第三話「元魔王、少女と邂逅す」
魔族と人類の境界にある緩衝地帯――――百五十年前に人類が放棄した地域。通称「東の辺境域」。そこにある、誰がいつから呼び始めたかわからぬ「徒労の森」でのこと。
数十体の獣人や亜人の死体が転がっている。倒れた馬車の下には鉄錆た臭いの血の池が広がっていた。
木々を薙ぎ倒し、一つ目の巨人ギガンテス三体が暴れ回っていた。手に持つ武骨な棍棒を振るい、獣人や亜人を叩き殺してはその肉片を貪る。
叫声を上げて逃げ惑う獣人や亜人の足や手、首には枷がされており、思うように逃げられず、一方的に次々と虐殺されていく。
「皆の恨みも晴らせず、こんな所で死ぬわけには!まだ私は何もしていない」
歯を食い縛り、必死に走る獣人の少女。周りの奴隷仲間がどんどんギガンテスに殺されて喰われていくのを尻目にひた走る。
このまま逃げ切れるわけがないことを少女は理解していた。いくら身のこなしの軽い獣人とはいえ、枷がある状態では動きに限界がある。まして巨人の一歩と比べれば、進む距離は象と蟻ほどの差がある。一瞬で追いつかれて叩き殺されて終わりだ。ならば戦うしか生き残る術はない。
「あった!」
少女が逃げながら探していたのはギガンテスと戦うための武器だった。もちろん奴隷商人とその護衛しか武器など持っているはずもなく、ギガンテスが現れると彼らは奴隷をおいて我先にと逃げ出してしまった。
しかし、運悪く足でも怪我して逃げ遅れたか、護衛の男の死体脇に剣が一本転がっていた。
少女はそれを拾い上げると、近くのギガンテスの方へと向き直った。そのギガンテスは他の獣人や亜人を殺すのに夢中で少女のことなど気付かずにいた。
「まずは一匹!」
低い姿勢でまっすぐギガンテスへと駆ける。狙うはその単眼だ。視界を奪えば逃げのびる可能性が上がる。
ギガンテスが少女に気付いた。無造作に血の滴る棍棒を振り下ろす。そんな単調な動きは見通しているとばかりに、少女はすんでのところで方向を変え、近くの木を蹴り上げて跳躍する。
「もらった!!」
タイミングは完璧。ギガンテスが目を瞑る。巨人の瞼に剣を突き立てる。ガキッ!と鈍い音を響かせて剣が根本からへし折れた。
「なっ……しまった!?」
巨人の巨大な手が少女の華奢な体をはたき落とす。少女の体が地面に叩きつけられ、ボールのように大きく一度バウンドし、巨人の目の前に転がる。
「かはっ……!」
内臓でもやられたか。息とともに血の塊が吐き出された。
ギガンテスが迫ってくる。
(動け!動け!私の体!逃げるんだ。こんな所で死ぬわけには……)
ギガンテスが棍棒を振り上げる。死が頭上に閃いた。
「ぎぃやぁっ!!」
ギガンテスの棍棒が振り下ろされ、少女の右腕がぐしゃぐしゃに潰された。
(……ひと思いに殺さないつもりか)
痛みで飛びそうな意識の中、空からふわりと黒髪黒瞳の、黒を纏ったという形容が似合うような長身の男が、ギガンテスの前に不意に舞い降りてきたのが目に映った。
(危ない)
咄嗟、何を思ったか、少女はギガンテスの棍棒から男を守ろうと、残った左腕でその男を突き飛ばした。
何が起きたのか分からなかったのか、男は目を丸くしていた。
(何やってんだろ、私……自分がヤバいってのに人助けなんて。奴隷になっても生き延びたのは、皆の仇を討つためだったのに。何もできなかった、ごめん)
「……逃げて!」
振り絞るように少女は言った。
男は合点がいった表情で軽く微笑み、その場に踏みとどまると、どこから取り出したのか、闇よりも黒い刀身の剣をさっと一閃した。
「俺を救おうとしてくれた恩人を捨て置くわけにはいくまい」
直後、ギガンテスの首が飛ぶ。切られた首から噴水のように血を吹き、その巨躯がどうっと倒れ伏したのだった。残り二体のギガンテスも男に気付く前に、一体は縦に真っ二つ、もう一体は上半身と下半身を分かたれ、あっさりと絶命したのであった。
瞬殺とはこういうことを言うのだろうと少女はぽかんと思った。
「大丈夫か、お前?」
しゃがみ込んで少女の顔を覗き込みながら、男は言った。いつの間にか、手にあった剣はどこかにしまわれたのか、消えていた。
「いや、大丈夫じゃないか。右腕も潰され、耳からの血と鼻血がえげつない量だもんな」
少女が答える前に男が言った。
(あなたも酷い傷。胸元がざっくり切り裂かれてる)
