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8. 自分と重ね合わせてたものを絶賛されて口説かれているような錯覚を自覚しはずかしくなったヤツ

「満月は邪魔者なの?」


 その言葉からは、冷たい雨に長時間晒されたかのような寂しさと、一雫(ひとしずく)の淡い期待が感じられた。

 月がないことを肯定される度、彼女は自分が否定されたような気持ちになっていたんだろう。こっちの落ち度だ。正直気にもしていなかった。


 だから、せめて猫の方はと星座を求めた。

 だけどこっちはもう大丈夫ってことで良いはずだ。なら次の僕の仕事は、猫と同じように月にもちゃんと居場所はあるんだと証明すること。期待されたからにはきっちり応えないといけない。


 確かに、自分の名前が月だとしたら(しかも月見里(苗字)雪月(名前)も)月がなくて良かったなんて台詞は聞きたくない。(げん)さんも同じことを思っているかもしれない。帰る時謝っておこう。

 朔月(さつき)とかだったら新月のことだからなんとかなったんだけど。


「まず前提として話しておきたいんだけど」


「なによ?」


「今日は月が出てなくてラッキーって言った人は二週間後に空を見上げた時、今日は満月が見れてラッキーだったって言うよ。晴れていればだけどね」


 来月は中秋の名月。そもそも月を見る日だ。

 それに今月と違って流星群もない。


「そうかもしれないけど……」


「星を見るのを邪魔するものって他にも結構いっぱいあるんだ。雲だったり空気だったり、町あかりだったり」


 月よりよっぽど太陽の方が星の明かりを遮ってる。

 研究者的には、いて座方向に天の川銀座の中心があるからそっち側が見えづらい。


「それにこんな考え方もできるよ。太陽を見るのを月が邪魔する現象が日食。一大天体イベントだね」


「そ……う、だね」


 歯切れの悪い返事。

 僕だってこれで納得できないことくらい分かってる。

 これは心の問題だ。理屈で一時的に説き伏せることはできるかもしれないけど、そんなことに意味はない。


「心配しないで、ここまでは前提。月を語るのに、一晩で時間が足りる訳ないんだから」


 とはいえ実物がないと難しいのも事実。

 世の中には月夜ばかりはないとはよく言ったものだ。違うか。


「ねぇ月見里さん。月を見たことある?」


「そりゃあるわよ」


「本当に?」


「どういう意味よ、月は夜空を見上げればすぐ見えるじゃない」


「ちゃんと月を見た? ビルや建物に遮られてなかった? 雲に霞んでたりしなかった? 月の模様をじっと見つめたことは? 月に目を奪われてそのまま目を離せなくなった経験がある? 夜空を見上げて月が出てないことへの落胆は? 今か今かと月の出を待ち焦がれた切望は?」


「……」


 日常生活では、意外と空を見上げない。

 そもそも上は心理的に死角な部分。意識しなければ目線は基本的に自分の目の高さより上になることはない。それでも目をひくのが満月だ。地平線から昇ってくるのがあんまり遅い時間でもないから一度や二度目に入るのは珍しくない。


 ただ、そこで歩みを止める人となるとこれがなかなかいない。月見と言っても屋内で団子を食べるだけ、みたいな人も多い。

 別にそれを否定する訳じゃない。けど、それでは月がどれだけ綺麗なのかを一パーセントも理解できやしない。現代では、月の明るさを邪魔するものはあまりに多すぎる。街に明かりが灯るようになって一番見えづらくなったのって、実は月なんじゃなかろうか。


「天辻君は、その……月がないことに落胆したり月が顔を出すのを待ち望んだりするの?」


「するよ」


 自信を持って答える。

 なんなら月に魅せられた事を自慢して回ったっていい。


「月の重要さを実利でしか取らない人がいる。地球に降り注ぐ隕石を受け止めてくれたとか、潮の満ち引きは月のおかげだとか」


 別に間違いとは思わない。

 月が無ければ地球が滅んでいたかもしれないという説にも納得している。


「でも、一度でも月をしっかり見たらもうそんなこと言えなくなるよ。月の明るさ美しさ、それを無視するなんてとんでもない」


 別にこれは月見山さんを元気付けるためだけに言ってる訳じゃない。嘘をつく必要どころか、お世辞を使う必要すら無い。だって、月はあんなにも綺麗なんだから。

 望遠鏡や双眼鏡なんていらない。そのままの月を見る機会が欲しい。


「自分の名前に誇りを持っていいよ。その名前は、この世で最も美しいものの一つだ」


 昔から月は世界中で人に好まれ、その輝きを世界中に届けてきた。言葉を辿ればどれだけ月が望まれていたのか分かる。

 けれど、それを伝えたところで切り捨てられるだけ。本人が納得しないことにはこの話は終わらない。だから、僕自身が月をしっかりと見た時の感動を伝えられたら一番いいんだけど。


