第三十五話「【銀馬蹄】VSバイアケス」
狐耳がピクンッと動いた。同時に、アリシアは顔を跳ね上げ、振り返る。東の方を。
「…………師匠」
「アリシア、どこに行くの?」
避難している学校の教室から、ふらりと出て行こうとしたアリシアをシュリが見咎める。
「師匠の気配が薄くなって……ちょっと心配だから、見てくる」
「危険よ!」
シュリは周囲に聞こえないよう声を落として言った。
「相手は魔族。私たち二人でも全然敵わなかった。アリシアが行っても何もできることはないわ」
「そうかもしれない。けど、居ても立っても居られないの!それに、師匠以外に誰が私を強くしてくれるの?」
有無を言わさぬ口調だった。シュリは次の言葉を継げなかった。
ガイがいなければ、アリシアは死んでいた。それを救ってくれたばかりか、戦う術を教えてくれた。ガイ以外の他の誰でもいいわけじゃない。ガイじゃないとダメなのだという強い響きを含んだ言葉だった。
「アリシア、ガイのところに行くの?」
不安そうにレカイオンが訊いてきた。
「うん。師匠の気配が急に薄くなったような気がして」
「私も行く!ガイの手の届く所にいたいから」
「はぁ。レカイオン、あなたまで。……止めても無駄なようね」
シュリは大きく嘆息して言った。
アリシアはこくりと頷き、駆け出そうとした。
その背にシュリが声を掛ける。
「ちょっと待って!」
「何?」
「これを持って行きなさい」
シュリは、以前にガイから受け取っていた赤と黄色の魔法筒をアリシアに手渡す。赤は爆発、黄色は雷撃の魔法が込められている。筒の蓋を外して、対象に向かって投げつければ、魔法が発動する魔法道具である。
「二人とも気をつけてね。死んだら絶対許さないから」
「シュリ、ありがとう。いってくるね!」
「レカイオン、アリシアを頼んだわよ」
「なんとか頑張る」
シュリは二人の背を見送るしかなかった。本当なら一緒に行きたかったが、自分の実力じゃあ、二人の足手まといにしかならないことがわかっていたから。
「どうか皆、無事に帰ってきて」
シュリは祈らずにはいられなかった。
その頃、北の地区では――――
住宅街の大通りを、三つ目の魔族がこちらにゆっくりと向かってくる。
倒した死魂兵の死体の山を背に、ミスリル級冒険者パーティー【銀馬蹄】のメンバーが身構えた。
「ここに巻き毛の女はいないのかい?」
ガス灯の下、バイアケスは相対する【銀馬蹄】のメンバーに尋ねた。
前衛の、大盾と大剣を持ったガルフが応じる。
「さて、どうだろうか?素直に答えてもらえるとでも思ったか?」
中衛には、左にルーリア、右に弓を引き絞るクレスト。後衛に、ミアといういつもの鉄壁のフォーメーション。
「いや。まぁ、どうでもいいけど。どうせ皆殺しだから。どちらにしろ、君らをさっくり殺して、さっさと次に行かせてもらうよ」
裂けるようにニタリと、貴族然とした魔族が笑みを浮かべた。
ミアが三人に身体強化魔法をかけるのが合図となった。
魔力を感知したバイアケスが先に動いた。
速い!けど、動きは見える。ガルフは盾を突き出し、バイアケスの鋭利な爪を止める。
がぎっ!ミスリルの大盾に三本の爪痕。
無言でガルフが大剣を振り下ろす!
飛び退くバイアケスに、クレストが矢を連射し、ルーリアが力ある言葉を解き放った。
三人による連携攻撃!
「ヴェスタバーン・フレアナート!!」
羽根を広げた大鳥のような爆炎が、バイアケスを抱擁さながら炎の羽根で包み込み、一気に焼き払った。
否!