と言おうとしたが、笛のような呼吸音しか出せなかった。もはや指の一本も動かせず、声さえも出せない状態なのかという事実に愕然とする。内臓から血が溢れ、ごぼっごぼっと口から零れ落ちるのを拭うこともままならず、視界が暗くなっていく。このまま死ぬのかと思うと、急に怖くなった。わけも分からず涙が溢れた。
「……わだじじぬの?」
辛うじて開いた口からはなんとも情けない声が漏れた。
男は少し困った表情を浮かべ、少し考える素振りを見せるも、
「運が良かったな。泣くな。お前は死なないから」
と言うと、パチンと指を鳴らした。
すると、男の胸の傷がたちどころに癒えると同時に、男の周囲が暖かい光に包まれ、少女自身の傷も嘘のように治っていく。腕が再生され、流れ出ていた血が消えていく。さらに痛みすら全くなくなったことに驚かされる。
「どうなってるの?」
「効果範囲型の完全回復魔法だ」
「そんな高度な魔法を無詠唱で!?」
「死者と病人、呪いや魔法による外傷には効かないがな。だから、残念ながら死んだお前の同朋を救ってやることはできない」
辺りを見回すと二、三十人の無惨な亡骸がそこかしこ無作為に散らばっていた。生きている者は一人もいなさそうだった。
「彼らはただの奴隷仲間。同朋という程、親しい仲じゃない……」
そうは言いつつも、悲しげに眉を曇らせる少女。
「そうか。まぁ、これもなにかの縁だ。彼らを弔ってやろう。奴隷だったというのなら、死後もアンデッドとしてまで使役されないよう。
葬炎の蒼き送り火よ、死者を導きて黄泉の道標とならんことを」
男が短い祈りの言葉と黙祷を捧げると、死者たちの遺骸が蒼き炎に包まれて一瞬にして灰と化していく。少女は隣りで静かに手を合わせた。
「どうやら生き残りはお前だけのようだな」
少女は男を見上げた。
目にかかりそうな前髪と黒水晶のように深い闇色の瞳が印象的で、底が知れない感じがする。冷たさ、恐ろしさとも違うような、畏怖・畏敬に類するものか。少女には計り知れなかった。
(けど、この人は強い。この人に付いていくことができるなら!)
「お願い!私を一緒に連れて行ってください!私にできることなら何だってします!夜の世話だって厭いません!あなたの奴隷として私を連れて行ってください!お願いします」
額を地面に擦り付けて少女が懇願する。
「夜の世話ってお前なぁ、意味わかって言ってるのか?」
呆れた顔で男が問い返す。
「一度も経験ないのにすみません」
あわてて少女はそう答え、すぐに真摯な眼差しを男に向けて、再び懇願する。
「でも、薪拾いでも水汲みでも肩もみでも、どんな雑用でも何でもしますから、お願いです!私を連れて行ってください!」
「年頃の娘が何でもするとかそう簡単に言うもんじゃない」
「簡単に言ったわけじゃない!!私にはあなたに与えられるものがこの体しかないから。何も持たないから!」
「なぜ、そうまでして俺に付いて来たがる?」
「あなたが強いからです!私は強くなりたい!私の村を、みんなを殺したヤツらに復讐するため!奴隷に身を窶しても生き延びたのはすべてそのため。私に戦う術を教えてほしい!」
少女の曇りなき眼がまっすぐに男――元魔王ガイ・デュオラルを見つめる。
(言葉も通じるし、イリア文字とメナス文字の複合魔導式の召喚術式である以上、前の世界と平行世界的か、もしくは時系列的には繋がっていそうだが、召喚されたばかりで、この世界のことをよく知らぬことを考えると、供は必要か)
ボロを纏う狐耳の少女を見下ろして、ガイはそんな思考をしながら、もう一つ別のことも同時に考えていた。
少女は不安そうに、今にも泣き出しそうな顔でガイを見上げていた。
「わかった。わかった。そんな捨て犬みたいな顔するな。連れて行ってやる。ただし条件がある。お互いギブアンドテイクの関係だ。お前の事情は知らんが、俺はお前に戦う術を教えよう。お前も俺の事情は詮索せず、俺に街での作法やこの世界のことを教える。俺は山奥から出て来たばかりで世間のことには疎い。そういう条件でいいなら連れて行ってやる」
すると、少女はガイの足にすがりつき、泣きじゃくって、ありがとうございますと何度も何度も繰り返した。
「ええい、離れろ!うっとおしい」
とガイが言っても、少女はなかなかガイの足を離さなかった。
ひとしきり泣いて、少女が落ち着いたのを見計らって、ガイは言った。
「やっと泣き止んだか。もうじき日も暮れる。ここは血なまぐさい。血に引き寄せられて魔物が集まって来よう。とりあえずここから離れよう」
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