1ー07.屋敷の衛兵
ベルゼの屋敷にはベルゼが雇った使用人達以外に屋敷を守る為の衛兵達が配備されている。衛兵達は元は王城の近衛兵だった者や他貴族の屋敷で勤めていた者など紆余曲折を経てベルゼの屋敷へと辿り着いた者が多かった。
彼らの中には冤罪を着せられて職を追われた者や種族を理由に不当な差別を受けていた者等、この世界で陽の目を見る事が出来なかった者たちが多いが、ベルゼは自身の目で見て信頼するに足る人材であれば積極的に登用していた。
その為、一見すれば寄せ集めの兵の様に見えるが、ベルゼへの強い忠誠を誓った猛者達が集まっている。そんな彼等の目には突然現れてベルゼの寵愛を一身に受けているエンドは単なる嫉妬どころではなく、憎悪の対象として見られていた。しかし、エンドは彼らの感情を良い意味で裏切り、衛兵達の支持を集める事になる。
切っ掛けはベルゼが不在だったある日の出来事だった。
公爵であるベルゼには王国の貴族の一員として王城での議会への召集がかかる。その為、メイド長のジルと執事のヴラドと数名の護衛を従えて登城するため、屋敷を留守にする事がある。
そうなるとエンドは特にやる事がなくなる。最近まで企業戦士として働いていた事から何もせずに過ごすのが苦手なため、何かやる事が無いかと屋敷を見渡して目に止まったのが衛兵達の訓練だった。
衛兵達は門番等の当番を残して、午前中は屋敷の敷地内に設けられた訓練棟で戦闘訓練を行う。そんな猛者揃い衛兵達は得てして脳筋野郎が多く、訓練に熱が入り過ぎて暑苦しさと緊張感を漂わせている。訓練の内容は剣の素振りや弓の試射から模擬戦と様々だが、エンドは興味津々で模擬戦を見学する事にした。
エンドに良い感情を持っていない衛兵達は自分たちの力を誇示するかの様に激しくぶつかり合って訓練をしている。
訓練の内容は暴漢を制圧する為の逮捕術のようで、激しい攻防があちらこちらで繰り広げられていた。
「エンド様も練習に参加してみますか?」
そんな中、模擬戦をしていた男の1人がエンドに声を掛けてきた。その男は衛兵達の隊長格でデン隊長と呼ばれている2メートルを超える犬系獣人の男だった。彼は衛兵達の中でも特にベルゼへの忠誠心が強く、エンドを快く思っていない筆頭と言うべき男だ。ベルゼが不在の時を突いて早速、エンドに接触して来たのである。
「デン隊長、エンド様はベルゼ様のお客様なのですよ。冗談が過ぎるのです。」
アリスが見咎めて会話に割って入るが、誘われたエンドはこの世界に召喚されて手に入れた自身の強靭な肉体を試さんとばかりに、やる気満々でやたらと乗り気で肩を回したり、アキレス腱を伸ばしたりしている。
エンドの格闘技経験は小学低学年の頃にドラゴン・チェンのカンフー映画の大ヒットで起ったカンフーブームの影響で半年間だけ通った少林寺拳法と高校の授業で必修だった柔道だけである。あとは専ら見る専門で特に年末の格闘技イベント等は大好物だった。
ちなみに目の前のデン隊長の醸し出す雰囲気がテレビで見ていた格闘王、舟橋ミノルに似ていたので、少し嬉しくなっていた。
「この身体だったらできそうな気もするしね。まぁ、怪我しない様に程々で終わるから。」
エンドは軽い調子でアリスに告げるとデン隊長と向き合う。
衛兵達はこれからデン隊長による公開リンチが始まるものと期待して、ニヤけた表情で成り行きを眺めている。そしてデン隊長も余裕の表情でエンドと向き合っていた。
この状況でエンドもまたリラックスした表情でデン隊長と相対している。
この場でアリスだけは気が気でない表情でオロオロしていた。
そして、デン隊長とエンドの対決は始まってみると誰も予想しない早さで決着した。
審判役の衛兵が開始を告げた瞬間、デン隊長がエンドとの距離を詰めて掴み掛かろうとした。そこに合わせるようにエンドの右カウンターの掌底がデン隊長の顎先に決まる。
