第53話 業火
「レナ⁉︎」
リオが必死に呼んでも、レナはうつふせに倒れたまま反応がない。そして、レナの体から血が流れ出て床を伝うのが見えた。
「はっ――⁉︎」
それを見てリオは背筋が凍りつく。
その時、レナの指がピクっと動いた。
「⁉︎」
(良かった、生きてる!)
リオは思わず心の中で叫んだ。
レナはもうろうとする意識に、なんとかしがみついていた。しかし、うっすらと開いた目はどこを見るでもなく視界も霞んでいる。
(体が……動かない……)
あまり痛みを感じないのに、ここまで体の感覚がないのは自分でもまずいと思った。
(……私ここで死ぬの? 何もわからないまま?)
「う……」
何とか体を動かそうとする。
(そんなの……嫌だ……)
少しだけ顔を上げて、リオの方を見た。
(このまま終わるなんて……嫌だ!)
「レナ! 大丈夫か⁉︎」
リオは魔物からレナを守りながら、心配そうに振り向いた。
「……すけ……て」
レナの口から、かすかに声が漏れる。
「リオ……助けて……!」
そしてレナの目から涙がひとすじ流れた。
その時、二人は真っすぐに見つめ合った。
(レナ――!)
リオが心の中でレナの名前を叫んだその瞬間、彼の体の中を稲妻のように衝撃が走った。
「ぐっ⁉︎」
すると冥府の剣に閃光が走り、まるで放電するように眩しい光を放った。
「うわあっ⁉︎」
リオは空いている方の手で光を遮りながら、思わず後ずさりする。
「――!」
リオの背後には、もう魔物たちが迫っていた。
(リオ……危ない……)
レナは、リオを見ながらそう思うのが精一杯だった。
すると突然、冥府の剣から炎が上がりリオの体を包んだ。
「なっ――⁉︎」
(なっ、なんだこれは⁉︎ 炎⁉︎)
リオにも何が起こったのかわからなかった。
リオに迫っていた魔物たちは、その炎に悲鳴を上げて仰け反った。
それは魔物をもしのぐ恐ろしい力――剣に封印されていた冥府の業火が解放された瞬間だった。
炎はどんどん大きくなり、邪悪なエネルギーをまき散らした。そしてリオの体を乗っ取ろうとするかのように、精神に入り込んでくる。
「ぐぐあぁ……!」
冥府の業火に包まれたリオは、顔つきも恐ろしく変化していく。
レナは薄れる意識の中でリオを見ていた。
(リオが……リオが……)
そして、そのまま意識を失った。
「ぐっ――ううぅ……!」
(とても制御できない――こんな力!)
なんとか自我を保ち抵抗するが、ものすごい勢いでリオの体を乗っ取ろうとしてくる。
魔物たちは、冥府の炎に近づくことができない様子だった。
リオは苦悶の表情を浮かべたまま、炎をまとった冥府の剣を魔物たちに一振りした。爆風が魔物たちを襲い、一瞬で溶けるように破壊された。
それは、今までの剣の威力の比ではなかった。
(なんて威力なんだ⁉︎)
リオは驚愕する。それは、本当の冥府に迷い込んでしまったのではないかと錯覚するほどの恐ろしい光景だった。
(これが、この剣の本当の力――!)
リオが炎に包まれながらも構えると、あろうことか魔物たちが冥府の剣にひるんだのだ。
そのような剣を自分が握っている事実――そして、おぞましい力が腕を登ってくる感触に戦慄が走る。もはや魔物を倒すことよりも、恐ろしい力に飲み込まれそうになる恐怖の方が勝っていた。
『……クク……ククク……』
その時、どこからともなく笑い声が聞こえた。それはセラ王妃の体を乗っ取っている魔物だった。
《あれは冥府の剣だ……なぜこんなところに?》
魔物は、先ほどからリオに興味を示していた。
《まさか……クク……冥府の剣の使い手を選んだのか?》
魔物はおかしくてたまらないといった様子だった。
『ククク……クク……これは面白い!』
そして魔物はつぶやいた。
『気に入ったぞ……リオ……』
リオはたった一人で魔物を退けていた。
残りの魔物たちも逃げうせ、既にセラ王妃の姿はどこにも見当たらなかった。
「ぐうぅ……!」
膝をつき肩で大きく息をしていたリオの顔つきが、だんだん元に戻ってくる。そしてリオの体から、炎がスーッと消えた。
(炎が……消えていく)
ほっとしたリオだったが、冥府の剣の邪悪なエネルギーはリオの手をつかんで離さない。伝わってくる振動は、まるで剣が喜んで笑っているかのようで思わずゾッとした。
「は……離せ!」
リオは剣を振り解くように放した。
床に落ちた剣は、やがて光も消えて大人しくなった。
「――⁉︎」
リオは、その剣を恐怖でこわばった表情で見下ろした。
「はっ⁉︎ レナ!」
冷静になったリオは、急いでレナの元に駆け寄る。
レナはうつふせのまま動かない。
リオは、恐る恐るレナの体を抱き起こした。
「大丈夫か⁉︎ しっかりしろ!」
ぐったりとしたレナは口からかなり出血していて、そして体がとても熱かった。
(すごい熱だ⁉︎ まさか王宮に来る前から――?)
そういえば、レナがやけに汗をかいていたことを思い出した。リオは、レナが風邪を引いていたことに気づかなかったことを激しく悔やんだ。
「レナ、死ぬな……レナ!」
そしてリオは、何度もレナの名前を呼ぶのだった。