1. ラノベに出てくる主人公の妹はすべからくブラコン(であるべき)
話は僕と月見里雪月が知り合う前、ちょうど僕の誕生日あたりから始まる。
「お兄ちゃん、誕生日おめでとう!」
七月上旬のある日。
僕、天辻大輔はめでたく十六歳の誕生日を迎えた。
まぁプレゼントまで用意して祝ってくれるのは家族くらいのもので、友達からは学校でおめでとうの一言が精々。
そんな中可愛い異性、というと語弊があるけど妹から誕生日プレゼントをもらって嬉しくない兄はいない。
毎年のこととはいえ、少し照れるな。
「ありがとう、のぞみ。これ何? お札?」
妹の天辻のぞみは中学二年生。こういうのが好きなのは男子だけかと思っていたけど、そうでもないのかもしれない。
どうしよう。
苦笑いを隠しきれずにお礼を言おうとして、妹のとある変化に気付く。
「そうだよ。結構難しかったんだけど、お兄ちゃんしか使えないように専用化の魔法を編んであるんだ。どうどう? 成功してる?」
両手をそれぞれ顔の横まで持っていき、手のひらをこちらに向けて顔ごとゆらゆら、ゆらゆら。
その小さな手を結んで開いて。
その動作の全てが、僕の視線をのぞみの頭上に誘導するためのもので。
「……これ、ネコ耳ってやつか」
「失礼な。これどう見てもイヌ科のものでしょーが。お兄ちゃんはいつから猫派の尖兵になったの? わたしは悲しい」
知らねーよ。
イヌもネコも可愛いでいいじゃん。
いや違う。今論ずるべきはそこじゃない。
そのネコm……イヌ耳はあまりに自然で、作り物とは思えない。何より僕の視線を感じてか、たまにピクピクと動いている。
「それ本物なの?」
脳波で動くやつがあるけど、こんなんじゃなかった。
なによりあれは動くときにそれなりにモーター音がする。
「ふふん、確かめてみてもいいよ」
身長差の分こちらを見上げて、問いかけるようにゆっくりと瞬きを二回。
おそるおそる、のぞみの頭に手を近づけてそのまま頭をなでる。
「んっ」
手が触れた瞬間のぞみが声を出したけど、そこに拒絶の色はなくまるで僕の手の感触を楽しむように目を閉じて僕に身を任せている。
そして、僕の右手の小指が目当ての部分――頭のてっぺんから少し外れたとこにある人間の耳とは違った耳に当たった。
「え、どういうこと?」
その感触はおもちゃなんかじゃありえなくて、ちゃんと血の通った温かさを持っていた。
手をのぞみの顔の横、本来の耳がついている部分を触ると確かにちゃんと耳があった。
訂正。ちゃんと人間としての耳があった。
耳って普段意識しないけど、こんな形しているんだな。
「いつまで触ってるの、大輔。シスコンみたいよ」
「あ、ごめっ」
母さんの声がして慌てて手を放すも、この衝撃が忘れられない。
振り返って狼狽えながらも弁明を測ろうとし、今度こそ絶句した。
まさか人生で自分の母親のイヌ耳姿をみることがあるなんて思わなかった。
いい年してなんて格好しているんだ。
「まぁまぁ、大輔が戸惑うのも分かるよ。それに兄妹仲がいいのはいいことじゃないか」
バッと父親を振り返る。
頭上には……よし、何もない。
いやごめん。ちゃんと髪の毛はある。
今はイヌ耳についての話であって他意はない。
「あぁ、イヌ耳はお母さんの家系の方だからお母さんとのぞみだけだよ。大輔はそっちの特徴は発現しなかったみたいだね」
慌てて自分の頭を触る。
特に変わった様子はない。
父さんが言うように、僕の方には何もないんだろう。
残念なような期待外れのような……、いや待て落ち着け。ここは自分にネ、じゃなくてイヌ耳がなかったことに安堵するべき場面だ。
のぞみは可愛いから許されているのであって、僕にイヌ耳が生えていたってなんの需要もない。
「残念だよねー。今まで何かの間違いでお兄ちゃんに耳が生えてこないかと何度思ったことか」
需要あった!?