この一撃でデン隊長は脳を揺さぶられて平衡感覚を失ったようにグラリと前のめりに倒れかかる。
エンドはグラついたデン隊長の顔面を目掛けてダメ押しとも言うべき膝蹴りを打ち込んで畳み掛けるとデン隊長は完全に意識を飛ばして地面に膝を付く。
エンドは更に追い討ちをかけるようにデン隊長の背後に回り込むと彼の太い首に腕を回して頸動脈を圧迫する。プロレスや総合格闘技で言うところのスリーパーホールドが完全に極まった。この僅かな時間の攻防に、この場に居合わせた全員の顔に驚愕の表情に塗り替わった。
「ねぇ、止めない?舟橋ミノルが前原アキラに瞬殺された時のパターンだけど。」
エンドが審判に声を掛ける。審判はエンドの言った発言の意味は判らなかったが、目の前の状況から正気を取り戻して、慌てて試合を止める。
ニヤけた表情で見つめていた衛兵達の表情は凍りつき、アリスも驚きの余りに口をあんぐりと開けて固まっている。アリスは折角の美女が台無しだ。そしてデン隊長は口から涎を垂らしながら白目を剥いて倒れている。
デン隊長はエンドに上半身を抱え起こされてようやく意識を取り戻した。
「い、今のは?何が起きたのかサッパリ解らん。完敗ですな。」
デン隊長は潔く負けを認めてエンドに握手を求める。衛兵達はデン隊長を簡単に倒してしまったエンドのチカラを目の当たりにして青ざめた表情をしている。そして誰もが先走ってエンドに勝負を仕掛けなかった事に安堵していた。
「エンド殿、今のは凄かったです。」
「その技、教えてくれ。」
「さすがベルゼ様が見込んだ男だ。」
「オレは最初から只者では無いと思うてたぜ。」
チカラを示した事で脳筋野郎達の中でエンドの評価が急上昇し、実にあっさりと彼らに受け入れられた。むさい男達がチョロくて誰得なんだろうか。
しかし誰かの発言でこの場に静寂が訪れる。
「ちなみにエンド殿とアリス様とでは、どちらが強いんだ?」
「え?ここで何故にアリス嬢の名前が出てくる?」
流石にアリスの名前が出てくるのは、エンドにとって予想外だった為、思わず聞き返す。
「いや、まぁ、そのアリス様は公爵であるベルゼ嬢の護衛も兼ねている戦闘メイドだから・・・。我々とは比べ物にならない程、お強いさ。」
エンドの素直な疑問にデン隊長はアリスの様子を窺いながら遠慮がちに説明する。
「デン隊長、お喋りが過ぎるのです。エンド様に変な事を吹き込まないで欲しいのです。」
アリスは顔を赤らめながら、デン隊長の説明を威圧を込めた声で打ち切った。
「主の身を守るのもメイドの勤めなのです。私などは少々、嗜んでいる程度なのです。」
この後、デン隊長の「強い」発言を否定するため、懸命にエンドに語りかけるアリスの姿があった。そしてエンドはあの瞬間のデン隊長の表情から、アリスが脳筋野郎達を黙らせる程に強いのだろうと確信した。
この出来事以降、エンドは衛兵達と共に訓練で汗を流して、共に飯を喰らい、共に酒を酌み交わすようになった。所謂、コミュニケーションと飲みニュケーションを図る事で彼等と強い信頼関係を築く事に成功した訳だ。そして衛兵達にも変化が現れ始めていた。
エンドは衛兵との訓練に自身が知る総合格闘技の技術を持ち込んだ。と言っても自宅でビール片手にテレビで観戦して知った程度の知識だったのだが・・・。それにも関わらず衛兵達はエンドがもたらした知識にまるで新しいオモチャを与えられた子供の様に夢中に取り組み、屋敷内ではちょっとした総合格闘技ブームが起きていた。
その結果、ベルゼの屋敷に勤める衛兵達は急激に対人格闘の強さを増す事となった。
エンドもまた衛兵達との訓練を通してこの世界に召喚された際に再生した肉体のポテンシャルを確認する事ができた。エンドはテレビでボンヤリと見ていた一流の格闘家達の動きを見事に再現してみせる強靭な肉体とパワーを手に入れた事を知った。
セカンドライフで犬の戦士と闘った。。