1−19.ヘクラ山への旅①
ベルゼ一行がヘクラ山周辺領の視察に出発する日がやってきた。
朝から屋敷は賑わっており、どこか落ち着かない雰囲気だ。
特にメイド長のジルと執事のヴラドはベルゼの旅に同行しない為、必要以上にソワソワしている。まるで子供に初めてのお使いを頼んだ親のようだ。
「姫様、本当に私も同行しなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。ばあやは心配性なのだから。」
ジルとベルゼのこのやり取りも今日だけで何度目だろうか。ベルゼが何歳になっても彼女はベルゼの保護者なのだ。
「エンド殿、姫様の事を頼みましたぞ。」
「承知してます。お任せ下さい。」
ヴラドも心配を隠すこと無く、エンドに旅の間のベルゼの事を頼む。彼もまたベルゼが何歳になってもベルゼの保護者なのであった。
「アリス姉様、気をつけていってらっしゃいませ。」
イリスがアリスに声をかける。
「ア、アリス姉様、イッテラッシャイマセ。ワタシタチ、イイコデオルスバンシテマス。」
ユリスとエリスは旅の同行を代わって欲しいと言って、アリスの逆鱗に触れてトラウマ級の恐怖を植え付けられた。まだ、その恐怖は癒えておらず、恐る恐るなんとかアリスに声をかけている。
デン隊長達衛兵はベルゼ達の旅の荷物の積み込みに忙しそうにしており、クライナー料理長も朝から一行のお昼のお弁当作りと食材の積み込みに余念がない。
暫くすると商業ギルドのセルバ土木部長とマリーが旅行カバンを片手にベルゼの屋敷にやってきた。彼女達は商業エリアから貴族街に向かう乗合馬車に乗ってここまでやって来たようだ。
「ベルゼ公爵様、おはようございます。本日よりどうぞ、よろしくお願いいたします。」
商業ギルドを代表してセルバがベルゼに挨拶し、その後ろに控えるマリーもベルゼにお辞儀で挨拶をしている。ベルゼがマリーのお辞儀に微笑みを返すと顔を赤くして俯いていた。
これでヘクラ山に視察に向かう全員がベルゼの屋敷の庭に揃った。ベルゼはエンドに促されて出発に当たっての挨拶を行う。
今回の旅に同行するメンバーには旅の安全と無事の帰還を約束し、留守を任せる者達には不在の間を頼むと言葉をかける。
ベルゼの挨拶も終わり、いよいよ出発という時になって、一台の馬車が屋敷の前に止まる。馬車から出てきたのは、背中に白い羽が生えた幼女だ。
「おぉ、間に合ったようじゃ。吸血姫よ、ワシも同行する事にしたでの。よろしゅう。」
どこから情報を仕入れたのか、ベルゼの屋敷にアリエル商会のフェイル・アリエルがやって来て、旅への同行を求めてきた。
「あら、フェイル。よく旅の事を知っていたわね。」
「そりゃ、公爵家から保存食やら旅用のマントやらの発注があれば、どこかに行くのだろうとは想像もつくじゃろ。」
ベルゼの質問にフェイルが応答する。本業の薬品の調合だけでなく、商会の取引履歴にも目を通しているとは、仕事熱心な幼女である。
「それに商会で集めた情報で公爵家が商業ギルドの職員を連れて旅に出ると聞けば、興味も湧くじゃろ。」
セルバ達も同行する事まで知っているとはアリエル商会の情報網、恐るべしである。
「旅先ならエンドの兄さんも羽目を外して、ワシから聖水を取りたくなるかも知れんし。」
「それは前にお断りしたはずなのです。」
フェイルのトンデモ発言にアリスがエンドに代わって拒否を表明する。
「フォッフォッ。エルフのお嬢ちゃんのガードが硬いのう。」
「私はエンド様の担当メイドなのです。私がエンド様をお守りするのです。」
フェイルに向けてアリスが堂々とガード宣言する。アリスがとても逞しいが、聖水の一件以来、アリスはエンドへの気持ちを隠さなくなった。彼女の中で何か吹っ切れたのだろう。
そんな話をしている間にもアリエル商会の従業員達がフェイルの荷物を馬車に積み込んでいく。フェイルの指示に忠実なよく出来た部下達だが、ベルゼもエンドもまだ同行を認めてはいないのにお構いなしである。
「おしゃべりはそこ迄にして、そろそろ出発しましょう。」
「そうそう、道中は幾らでも話せるからのう。」