「うそっ!?外したっ!?」
「ククク、何もかもが遅い」
バイアケスはガルフの脇をすり抜け、驚くルーリアをその鋭利な爪で引き裂いた。
「ルーリアっ!!」
三本の斬撃がルーリアの上半身を斜めに走る。血煙を上げてルーリアが崩折れるのが見えた。
一番近くのクレストが、腰のレイピアを抜いて、刺突を繰り出すも、ひらりと躱され、腹をルーリアの血で濡れた爪で抉られる。
「ぐはっ!?」
血反吐を吐き出して、すれ違うように倒れるクレストには目もくれず、バイアケスはミアへと爪の斬撃を放った。
「アイアンライク・ロブスト!」
ミアは魔法の盾で魔爪の斬撃を防ぐと、続け様に土魔法を放った。
魔法の盾に弾かれた斬撃は、通りの住宅の壁を深く削って、瓦礫を撒き散らした。
「アースバインド!!」
土が盛り上がり、バイアケスの足を絡めて拘束する。
そこに、ガルフが大剣を振り抜く。逃げ場はない。
ぶんっ!風を裂く音。
バイアケスが口角を上げ、魔法を放つ。
「デッドリー・ハイラウンド」
輪状の刃が、バイアケスを中心に囲むように、いきなり競り上がってきて、高速で空へと突き抜けた。その間にあるもの全てを斬り裂いて。
ガルフの剣を持つ右腕が宙空に舞い上がる。
「でかい割になかなかの回避能力。上半身と下半身をバラすつもりだったんだが、右腕一本か」
後方に大きく下がるも、大剣の重みで右腕だけは引ききれなかった。ガルフは膝を付き、右腕を押さえる。
ミアが駆け寄り、回復魔法で止血する。ミアのレベルでは、切られた腕は繋げられても、無から腕を再生する程の完全回復魔法は使えない。だから、なんとかバイアケスの横に落ちたガルフの右腕を取り戻す必要があった。
「ミア、お前だけでも逃げろ。そして、ギルマスか騎士団長にこいつのことを伝えてくれ」
「やだ!まだルーリアもクレストも生きてる。ガルフの右腕も今ならまだ繋げられる」
「残念ながらヤツには勝てない。俺たちとは段違いだ。お前は幸い無傷。脚力強化の魔法を多重がけすれば、逃げられる可能性がある。だから、せめてお前だけでも逃げてくれ。パーティー全滅はリーダーの恥だ。俺を恥晒しにしてくれるな。俺が大盾で突っ込んだら、走れ!いいなっ!」
ガルフが立ち上がる。
「その女を逃がすつもりか?そうはさせないよ」
「……それはどうかな?」
バイアケスの背後で、ゆらりとレイピアを右手にクレストも立ち上がった。左手で抉られた腹を押さえて。
「挟み撃ちのつもりかい?雑魚が強者を挟んでも…………」
と、言いかけて、ふとバイアケスの動きが止まった。
それを見逃さず、すかさずガルフが駆け出し、大盾を手に体当たりをかます。クレストもガルフの動きに合わせて、バイアケスの首目掛け、レイピアを突き出した。
「ええいっ!うっとおしいっ!雑魚どもがっ!!」
バイアケスは無造作に魔爪の斬撃でガルフを盾ごとふっ飛ばした。逆の手で、クレストのレイピアを乱暴に握ると、握力にまかせて圧し折り、クレストの腹に蹴りを入れる。
二人の身体は、勢いよく通りの住宅に激突し、その壁を破壊する。
ミアはその隙にルーリアの方へと回り込み、彼女に回復魔法をかけつつ、バイアケスの様子を伺った。
明らかに様子がおかしい。急に、心ここにあらずといった様子で、何事かをぶつぶつと呟いている。
「ラスカーファ……?ウソでしょ?ラスカーファの魔力反応が……えっ?」
キョロキョロと辺りを見回したかと思ったら、四人を一瞥することもなく、バイアケスは突然、西の方へと走り去って行ってしまった。
「助かったの……?」
安心して気が抜けたか、ミアはへなへなとその場に座り込んだ。
「ううっ……」
「ルーリア、途中でごめん。ガルフの方が重傷だから、ちょっと待ってて」
と、ルーリアのうめき声ではっと気付き、ミアはガルフの右腕を拾って、あわてて彼の元へと小走りしていった。