「満月が邪魔者? とんでもない。確かにそんな側面もある。月夜の下では惑星と一部の一等星くらいしか碌に見えないことも珍しくない。一等星だけで構成されている星座なんて一つも存在しないから星座を観測なんてほぼほぼできない。でもそんなこと、一番大事な正面を無視した戯言に過ぎないんだよ。もっとも大切なものが見えてない。月明かりに照らされた世界がどれほど惹きつけるか知らないんだ。月は本来、灯りがいらないくらい明るい。他の灯りがない状態で月を見たならそれを真に理解できる。その本来の姿は、他のどんな星達が文字通り束になったって敵いやしないんだ。確かに今日は月もない、雲もない、満天の星空かもしれない。夏だから偏西風の影響も少ない。午前にちょっとだけ雨が降って空気中のチリもほとんどない。びっくりするくらい好条件で、普段見れない星座もたくさん見れた。今日を逃したら次いつ会えるか分からない、そんな星達がたくさんいる。それでも心から思うよ。今日の空じゃもの足りない。満ち欠けするのも魅力の一つとはいえ、やっぱり月のない空は寂しい。今夜は主役がいないから脇役が輝いているだけだよ」


 異論はあると思う。

 でも、満月はこう言い切っていいだけの魅力を絶対に持っている。


「う、うん」


 顔を背けられた。

 ちょっと熱く語り過ぎたかもしれない。どうしようこの空気。

 助けてお月様!


 まぁ新月で顔を出さないから何を願おうが叶う事はない。いつだって人間は自分の手で未来を切り(ひら)かなきゃいけないんだ。

 ちなみに僕は主語を大きく言う人は嫌いです。


 それは(現実逃避は)さておき(この辺にして)


「と、いう訳で。これだけ語っておいて悪いんだけど、残念ながら今日はちょっと証明できないんだ。僕は月がどれほど凄いかを伝える言葉を持ち合わせてない。あの、見た瞬間目が(くら)んで囚われてしまう存在を隈なく表現できないのがホントもどかしくて仕方ない」


「いいから。もう十分(じゅうぶん)だから」


「いや待って、まだ戦える。諦めないで。語彙力が一朝一夕で身につかないのは百も承知だけど、まだまだ僕は満月がどれほど素敵な存在か半分も伝えきれてな」


「終わろ。私が悪かったよ」


「いやだって納得できてないよね。僕は全然語り尽くせてなんか」


「一晩かかるんだよね。足りないんだよね」


 なるほど、一言にまとめろと。

 千の言葉を超える一言、何かしら事実がいい。自分の体験の中で、他人に伝わるインパクトがあって、胸を張る事ができるもの。


「僕は! 月を見る為に学校サボった! 何回繰り返したって同じことをする!」


「!?」


 惑星食の観測、その主役は惑星ではなく月だ。だって、金星や火星が隠れている間、望遠鏡には月しか映らない。月の向こう側から惑星が顔を覗かせるのをワクワクしながら待っていた。最初は本当にサボるつもりで、その時もサボったつもりだった。出席扱いになったのは後からの話だ。


「ってごめん。あの時は満月じゃなかった」


 月齢で言うと27とか23だったはず。三日月を反転させたような形だった。

 次の天王星食は満月と重なるけど、月食とも重なるから結局満月は見えなくなる。何か都合の良い天体現象は……思い浮かばない。正確にはいくつか頭をよぎる現象はあるけど実際に見てはない。


「ねぇ」


「うん?」


 月という非常に魅力的な星を伝えきれなかった敗北感に打ちひしがれていると、月見里さんから声がかかった。

 嘲笑だろうか。いや流石にそこまで性格悪い娘じゃないか。


「次の満月の日は観望会あるの?」


「ん? あるよ。九月十日、中秋の名月だ」


 中秋の名月に合わせた観望会。土曜日という事もありハルカみらい天文台でも月見イベントを行なう予定だ。(ぼう)と呼ばれる月が一番丸い時間が午後七時(正確には一分ほどズレてる)と、ここ数年はなかったほどの好条件。去年、一昨年は日の出の後に望だったんだよね。日本にいる限り一番丸い瞬間に立ち会う事は不可能だった。


「なら……さ。一回見せてよ、そのちゃんとした満月」


「……よし! いいよいいよ任せて」


 なにかよく分からないけど次の機会があるらしい。

 これはもうプレゼン成功したと言っても過言ではない。そうだよ最初から満月の観望を勧めれば良かったんだ。今日伝え切れなくても、二週間後に絶好の機会がある。もう二度と満月を侮らせたりなんかするものか。


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