11. 月の光に
「はい、実は陽が沈むまで結構暇です」
閉鎖されているだけあって周りには誰もいない。もう字がかすれて読めないけど石でできた大きめの案内板が足元にあるきり。
夕日が結構綺麗だから眺めててもいいんだけど、あんまり太陽ばっかり見ると目に悪い。星は多分土星? が見えてるきり。今日は日の入り後に月の出が始まるから月も出てない。遠征しただけあって雲一つなく、綺麗な月夜を期待できる空だ。
「計画性」
「返す言葉もない」
まぁ話してればそのうち陽も沈んで月が出てくるはずだ。
アウトドア用の椅子を並べ、携帯コンロでお湯を沸かしている最中。インスタントのスープや、スティックのココアくらいなら無計画でも用意できる。お湯が沸いたら魔法瓶に移してコンロの火を切る。紙コップじゃ量が合わないから、二つに分けてお湯を注ぎ、片方を月見里さんに渡す。
「私猫舌なんだけど。見た目通り」
「最低でも一時間はいるし冷めるまで待てばいいじゃん。それかさっき寄ったコンビニでなんか買わなかったの?」
猫舌なんだ。
まぁ九月とはいえまだまだ暑い訳だし別に熱い飲み物の必要がない。単純に僕が冷たいものより熱いものの方が好みなだけだ。夏は出番が薄いけど日差しはもうほぼないしやっぱりあったかいものが欲しい。そばとかうどんも基本ざるは頼まないタイプ。
「あー、これだけ」
チョコがコーティングされた棒状のお菓子。のどを潤すと対極にあるような、いやそんなこといったらほとんどのお菓子が当てはまるか。
「別に消化器官は猫じゃなくて人間だからチョコとか玉ねぎは平気だよ。猫舌なのはヒトとしての個体差。お父さんは別に猫舌じゃないし」
「ん? 猫ってチョコ駄目なの? 玉ねぎも?」
「駄目だよ。犬も同じ、っていうか人間が食べれるものが多いんだよね。アボカドとか調理で発生するガスだけで小さな鳥とか殺せるもの平気で食べるんだもの」
「へぇ。特に意識したことないな。鳥って牛脂とか食べるんだよね」
「何その限定的な知識。知り合いに野鳥観察の専門家でもいるの?」
「いる」
「……いるんだ。そっか、星見やってるんだもんね。いろんな人と会う訳だ」
「そういえば鳥の声ってどういう風に聞こえるの? 耳の性能はヒトより上なんだよね?」
「のぞみちゃんに聞いたの? 意識しないと普通の人間と同じようにしか聞こえないわよ。目もちょっとだけ影響あるかな。動体視力なら自信あるし、暗い場所でも結構見える。慣れるのも早い、のかな? 人と比べたことないから分かんないや」
何それ欲しい。
え、猫って本当に暗いところでも見えるの? そっか夜行性だもんね。むしろなんで人間が星見てるんだって話だ。
「でも別に視力自体は落ちるし色も見づらくなるからあんまり。人間の目ってかなり便利だよ。少なくとも人間社会を生きるなら猫の目は出番ほとんどない。この前の観望会の時も、星空はヒトの目の方が綺麗だったよ。たぶん前言ってたやまねこ座は見えない」
はいこの話終了。
人間って優秀だったんだな。正直フィジカル面では他の動物に勝てないと思ってたけど案外そうでもないらしい。そりゃそうか。仮にも地球を我が物顔で歩く支配者なんだから。
「完全に猫と同じ世界を見てるわけではないよ。なんというか、どっちかっていうより交じりあってる感じ」
「ふーん」
「興味もうちょっと持ってもいいんじゃない?」
いやだって、僕が知ってもしょうがないじゃん。
知ったからって手に入るわけじゃない。何か日常生活で気を使わないといけないなら知っとくべき情報もあるだろうけど、流石にそういう情報なら教えてくれるわけだし。
あぁ、でも。
そういえば?
「言っとくけど、マタタビが効くのはオスだけだからね?」
「そうなの!?」
驚きの声をあげ、しまったと感じた時にはもう遅い。
何考えていたかはっきりと伝わってしまった。そっか、これがジト目か。ひょっとして初めて見たかもしれない、と思うだけの余裕はない。
「……えっち」
図星な所為でなんか目を合わせづらい。
心読むのやめてくれ。いっそ殺せ。
「ごめんなさい」
いや待て、思考の自由は憲法で保障されてる。口に出してない現状僕悪くないのでは?
