第1話 レナ
エスプラタ国の王宮は、夜の闇に包まれていた。
暗闇の中に、青い瞳が光を宿したように浮かび上がる。そして、その瞳は真っすぐに一点を見つめている。
視線の先には、王宮の高い塀を見上げる一人の男の姿があった。男はマントのフードを深くかぶり、警戒するように辺りを見回しながら足早にその場を立ち去った。
一瞬の静寂のあと、王宮の警備兵たちが男の後を静かに追いかける。警備兵のリーダーが、隣にいる青い瞳の兵士に声をかけた。
「レナ、見失うなよ」
「はい」
声をかけられたレナという名の兵士は、去っていく男から目を離さずに返事をした。
***
マントの男は市街地を抜け、野原を進んでいく。そしてツタが滝のように生い茂る崖のふもとまでくると、やはり辺りを気にしながらツタを手でかき分け中へ消えていった。
レナはその様子を離れた場所から見ていたが、ツタの奥に扉があるのを見逃さなかった。
「入口を確認しました」
レナは隣にいるリーダーに伝える。
するとリーダーはニヤリと笑い、周りにいる警備兵たちに声をかけた。
「さあ、行くぞ」
リーダーの掛け声に、警備兵たちは一斉に剣を抜いた。
マントの男が入っていった扉の奧は、洞窟になっていた。洞窟内では数人の男たちがテーブルを囲み、何やら相談をしている。そして、マントの男に気がつくと軽く手を上げた。
「警備の手薄な、いい抜け道を見つけたぞ」
「そうか、やったな」
マントの男がそう言うと、テーブルを囲んでいた男たちも声を弾ませた。
しかし次の瞬間――。
扉を突き破って警備兵たちがなだれ込んできた。
「なっ、なんだ⁉︎」
突然のことに、洞窟内の男たちは叫んだ。
「ひとり残らず捕まえろ!」
「うわあぁ! 逃げろ!」
叫び声が入り乱れ、洞窟内は一瞬にしてパニックになった。
「闇に紛れて逃げろ!」
マントの男はそう叫んで、テーブルの上に置いてあったロウソクの火を吹き消した。
洞窟内は真っ暗になる。
その時、レナの耳にリーダーの声が聞こえた。
「外に逃げるぞ! レナ、頼む!」
「はい!」
レナは返事をすると走り出した。
マントの男は洞窟の外に飛び出すと、慌てて草むらの中に逃げ込んだ。しかしすぐに男の周りで草のこすれる音がする。慌てて目を凝らすが、暗くて何も見えない。
その時、男は音もなく近づいてくる二つの小さな光に気がついた。それが敵の兵士の目だとわかった時には、もう目の前に迫っていて、男の顔は恐怖でひきつった。
しかし、兵士の姿は突然目の前から消える。
「え?」
男が声を上げた瞬間、足に衝撃が走り膝に力が入らなくなった。消えた兵士は、男の背後に回り込んで足を払っていたのだ。
そのまま男が仰向けに倒れると、兵士は剣を喉元に突きつけた。
「動くな」
男に馬乗りになった兵士は、静かに命令した。
その兵士の顔を間近で見た男は、驚かずにはいられなかった。
「なっ――女⁉︎」
目の前の兵士は、まだ若い娘だったのだ。
男が目を見開いた瞬間、剣が喉に食い込んできて思わず息が詰まった。無言で見下ろす娘の目は恐ろしいくらい冷酷で、恐怖から冷や汗がどっと出る。
その時、リーダーの制する声が響いた。
「待て、レナ。殺すな」
その声に反応して、レナは動きを止めた。そして瞳から氷のような冷気をすうっと消すと、そのまま男から大人しく離れた。
リーダーとレナが男を連れて洞窟まで戻ると、洞窟内にいた男たちも仲間の警備兵たちに制圧されていた。
そしてレナは、仲間たちの中にムルの姿を見つけた。ムルはレナの住む村の村長であり、父親のように慕い尊敬する人物だ。
レナは、ぱっと笑顔になった。
「ムル様〜!」
先程までとは打って変わって無邪気な声を上げる。ポニーテールをふわふわと揺らしながら、満面の笑みでムルに駆け寄った。
ムルもレナに気がつき頬を緩めた。
「よくやったな、レナ」
「ありがとうございます!」
レナは褒められたことが嬉しくて、大きな声で返事をした。
すると隣にいた仲間が、レナの肩に肘を乗せてきた。
「おいおい、なんだよ。今日も手柄を独り占めか?」
「えっ? まあ……そうですねえ」
「おっ、言うねえ」
レナがおどけた表情で返事をしたので、頭をくしゃくしゃになでられる。
「まあ、おまえの目は暗闇で本当に役に立つからな!」
「きゃああ、ありがとうございます!」
レナは頭をおさえながら笑い声を上げた。
いつものじゃれあいのそばで、ムルとリーダーが少し声を落として会話をしている。
「それにしても、王宮への侵入者は今月に入って三人目か」
「確かに、多いですね……」
それは、国王暗殺の動きが活発になっていることを意味していた。
ムルは気を取り直すように指示を出した。
「さあ、こいつらを王宮へ連れていくぞ」
***
レナは仲間と一緒に王宮へは行かず、一足先に村に戻った。
すると腕組みをした少年兵のルカスに出迎えられる。
「また王宮の警備に行ってたのかよ」
ルカスは不機嫌そうな顔をしていた。警備のメンバーに選ばれなかったのが悔しいのだ。
そんなルカスに、レナはからかうように大げさに報告をした。
「うん、アジトを見つけてムル様に褒められちゃった」
「ちぇっ、ずるいぞ。レナばっかり」
「私の方が年上だからね」
「一つしか違わねえだろ」
歯を見せて笑うレナに、ルカスはムキになって言い返した。そして、むすっとしていたルカスだったが、唐突に質問してきた。
「それにしても、なんでレナだけいつも先に帰ってくるんだよ?」
「え?」
思わず聞き返すレナに、ルカスは続けた。
「今日だってどうせレナの手柄なんだろ? はっきり言ってもう警備の中心メンバーじゃん」
今日もムル様から先に村に戻るように言われたが、確かに、深く考えたことはなかった。私はまだ子どもだし、女だからかもしれないと思った。理由はわからなかったが、ふざけてルカスに聞き返した。
「か弱い女の子だから?」
「おいっ」
目を細めたルカスから、強めのツッコミが返ってきた。ルカスは口をとがらせて、まだ食い下がってくる。
「レナの能力だって、もうこの辺じゃ有名だしよお」
「能力だなんて……大げさだよ」
「ちぇっ、当の本人はこれだよ」
天を仰いでそう言ったルカスは、拳を握りしめた。
「剣では俺の方が上なんだ! 俺だって、レナみたいな能力があったら……女子にモテるのによー!」
「そこかいっ」
ルカスの叫びに、レナは声を出して笑ってしまった。