第31話 解放
魔物は、セラ王妃に命令した。
『さあ、解放するのだ!』
するとセラ王妃は、高々と両手を上げ呪文を唱え始めた。それは、決して使ってはならない言葉――。
一瞬、神殿内の空間が膨張したようにゆがんだ。
王宮内の鳥たちが一斉に飛び立つ。
神殿のシミたちが、次々と壁から抜け出す。そのシミたちが集まり、ドロドロとした黒い蛇のような姿になってセラ王妃の体に絡みついていく。
ついにセラ王妃を飲み込み、黒い塊になった。
そして渦を巻きながら見る見るうちに大きくなり、部屋を満たしていく。それはまるで、黒いマグマが渦を巻き、地獄の入口が開いてしまったかのようだった。
次の瞬間、強烈な光を放つと、入口の扉を破壊して黒いマグマが一気に外へあふれ出した。
ものすごい地響きとともに、全てをなぎ倒しながら進んでいく。
「…………?」
どこからともなく伝わってくる地響きに、レナたちも気がついた。既に、地響きは王宮全体に鳴り響いていた。
「な、何事だ⁉︎」
レナたちは、慌てて窓から外を見た。
そして、信じられないものを目撃する――。
「ああっ⁉︎」
ちょうど、破壊され土煙の上がる神殿から、黒いマグマのような塊が盛り上がっているところだった。
「なっ、何だあれは⁉︎」
全員が思わず叫んだ。
自分たちの目に映るものが、信じられなかった。
「なんてことだ! あの場所は――!」
ウルネス王が叫んだ。メルブ将軍も同じことを思っていた。
(あの場所は、魔物を封印している神殿だ……!)
ここから見る限り、相当な大きさであることは間違いなかった。
その時、王宮内の人々は、ただ見つめているだけだった。あまりにも突然過ぎて、まだ何が起こっているのかさえわかっていない。
人々は知る由もなかった。今まさに、魔物が解放された瞬間であることを――。
神殿からあふれ出た、どす黒いマグマのような塊は、空に向かってどんどんと盛り上がる。
そして、その先端がボコっと大きな泡を吹き、穴が開いた。大きな穴の中には無数の牙のようなものが見える。
人々はわからないながらも、戦慄を覚え始めていた。
すると今度は、その空洞から黒々とした塊がどんどんあふれ出し、ボタボタと気味の悪い音を立てながら穴から外に落ちてきた。
人々はもう、完全に恐怖に支配されていた。
レナたちは、広場に向かって走っていた。
辺りは地響きと悲鳴に包まれている。
そして広場に出ると、その異様な光景に息をのんだ。辺り一面、地面に落ちた黒い塊であふれていたのだ。
「何だ……これは⁉︎」
ウルネス王が叫んだ。
黒い塊は、まるで心臓が脈を打つように動いていた。
それに気がついた瞬間、レナの全身に鳥肌が立った。
黒い塊は、徐々に形を成していく。
「これ全部……魔物……?」
レナは、ゆっくりと見回しながら言った。
(魔物が……生まれて……いる……)
想像することも、ためらわれるほどの恐怖だった。
メルブ将軍も、恐怖のあまり絶句していた。
(神殿から、大量の魔物があふれ出している……!)
広場のいたるところに、恐怖で動けない人々がいた。
ここにも一人、娘が腰を抜かしている。
「あ……あぁ……!」
目の前で、魔物が出来上がっていくのだから無理もない。ついには、魔物に見下ろされた。
「いやああ……!」
娘は、かすれた声で悲鳴を上げた。
次の瞬間、その魔物が真っ二つに切られた。
地面に倒れた魔物の後ろから現れたのは、アトス将軍だった。部隊を率いて広場にやってきたのだ。
「アトス将軍!」
レナが部隊の姿を見つけて叫んだ。
「ウルネス様、ご無事ですか⁉︎」
アトス将軍の部隊が、ウルネス王の元に駆け付けた。
その時だった。
「危ない! 倒れてくるぞ!」
「みんな逃げろ!」
誰かが叫んだ。
その声に、全員が上を見上げる。
「ああっ⁉︎」
最初に現れた、巨大な黒い塊がこちらに倒れてくる所だった。
メルブ将軍が叫んだ。
「ウルネス様! お下がりください!」
ものすごい地響きを立てながら、黒い塊が倒れた。
人々の悲鳴が上がる。
これが何なのか、誰にもわからない。しかしそれは、確実に鼓動している。
ちょうど、レナから空洞の中が見えた。その吸い込まれそうな暗闇に、無意識に後ずさりする。
(この闇はダメだ! この闇は恐ろしい!)
最悪の事態しか考えられない。
(これが、目覚めたら……!)
その時、黒い塊から突然目が現れ、レナと目が合った。思わずビクッとするレナ。
そして次の瞬間、レナに本当の恐怖がもたらされた。
『レ……ナ……』
レナは自分の耳を疑った。
(なっ――⁉︎)
ウルネス王たちも驚いた。
「えっ⁉︎」
もう一度、はっきりと、黒い塊が言葉を発した。
『レナ……』
すると周りの魔物たちも、共鳴するようにレナの名前を呼び始めたのだ。
『あれは……レナだ……』
『レナだぞ……』
『…………殺す』
その言葉に、レナは目を見開いたまま固まった。
(殺す……?)
魔物たちは繰り返した。
『殺す……約束……殺す……』
レナは体中の血が凍るような思いだった。
突然、目の前に現れた魔物たちが自分の名前を呼び、そして殺すと言ったのだ。