第十七話「元魔王、不在中」
異常に肥大化した左腕は、太い血管がどくどくと脈打つも、硬質な黒鉄のように見えた。
ガイを一撃であんなにも吹っ飛ばす威力の打撃。喰らえば、二人の華奢な体など一溜りもない。
「獣人の娘よ、ここで何をしていた?」
水牛に似た角を額に生やす、その魔族――ベイロフォンが訊いた。
胸には朱塗りの軽鎧を纏い、腰には細身の長剣を差しているが、メインの攻撃手段はあの左腕だろう。
「あなたこそ、ここで何を?アリアブルグ襲撃の悪企みかしら?」
そうシュリが話す間に、アリシアはじりじりと彼女から距離を取る。纏まっていては、一緒にやられ兼ねない。
「そうだ。まぁ、襲撃ではなく、虐殺だが」
ベイロフォンはさらりと肯定する。
どうせ二人をこの場で殺すのだから、話しても大したことではないという顔つきだ。
アリシアが距離を取るのにも気付いているが、まったく気にしていない。
「ずいぶん余裕ね。そんな計画をすぐに洩らしてもいいのかしら?」
「お前たちの口を塞げば問題ない。死人に口無しだ」
「そう。けど、簡単には死んであげないわ!」
言って、シュリは手の剣を思いっきりベイロフォンに向かい、投げつける!同時に、弓矢を構え、矢筒にある矢をとにかく連射した!
投げつけられた剣を左腕で払うベイロフォン。
矢は、集中的に顔を狙って射掛けられており、それを嫌い、避ける。
そこに!
横からアリシアが槍を突き入れる!槍がベイロフォンの右脇腹に突き立った。
が、通らない。
「小賢しい!」
左腕をぞんざいに振るうも、アリシアは槍を放して、ギリギリを躱し切る。
そして、短剣を抜いて、ベイロフォンの下に潜り込み、体重を乗せて刺突する!
「ぐぶっ!?」
腹から血が噴き出る。驚愕の表情を浮かべるベイロフォン。
槍は通らなかったが、短剣は刺さった。けど、まだ浅かったか。致命傷とまではいかなそうだった。
「くそがっ!!」
直感が危険を告げる。アリシアはさっと飛び退る。
「バスター・フレア!!」
力ある言葉に反応し、ベイロフォンを中心に九つの火球が生じ――それらから一気に火線が拡散され、無作為に辺り一帯を焼き払った!
炎のビームは木や岩に当たると爆発、炎上した。
その爆風にアリシアも飛ばされるが、木々を蹴りもって空中を移動し、火線の直撃をすんでで躱し、なんとか木の陰に入った。
素早くシュリは木を登って、難を避けて、
「風よ、舞え!空駆るシルフに風集え!汝に切れぬもの無し!ウインド・カッター!!」
頭上から風の刃を放ち、追撃をかける!
しかし!
ベイロフォンはウインド・カッターをものともせず、シュリが登る木にラリアットをかまし、力任せに薙ぎ倒す。
「シュリ!」
バランスを崩して落下するシュリの喉輪を、ベイロフォンは右手で掴み、締め上げた。
「かはっ……」
シュリが苦しそうに足をバタつかせる。喉輪を外そうと爪をたてるが、ビクともしない。
「ぐぅ……かぁ……」
シュリが口から泡を吹き、白目を剥く。
「獣人ごときがこのオレに傷を付けるとは!おいっ!狐の小娘!出て来い!さもなくば、この女の首をへし折るぞ!」
(このままだと、シュリが危ない!)
木陰から姿を現し、アリシアはベイロフォンの真正面に立った。
「その短剣はなんだ?このオレの腹を切り裂くとは、ただの短剣ではないな」
「知らない!シュリを離せ!もう一回突き刺されたいの!」
腹からまだ血が流れている。ベイロフォンは傷口を左腕で押さえ、火の魔法で焼いて塞ぐと、
「よかろう。刺せるものなら刺してみろ。かかってこい」
と、アリシアを挑発する。
シュリの手足がビクビクと痙攣し始め、口と鼻から出血する。
(まずい。これ以上はシュリが死んじゃう!?)
けど、さっきはシュリのサポートと、不意を突けたから、懐に潜り込めたが、真正面から突っ込むのは自殺行為だ。
でも、シュリを見捨てられない。
「――次は確実に突き刺すっ!!」
アリシアは覚悟を決め、ベイロフォン目掛けて一気に駆けた!
まっすぐ正面から。
もはや避けられない間合いに入った瞬間、ベイロフォンはシュリを放り出し、左腕を振るう!
アリシアは迷いなく、水平に短剣を突き出す。
迷えば終わりだ!死中に活を求める!
ベイロフォンはその迷いない眼に一瞬怯む。
アリシアの信念がわずかに押し勝った!
短剣が腹に届きそうな気がし、ベイロフォンはわずかに姿勢を引いてしまった。
左腕の軌道がほんの少しずれ、アリシアの右肩を掠めるに留まるも、華奢なアリシアの体は真横に吹っ飛び、大きな岩に強かに打ち付けられた。
「がはっ……!!」
右肩と肋骨の何本かは確実に折れた。けど、まだ生きてる。
シュリも倒れているが、遠くで苦しそうに肩を大きく上下させている。死んでない。
「くそガキが!」
こんな獣人の小娘にビビり、わずかに姿勢を引いた自分に、ベイロフォンは逆上する。
「手足を引き千切り、嬲り殺しにしてやる!」
「残念。私たちの勝ち。二人ともなんとか生きてるから」
と、アリシアは森の奥に視線を向けて笑った。
ベイロフォンもアリシアの視線の方を振り返る。凶々しい気配が近付いてくるのを感じた。
「よう。うちの弟子が世話になったな。この落とし前、お前の命でつけてくれるんだろうな?」
黒の魔剣「影を飲むもの」を手に、ガイが戻ってきたのだった。