というか猫ってマタタビ効くのオスだけなの? メスには効かないんだ。知らなかった。
「……はぁ。別にメスにも効かない訳じゃないけどオスほど効果はないよ。私も別にキウイとか食べてその、変になったりはしないし」
なんか針のむしろに座らされてる気分。むしろなんて見たことないけど。
ん、なんでキウイ?
「マタタビ科だからよ。あとコクワもそうだけどそっちは食べたことない」
「コクワ?」
「さるなしのこと。ちっちゃいキウイだよ。五百円玉くらい」
さるなしも分からん。そんな果物あったんだな。
物知り、っていうかこれあれじゃない? 自分でもマタタビ科の植物気になって調べたんじゃ
「またなにか余計なこと考えてる?」
「この話題やめよ。なんか続けると致命的に嫌われる気がする。引き返そう? まだ間に合う?」
猫の話ってもっとほのぼのしたものじゃないの?
もっと猫は液体みたいな話で和むのが普通じゃないのか。
その後、なんとか立て直すことに成功した(つもりの)時には、とっくに陽が沈み、月が昇った後だった。
「あちら、中秋の名月になります。二月の満月に雪月という別名がついているように、九月の満月には収穫月という名前が付けられてるよ。北米の文化だね。収穫の時期だからハーベスト。面白いものだと十一月のビーバーとか八月のチョウザメとか、日本じゃ馴染みのないものもあるよ」
名前になりそうなのは四月のピンクムーン、五月のフラワームーン、六月のストロベリームーンくらいかな。流石に芋虫を名前になんかしない。
「へぇ、あれが一年で一番大きなお月様か」
「え? 違うよ」
月と地球の距離は変わる。月が地球を公転するとき、軌道が正確な円ではなく楕円を描くからだ。まぁほぼ円だけど、微妙に距離が変わるから、それによって大きさも変わる。基本的には一年で一番大きく見える満月がスーパームーンと呼ばれてる。
「今年のスーパームーンはもう終わった。七月の満月がそうだったよ」
「えぇ……。じゃあそもそもなんで中秋の名月が有名なのよ?」
「一番綺麗だからだよ。夏って月は高く上がらない、冬は高く上がり過ぎて見づらい。春は花粉とか黄砂で霞んで見えたりする。あとはやっぱり、稲作が終わってホッと一息つける時期だったのが良かった。収穫してお供えする先としてピッタリだったんだよ」
「なるほどねー。そういえばお供え物。ススキとか用意するべきなんだっけ?」
「まぁこれで勘弁してもらおう」
コンビニで買った団子を取り出す。丸い形を満月に見立てた最も有名なお供え物代表。
何本かあるし一本渡す。月見の条件はこれで満たしたと言っていい。
「天文台ではススキ含めて秋の七草をちゃんと全部備えるよ。そんなしっかりしなくても、月が綺麗だと思う心さえあれば大丈夫」
「天辻君って、意外とロマンチストよね」
「僕仮にも星空案内人だよ。ロマンの塊」
「それを誇れるのがすごいところだと思うよ」
「すごいのは僕じゃなくて星空だから」
「確かに」
笑い合う。
演出として話し方を意識したりはするけど、僕は主役じゃない。今日の主役は一目瞭然。地球の一番そばにある天体、月だ。
「でもウサギが餅ついてるようには見えないなぁ」
「あとは蟹とか女の人の横顔なんて言われたりするね。そう思ってみればなんとなくそう見える、程度だけど」
昔、まだ月にも陸と海があるとされていた時代。
月の模様の明るい部分が陸、暗い部分が海と考えられていた。今でもその名残で、月の地名には”静かの海”や”賢者の海”なんて名前が付けられている。水や液体が溜まってる訳ではないから名前だけだけど、なんなら湖や入り江だってある。
月を見るとき、今日はどれに見えるかな、とワクワクして見てる。僕の楽しみの一つだ。月の模様が変わることはないから、単純に僕の気分次第で変わるんだろうけどね。
「ねぇ、こっちは見たことある?」
僕が示した方向は、月のある方向とは真逆の方向。
夜でも光溢れる現代、こっちはなかなか見る機会がない。光源一つない場所だからこそ見えるものがあるんだ。
「影? え、月で!?」
今まで話しながら、陽が沈んでも懐中電灯などの灯りを点けることはしなかった。ヒトの目は、暗闇に目が慣れるのに三十分もかかるからだ。そのおかげで、月の光で作り出す影をはっきり見ることができる。
「辺りを見回してみて。夜と思えないほど見えるよ」
足元に落ちてる小石の形。樹皮の模様。
月夜の晩は、灯りがなくても普通に歩ける。昼間のようにとまではいかないけど、影まではっきり見えるおかげでこんなことだってできる。
「わんわん」
左手の親指と小指を広げ、右手で交差するように包む。右手も親指を出し、両親指を耳に見立てて犬の頭部に似た影を作る。左手小指を少し動かす。下顎部分が連動して口をパクパクさせて、鳴き声は地声。細かい部分は影を実際に見ながら微調整していく。
なかなか似てきた。様になっている。座っててもちょっと地面と距離が離れすぎてるけど、ちょうどいいスクリーンがある。本来の役目はもう果たすことはできない石の板。かろうじて矢印だろうという跡が見えるのみのそれを舞台に使って犬を登場させる。
「むぅ、猫はどうやるの?」
月が明るいからネコ耳を不満気に揺らすのが見える。黒いから前回の観望会じゃ全然見えなくて途中から忘れてたくらい。
猫の影の作り方はちゃんと調べたよ。絶対言われると思ってたから練習までした。犬に比べて難しすぎない?
