやるっしょ!」
アリシアの左手には赤い筒が、右手には短剣が握られている。
シュリに渡した魔法筒か!と、ガイは気付いた。
ブーハビーズの乱連撃を紙一重で躱しまくるも、さすがにその懐に飛び込むのは厳しい。
アリシアは、わざと短剣をブーハビーズの剣先に当て、軌道を反らし、ガス灯の鉄棒にフランベルジュをぶつける。
あわよくば、刀身が折れるか、鉄棒に食い込んで止まるかを期待したのだが、そのどちらも叶えられることなく、乱暴にガス灯の鉄棒を切り飛ばして、フランベルジュがアリシアに迫る。
「そんな短剣で防げるとでも?」
(殺される!?)
アリシアの脳裏を死が過ぎる。
レカイオンの固有技能『流絡纏剣』は、相手の魔法や攻撃の衝撃を剣に吸収し、蓄積できる技能だ。さっき左剣に取り込んだ力を解放し、地面に剣を突き立てて、石畳を激しく割った。
ぐらついた足場にバランスを一瞬崩すブーハビーズ。舌打ちとともに横に跳び、アリシアへの追撃を一旦諦める。
「レカイオン、ありがとう」
「剣に力を貯めて放つ能力か。そんで、そっちのガキの武器は短剣に魔法筒。手の内がだいたい知れたっしょ。どちらも初見で決めとかないと、オレレベル相手だと、もう通用しないっしょ。詰んだっしょ、お前ら。げはははははっ」
高らかにブーハビーズは笑い、瞬間でアリシアとの距離を詰め、左腕で無造作にぶん殴る。
アリシアは腕を交差させ、咄嗟頭を守るも、ぐごぎっと骨の折れる嫌な音がし、身体はボールのようにすっ飛ばされる。
「アリシアっ!?」
「人の心配してる場合かどうか、よく考えるっしょ!」
レカイオンの腹に強烈な膝蹴りを入れる。
「ごはっ!?」
仮面の下から血が滴り、レカイオンは腹を抱えてうずくまる。
(さっきの剣撃も手加減されてた……今も、いつでも殺せるから、剣じゃなくて蹴り……レベルが違い過ぎる)
諦観がじわりとレカイオンの心に広がる。
倒れた彼女の頭部を左足で踏み付け、ブーハビーズが嘲る。
「勝てるとでも思ったか!魔族の裏切り者が!惨たらしく処刑っしょ!イッツ処刑タァーイム!げはははははっしょ!」
ザクッ。背中に鈍い痛みが走った。
「やっぱり正面だけ。背中には目がないから見えないんだね」
「あんっ!?ガキが何やってくれてんだっしょ?両腕圧し折ったってのによぉ」
「折られたのは右手。左手は動く」
ぐりぐりと短剣をブーハビーズの背にさらに刺し込んでアリシアが言う。
「その足をどけないと、もっと刺すよ!レカイオン、立って!」
「調子に乗るなよ」
兇悪な裏拳がアリシアの顔を潰す。
残ってる左手でなんとかガードをするも、またもアリシアの身体はボールのように地面に叩きつけられて転がった。
「あのクソガキは後でぶち殺すとして」
何でもないように、背中に刺さった短剣を抜いて捨てる。
――――と、足に力をこめ、レカイオンの顔で石畳を砕く。
「石畳と一緒に仮面が割れたか。さて、次はもっと力を入れてみるっしょ。そしたら顔面、トマトのように潰れるか?試してみるっしょ。げはははははっ」
どんっ!と、両腕砕かれたアリシアがブーハビーズに体当たりして、レカイオンに言う。
「立って……あきらめちゃダメ……」
けど、小柄なアリシアの体当たりなど、ブーハビーズには痛くも痒くもない。
「何がしたいっしょ?後で殺してやるからゆっくり待ってるっしょ」
と、ブーハビーズはアリシアの襟首を掴むと、住宅の壁に雑に投げつけた。
強かに外壁に身体を打ち付けられるも、それでも、アリシアはゆらりと立ち上がった。
「もう武器も持てないのに、どうして……」
レカイオンの心は既に折られていた。けれど、どうだろう。自分よりも弱い、魔族でもない獣人の少女の、この心の強さは。
「師匠……師匠が近く、……いる、頑張ろ。……もう少し」
(心の底からアリシアはガイのことを信じてるんだ。例えこのまま死んだとしても、アリシアはガイを信じ切ったまま、逝くんだろう。信じ抜いているからこそ、悔いもなく。どうせ死ぬなら、そんな風に誰かを強く思って死にたい。
それに、あたしが決めたんだ!ガイに付いてくって。あたしが初めて、あたし自身でガイを信じると決めたんだ!信じないでどうするのよ!!)