闖入者の出現で何だか締まらなくなったが、ベルゼが出発を促し、同調したフェイルが何故か取り仕切り始める。
さぁ、いよいよ出発である。
先頭にアリス、エンド、セルバが乗る馬車が進み、その後ろにマリー、フェイル、ベルゼを乗せた馬車が続く。予定ではマリーがエンド達の乗る馬車に乗って、セルバはベルゼが乗る馬車に乗る予定であったが、道中にエンドと視察の打ち合わせをしたいとの事でマリーと入れ替わった。その際、マリーが「ご褒美!」と呟いたのは誰の耳にも届かなかった。
2台の馬車は王都の貴族街を出て、商業街を抜けて王都の南門から王都の外へ出て行く。
王都の外に出たと言っても暫くは畑や草原が広がる長閑な風景が続く。道も整備されており、大きく揺れることも無い。
本日は王都の最寄りの町であるニアルの町を通り過ぎて、その先のウィーノ村を目指す。
ウィーノ村辺りまでは王都に近く街道も整備されており、盗賊なども少なく治安が良いので比較的安全に旅ができる。馬車はガタゴトと揺られながら、ノンビリと進んでいく。
なお、この旅で使う馬車はベルゼが所有する公爵家の馬車ではなく、商業ギルドでセルバが御者付きで手配した馬車である。ベルゼの持つ馬車と比べるとかなり乗り心地は落ちるが、あまり目立たずに旅をするのには丁度よかった。
馬車の中の様子を見るとマリーがご満悦だった。セルバに巻き込まれる形で今回のベルゼ公爵のヘクラ山周辺視察に同行する事になったのだが、当初は不満たらたらであった。
マリーはセルバと違って商業ギルドの平職員である。それを一ヶ月もの長期にわたって王都外への旅に同行する事になった。いくらセルバの後押しがあったとしても上司から決済を貰うのに要した苦労は並大抵では無かった。最後は泣き落とししたのは周知の事実になってしまった。
しかし、そんな事は今の現状を考えれば些細な事だったのだ。馬車の中を見渡せば、吸血鬼美少女に天使美幼女の2人に囲まれている。まさに両手にフラワー。天下人の気分とはかくなるものと言わんがばかりである。
マリーの心の声が歓喜の叫びをあげる。
「ウヒョヒョー。こんな狭い部屋の中で美少女と美幼女を独り占めじゃー。神様ありがとう。もうギルド内でセルバ派認定されて、反ギルマス派って思われても構いませーん。土木部長、誘ってくれてありがとう。さぁて、時間はたっぷり、私はハーレムを満喫じゃー。」
マリーは真面目なギルド受付の仮面の下に美少女、美幼女好きの特殊性癖を隠し持っていた。
最初に異変に気付いたのはフェイルだった。隣に座るマリーがジリジリとにじり寄り密着して来たのだ。フェイルは初対面の相手に気を遣いながらも、自身が少し横にずれて距離を取るが、すかさずマリーが開いた距離を詰める。
「ひぇ。」
フェイルが思わず声をあげるとマリーが優しい声で問いかけて来る。
「あら、フェイルちゃんどうしたの?」
ここでマリーに向かって正直に「気持ち悪い」と言っていれば良かったとフェイルは後から後悔する。
「いや、馬車が揺れてちょっとビックリしたんじゃよ。」
フェイルの言い訳にマリーは、ニタァっと悪い笑顔を浮かべる。
「あらあら大変。怖くないように、お姉さんがしっかり捕まえててあげるねー。」
そう言って遠慮なくフェイルを抱きしめるマリー。フェイルは助けを求める視線をベルゼに送るが、事情を察したベルゼはフェイルを生贄にする事を即断する。
「フェイルちゃん良かったわね。綺麗なお姉さんにハグしてもらって!」
ベルゼの裏切りにフェイルは気が遠のく思いだ。
フェイルは裏切り者のベルゼに心の中で毒づく。
「おのれ吸血姫めぇ、ワシを売り渡して自分の身の安全を取るとは。この借り必ず返してやるぞい。」
きっと立場が逆ならば、フェイルはベルゼに同じ事をしたであろう。フェイルはベルゼへの恨みを募らせるが、目下の問題はフェイルの身体中を遠慮なく弄ってくるマリーの手をどうやり過ごすかだ。
そんな女たちの駆け引きが繰り広げられている馬車とは別の馬車ではエンドとセルバが真剣に視察の打ち合わせをしていた。エンドは存在感は薄いが、しっかり仕事していた事だけ補足しておく。