「こんな感じ」
左手の小指と親指を耳、そして他の指を握りこんで顔を作る。右手で尻尾と胴体。
実演しながら説明してるけど、やっぱり難しい。ネットでは小指を伸ばすらしかったけど、畳んだ方がそれっぽく見えたので畳む。攣りそうでツライ。
「え、どうやってるの?」
「こうこう、尻尾は人差し指、中指足してもいいよ」
「あ、こうかな。え、難しい。うーん、よし。……にゃあにゃあ」
「わんわん!」
猫を伝授し犬に戻す。さっきまでより一回り大きく、目の部分を作ったパターン。しばらく猫と犬で戯れさせる。
月も見ずに何やってるんだと冷静になったのは、兎を跳ねさせ、梟を羽ばたかせ、鹿の角を再現した後だった。正直超楽しかった。
「ちょ、望の時間過ぎてる!?」
光らないタイプの腕時計を見ると、いつの間にか十八時五九分を二分ほど過ぎていた。一番丸い瞬間を見逃した。
「え、駄目じゃん」
二人して慌てて立ち上がり後ろを振り返る。
今まで影を見てたんだ。どこに月が出ているかなんて
そして
目を灼かれた。
当然だ。ヒトの目は暗闇に慣れるようにできてる。月が明るいとはいえ太陽に遠く及ばない。影を見るにはどうしたって目を凝らす必要がある。時を忘れるくらい影絵で遊んでいたなら、ヒトの目は暗いものを見えるように虹彩をめいっぱい開き光を集め、目の奥の桿体細胞を増やしてわずかな光を感じることができるように暗順応という変化を起こす。その状態で、満月なんていう明る過ぎる物体を見れば目が眩むなんて当たり前のことだ。
「これが……満月」
思わず左手を翳して月の光を遮り、その隙間からおそるおそる月の光をその目に捉える。
その眩さを、徐々に受け入れていく。暗さに慣れるには三十分かそれ以上の時間がかかるのに対し、明るさに慣れるのは早くても四十秒ほど。その間碌に月を見れない訳だけど、それでも目を離せない。
隣の月見里さんも僕と同じく、月の魔力に取り憑かれている。思わず漏れた声がその証拠だ。
直視できないのに、視線を外すことができない。
この状況を作り出すためにわざわざ影絵を覚えた。ちょっと楽しすぎて時間オーバーしてしまったのが誤算だったけど、僕の企みの大成功を確信する。
これが、満月の美しさだ。
きっとこれから月見里さんは空を見上げる度に月をその目で探すことだろう。そして月の満ち欠けに一喜一憂するんだ。
もう邪魔者なんて呼ばせない。いや、呼んでくれたっていい。月からはそれ以上の贈り物をもう貰った。
たっぷり時間をかけて。
一分だろうか。五分だろうか。ひょっとしたら十分以上見てたかもしれない。
感嘆の声は必要なく無言で月を眺め、飽きることなく見上げる先にある天体に思いを馳せる。
「ねぇ天辻君」
「何? 月見里さん」
「雪月でいい、ううん。雪月って呼んで」
隣に立つ少女にとって、満月が少し特別な存在になった。
それに貢献、できたよね。
「どう? 初めてちゃんと見た満月の感想を聞かせてよ、雪月」
雪月は僕の問いに答えるため、こちらに向き直って笑った。
それはたぶん初めて僕に見せた、心からの笑顔だった。
「うん、バッチリ」
星以外に心を奪われたのは初めてかもしれない。
僕の隣に立っているもう一つの月は、空に輝く月に負けず劣らず魅力的だったことに今更になって気付いた。
「私は、自分の名前を誇りに思うよ。ありがとう」