レカイオンは力を振り絞り、立ち上がる。
「あのガキに何、触発されてるっしょ?お前らうざいっしょ。特にガキ、お前はゾンビみたいに何度も何度も。とりあえず死んどけ」
フランベルジュを大上段に振り上げ、もはや抵抗できないアリシアに迫ると、ブーハビーズは容赦なくその剣を振り抜いた。
――――いや、剣は振り抜けなかった。
なぜなら、どこからともなく現れた、のたうつ大蛇の如き火群が地を裂き、ブーハビーズを飲み込もうと迸ったから。
しかし、ブーハビーズは既のところでその爆炎を避け――すると、炎はレカイオンへと向かった。
「どういう角度で放ってるつもりっしょ?マジ馬鹿っしょ。どこぞの誰の魔法かわからん炎で焼け死にやがれっしょ」
「この火群はあたしへの助け舟!」
レカイオンは双剣を拾い上げると、その見覚えのある炎を『流絡纏剣』にて斬り裂いて、双剣に纏わせた。
「ガイのティアーズ・インフェルノ……水精の加護のある剣なのに……でも!リチュア、レポア、今だけは炎に味方して」
連星剣を守護する双子星の名を呼び、レカイオンは再び心を強くして、ブーハビーズに挑む!!
火の粉を撒き散らし、舞うような剣撃をブーハビーズに見舞う!
その火の粉は、粘り気のある水のような形状で、ブーハビーズの身体にまとわりつき、継続して火傷を負わせる。それはまさしく水の精の加護に違いない。
「力を貸してくれるのね、リチュア、レポア!!」
「くっ……」
肉の焼ける嫌な臭いが鼻につく。ぎりりっと奥歯を噛み、怒りに打ち震えるブーハビーズ。
「八つ裂きっしょ!!八つ裂きっしょ!!八つ裂きっしょ!!その炎が尽きれば、お前ら二人とも八つ裂きにしてくれるっしょ!!!」
目をやられたらまずいので、烈しい火の粉から両目を守りつつ、ブーハビーズはその炎が尽きるのを待つしかなかった。
「レカイオン、あと少し時間を稼いでくれ……」
ガイは、空間収納から魔剣「影を飲むもの」を取り出して呟いた。
ブーハビーズの固有技能は、あくまで回廊による移動技能であって、封印技能ではなかった。
また、この回廊内と外界は完全に隔絶されておらず、扉の外に干渉ができると、ティアーズ・インフェルノによって証明された。
しかし、扉を隔てて、解き放した魔法を制御するのは難しい。また視覚的にも限られ、ブーハビーズの眼前に対してはよく視えるが、ブーハビーズ自身に魔法を命中させるのは至難だ。さっきのティアーズ・インフェルノもたやすく躱された。
けれども、次善の策をレカイオンが気付いてくれ、『流絡纏剣』に炎を纏わせることに成功した。が、いずれ時間で炎のブーストも尽きる。
次で、確実にブーハビーズを仕留めなければ、アリシアとレカイオンは殺される。
「迷うなっ!アレを使うしかない局面だ」
自分に言い聞かせるように、ガイは言った。
不可避にして、絶対死を与えるガイの固有技能。ただ一度使うと、瘴気も魔力も莫大に消費し、一ヶ月はどちらも使えなくなる。
それより、ガイを躊躇わすものは――――
不可避の絶対死は、確実にその一人の未来永劫を途絶せしめ、魂を破壊し、輪廻の輪からも逸脱させ、命の尊厳を踏み躙る。普通の死とは全く異質な死を与える。
いくら魔王であっても、そんなことが許されていいわけはない。それはもはや神の所業。
けれど、アリシアとレカイオンを救うにはもう選択肢はない。
「もう一生使うことはないと思っていたのに……」
レカイオンの双剣から火が消える。
ブーハビーズは勝利を確信した。
「やっとだ!やっと殺せるっしょ!!」
ガイは黒剣の瘴気を解放する。
そして、ただ一言――――囁くように呟いた。
「瘴気転式『万死断魂台』……」
どこからともなく無数の赤黒い鎖が、ブーハビーズの四肢を瞬き程の間に囚えた。
もはや何人も逃れ得ぬ縛鎖。
「な、なんだ!こ、このおぞましい、く、鎖は!?」
本能で感じ取ったか。ブーハビーズは恐怖に引きつる声で叫んだ。
足元から、墓標の如き赤黒い石柱が競り上がって来た。さらに二本の赤黒い鎖が闇より生じ、ブーハビーズの腰と首を、磔のように石柱に括り付ける。
「ま、魔法が使えない!?な、なんなんだっ!この鎖は!?動けないっ!」
「師匠……」
「何、これ……」
その恐ろしい成り行きを、アリシアとレカイオンはただ茫然と見守る。
ごーん、ごーん、ごーん、ごーん…………。
脳に直接響き渡る低い鐘の音。まるでそれは、鎮魂の鐘。
「なんだ、な、何が起こってる!や、やめろ!!鐘の音を止めろ!止めてくれ!!」
十三回目の鐘が鳴り止むと、鎖がブーハビーズの四肢を無慈悲に引き千切り、闇に消える。
「ぎぃやぁーっ!!い、痛い痛い痛い!!助けてくれ!!や、やめてくれ…………!?」
同時に、頭部と胴体だけになったブーハビーズが、石柱ごと闇に没していく。
「嫌だ!嫌だ!消えたくない、消えたくない。た、魂が喰われるっ!?や、やめてくれ!殺すだけにしてくれ!殺すだけで勘弁してくれ!」
ぐちゅぐちゅ、ぐちゃり。悲痛な叫びを残して、不気味な音を響かせて、ブーハビーズは絶望の闇に喰われた。その存在ごと。
やがてまもなく、世界からブ●●●ーズの存在が完全に消される。
赤い扉が霧散する。閉ざされた空間から、ガイは復帰したのだった。