いやだから落ち着け。
こんなの、たかが誕生日に家族の知られざる秘密を明かされただけじゃないか。
そもそも実はドッキリでした、ってオチの方がまだ可能性高い。
「あ、その札身に着けてないと効果ないからね。ポケットに入れてるくらいで十分だけど、なくさないようにね」
試しに目の前のダイニングテーブルに札をおいてのぞみを見る。
耳は消えた。
札に手を伸ばし、触れるか触れないかのところで突如のぞみの頭上に耳が現れた。
ちょっと面白いなこれ。
現実逃避のように(あるいは現実逃避そのもの)手を出したり引っ込めたりする。
イヌ耳が現れては消え、消えては現れる。
「それ楽しい?」
のぞみの一言で正気に戻った。
どうしよう、どうすればいいんだろう。
「ちなみに尻尾もあるよ」
のぞみが半回転してお尻をこちらに向ける。
たしかにそこには尻尾があった。
のぞみが着ているピンクのパジャマから。小型犬を思わせる尻尾が見える。
これは確かに猫じゃなくて犬だ。
「ちなみに物理的には存在してない非干渉存在だからパンツとパジャマに穴は空いてないよ」
マジマジと女の子のお尻を見る気まずさに耐えきれず目をそらそうとしたんだけど、そう言われてしまっては確かに尻尾の付け根部分は気になる。
よく見えないな。
ちょっと角度をずらそうとして、顔だけ振り返ってるのぞみと目が合う。
ニヤニヤとしてとても楽しそうですね。
「んんっ、ありがとう。もういいよ」
咳払い程度でごまかせるような失態ではなかったと思うけど、のぞみは黙ってこっちに向き直ってくれた。
「とりあえず、気持ち悪いとか受け入れられないとかはなさそうで安心したよ。実はちょっぴり不安だったんだ」
少し嬉しそうな声音でのぞみが抱き着いてくるので迎え入れる。
きっと、今日まで僕に伝えなかった最大の理由はのぞみなんだろう。
頭を撫でてあげると、のぞみが強張った筋肉を弛緩させていくのを感じた。
「えへへ~。そこそこ、耳の裏側。ちょっとくすぐったい。もうちょっと乱暴にしてもいいよ」
おそるおそる耳を撫でてみるけど、力が弱すぎてダメ出しを喰らってしまった。
少しだけ力を込めると、のぞみは大人しくなり目を閉じてパタパタと尻尾を振った。
どうやらこれでいいらしい。
「母親としては、息子が娘を受け入れてくれたのを喜ぶべきか、息子の性癖が歪まないか心配するべきか悩むところね」
「いやそれ僕にだけ言うの不公平じゃない?」
このくらい普通の範囲内でしょ。
ただの団欒。
「残念ながら既に手遅れなのよ。魚に泳ぐなって言っても無駄なのと一緒」
「私は紛うことなきブラコンだからね。シスコン気味なお兄ちゃんとは違うんだよ」
「そういう訳で貴方が最後の砦なの。頼んだわよ」
……やっぱり不公平じゃないかな。
頭を撫でながらのぞみと目を合わせると、僕に拒絶されなかったのがよほど嬉しかったのかにぱーと笑う。
おかしいな。
もっと問い詰めるべきことがたくさんあったはずなのに、その笑顔を見てたらなんかどうでもよくなってきた。
「結局、僕の日常はこれから何が変わるの」
今日が節目であったことは確実。
なら、なにか生活に変化が……。
「何もないわよ。ただ、外で同族を見かけたらちょっとだけでいいから関わりを持ってくれれば、いえ、関りを持とうとしてくれたら嬉しいかな。ここじゃあ同族ってあまり見かけないもの。ま、見かけたらで良いわ。見かけたところで向こうも普通に暮らしているだけだと思うけどね」
世界は、僕が思っている以上に非日常を内包しているのかもしれない。
昨日までの常識が一つ壊れ、新しくなっていく。
今まで生きてきたことを繰り返していくだけで、ひょっとして何も変わっていないのかもしれないな。
「そろそろ離れてくれない? お母さんの視線がいたいんだけど」
「そんな!? あと五分。いや十分。せめて一時間は欲しい」
なんかシスコンと呼ばれても仕方ない気がしてきた。