第34話 リオ
アサニス国の王宮のバルコニーで、レオナルド王は風に吹かれていた。
ここアサニス国は、エスプラタ国と肩を並べる大国である。エスプラタ国が軍国主義的であるのに対して、アサニス国は正統派の王政国家といったところだ。
そして隣接するこの両国には、長い敵対関係の歴史が続いていた。
バルコニーからは、遠くまで国土が見渡せた。
しかし、景色を眺めるレオナルド王の表情は優れなかった。
「…………」
レオナルド王は、小さくため息をついた。
(また今日も、魔物の被害報告が入った……)
アサニス国にも、魔物の被害が多発していた。被害の件数もだんだん増えており、これは大変由々しき事態であった。
(わが国としても、早急に対策を講じなければならないところだが、情報がさくそうしすぎてる……)
とにかく今は、正確な情報がほしかった。
レオナルド王はつぶやいた。
「私の判断が、正しい方向に進んでくれればいいのだが……」
ちょうどその時、声をかけられた。
「国王、お呼びでしょうか?」
レオナルド王が振り向くと、そこには一人の青年が立っていた。
「リオ……」
そう呼ばれた青年は、礼儀正しくお辞儀をした。
レオナルド王は、リオに話し始めた。
「ここ最近、立て続けに魔物の被害の報告が入っている……」
リオは、静かに答える。
「……うわさは耳にしております」
「うわさでは、エスプラタ国の神殿に封印されている魔物が、解放されたとか……」
それを聞いて、リオは少し目を見開いた。その黒い瞳は、思慮深い艶を帯びている。
「さすがにそれは……! 私には信じられません」
「そうだな……」
レオナルド王が景色に視線を戻すと、二人の間に沈黙が流れた。
それから王は、意を決したように顔を上げた。
「リオ、おまえに調べてほしいのだ」
そして、ゆっくりと振り向く。
「何が起こっているのか、おまえの目で確かめてほしい」
それはリオにとって、とても意外な申し出だった。
「……私に?」
「議会には、おまえが適任だと納得させた」
議会の許可が出るとは、いったいどんな手を使ったのか――リオは少々不安な気持ちになる。
レオナルド王の言葉に戸惑いを感じつつも、リオは静かに答えた。
「承知いたしました」
すると、レオナルド王は少しほほ笑んだ。
「と、まぁ……ここまでが建前だ」
「え?」
リオが不思議そうな顔をしていると、レオナルド王は話を続けた。
「おまえに魔物の調査を頼むのは、城を離れるいい口実になるからだ」
「⁉︎」
その言葉の意味を察し、無言で少しあごを引くリオ。
レオナルド王はさらに続ける。
「しかし魔物がらみとなれば、旅はとても危険だ。おそらく、魔物に出くわすことになるだろう」
そう言うと、真剣な表情で一本の剣を差し出した。
「だから……おまえに、これを託す」
リオは息をのんだ。
「この剣は――!」
それは、とても特別な剣だった。
「これも、議会が許可したのですか⁉︎」
リオは、思わずレオナルド王に質問した。
「……この剣のことは、完全に私個人の判断だ。だから、くれぐれも内密に……」
「しかし――!」
リオはためらった。
「このことが知られれば……大変なことになります!」
「そうだな……」
レオナルド王も、それは重々承知の上での判断だった。
「だが、私はこれが最善だと思っているし、私はおまえを信じている」
レオナルド王は、いつもリオのことを信じていた。
「国王……」
リオも、この剣を自分に託すという判断が、どれ程の決意を表しているか分かるからこそ、王の言葉は心に響いた。
「リオ、私の頼みを受け入れてくれるか?」
「……はい」
レオナルド王の問いに、リオは深々と頭を下げた。
しかし剣を受け取ろうとした時、レオナルド王が静かに言った。
「すまぬ、リオ……。私の頼みは、矛盾しているな」
そして目を伏せた。
「おまえのためと言いながら、この剣を託すのだから……」
レオナルド王の言わんとしていることは、リオにも分かった。この決断が、王自身にも大変なリスクを伴うということも。
しかし王は、自分を信じて決断したのだ。
「身に余るお心遣い、感謝いたします」
リオは膝をつき、レオナルド王に敬意を表した。
「国王に助けていただいたこの命――ご命令とあれば、喜んでお受けいたします」
これは、リオのうそ偽りない本心だった。
***
リオは、王宮内にある大聖堂で祈りをささげていた。ステンドグラスの窓から光が差し込み、スポットライトのようにリオを照らしている。
手には先程、レオナルド王から託された剣が握られていた。
リオは、改めて剣を見つめる。
「…………」
正直なところ、リオの心は激しく動揺していた。
(この剣が……再び、私の手の中に……)
記憶とともに、恐怖が込み上げる。
顔を上げると、守護神像が静かにリオを見下ろしていた。
(どうか……どうか私を、正しい道へお導きください)
リオは、剣を強く握りしめた。
それからリオは、祈りながら時間をかけて冷静さを取り戻していった。そして自分の使命を心に刻むと、意を決したように立ち上がった。
その日のうちに、リオは人目を避けるように、たった一人で旅立った。
エスプラタ国を目指して――。