終筆 言の葉に咲く花
『三日月の歌』を完成させてからは、暇な日の間にちょこちょこと用事が入り、忙しいのか忙しくないのかよく分からない日々を過ごしていた。冬がやってきて年を越し、大学生活最後のレポート課題を終わらせ、それが終われば今度は新生活の準備をする。あっという間に時間は過ぎ、季節は冬から春へと移り変わろうとしていた。
「あんた、ネクタイちょっとだらしないよ」
母に言われて鏡を確認すると、確かに微妙に曲がっているし、さらには首元まできっちりと締められていない。
「まあでも、結び方すらわからなかった時期からは進歩したでしょ」
ネクタイを曲がりなりにも一人で結べるようになるには、思ったより慣れが必要だった。慣れてしまえばそんなに難しい手順ではなかったが。あとは母の言う通り、もっと綺麗に結べるようになればよいだろう。
「そりゃ、そうだねえ。でも今日は卒業式だし、いつも以上にちゃんとして行きな」
「はーい」
そう言われて俺はネクタイをほどき、もう一度鏡とにらめっこした。
「それでは、学長の挨拶です」
校歌を歌い終わると、司会が挨拶をした。その挨拶を受けて、我が大学の学長である、植森麻子氏が壇上に登り、机の上のマイクスタンドの正面に立った。
「皆さん、ご卒業おめでとうございます。えー、これから先、皆さんの多くは社会という大きな舞台に旅立っていくわけですけれども、そこでね、大事なことを一つ、覚えておいてほしいんですね」
学長が喋りだす。広い会場内の静寂がより強まったように感じた。
「これは私が毎年言っていることなんですが、老いるとは年を取ることではなく、挑戦し続けなくなることです。ただ単に年を取ることではなく、挑戦しなくなること」
大事なことなので二回言いました。
「挑戦するということをやめると、脳というのは急速に老けていくんですね。逆に、日々何かの目標に向かって挑戦し続けている人っていうのは、生き生きとしていて若い。だから年を取ったからといって、老いてゆくというわけでは必ずしもないんですね。だから、皆さんも挑戦し続けて、満足のいく人生を送って下さい」
挑戦し続けること、か。俺なら、物語を書き続けることだろうか。
それからも学長の送辞はしばらく続いたが、結構長かったので途中で居眠りしてしまったこともあり、内容はあまり覚えていなかった。大事なことを一つと言いつつ、実際にはもっといろいろと伝えたに違いない。ただ、学長が一番最初に言った、老いるとは、という定義だけは覚えていた。忘れないようにしようとも思った。
「それでは、只今から退場を行います。卒業生の皆さんは順番に席をお立ち下さい」
卒業式のプログラムが全て終了したようだ。通路側にある椅子に座っていた学生から順番に立っていく。俺も程なくして立ち上がり、まだ椅子に座っている学生たちや、壇上に立った先生方から拍手を浴びて会場から出て行った。
外に出てしばらく歩き、俺たち文系組のメインキャンパスに足を踏み入れる。ここでは各教室ごとに割り当てられたゼミの集まりがあり、卒業証書の授与と謝恩会の連絡を受ける。そして、謝恩会までは暇なので、基本的にはキャンパス内には卒業生同士で話したり、サークルの後輩から送られたりする卒業生が多い。
「先輩方、ご卒業おめでとうございます!」
島本君や村上君たちが俺や彩菜ちゃん、西野に花束を手渡してくれる。
「写真撮りましょう、写真」
卒業生は後輩の求めに応じて、ツーショットや集団で写真を撮る。独創書荘に限らず、大体どこのサークルもそんな感じだ。
「本多君も撮ろー!」
彩菜ちゃんが俺に笑顔を向ける。うわっ、美人・・・!!
振袖を着て髪型や化粧を整えた彼女は、元々の整った目鼻立ちがさらにくっきりとして美しく、直視するのが眩しくて、何だか照れ臭かった。
「ちょっ・・・彩菜ちゃん、美人すぎん?」
言わずにいられなくてつい言ってしまったが、彼女は全く照れる様子なく答えた。
「でしょ?ありがと」
やっぱり、いい性格してんなこの子。
「お前、口説いてんのか?」
西野が茶化す。
「ちげーよ」
俺と西野はそれぞれ彩菜ちゃんの両隣に並んだ。
「じゃ、そろそろ撮りますよー!・・・ハイ、チーズ!」
カメラを持った島本君がシャッターを切る。
「こんな感じでどうですか?」
「うん、いい感じ!ありがとう!」
島本君が撮ってくれた写真には、左から順に俺、彩菜ちゃん、西野と並んでいた。みんな笑っている。
「彩菜ちゃん」
「ん?」
「俺、小説書き続けることにしたわ」
「本当!?良かった!」
「彩菜ちゃんのおかげだよ」
「本多君はなんだかんだ言って、ちゃんと人の話を聞いてくれるからね。私の言葉が響いたみたいで良かった」
「デビューできたら、報告するよ」
「うん、楽しみにしてるね!・・・あ、ごめん私そろそろ行かなくちゃ」
「分かった。じゃあ、ここで」
「うん、バイバイ。またね。卒業おめでとう」
「彩菜ちゃんも、卒業おめでとう」
こうして彩菜ちゃんとは手を振って別れた。まあ家が近いから会おうと思えば会えるのかもしれないが。西野は気づいたらどこかにいなくなっていた。
幸運にも今日はよく晴れてくれた。空を仰ぐと青色が広がっていた。
空を見上げていると、今までの経験が思い浮かんできた。
色々あったなあ。
たぶん、この間出した賞の結果が返ってくるのは、今日か明日あたりだろうと思う。もしかしたら受賞しているかもしれないし、今までと同じように落選したかもしれない。
だけどもう、どんな結果が出ようと構わない。プロだろうがアマチュアだろうが、やっていることは同じなんだ。みんな、内容はどうあれ自分の物語を書いている。そこに差なんてない。
思うように結果が出なくて、この間みたいに腐って、小説を書くことを辞めたいと思う日が来るかもしれない。ずっとデビューできなかったら、作家崩れのイタい中年オヤジと言われて馬鹿にされるかもしれない。
それでもいいんだ。
誰に馬鹿にされようが、これは俺のやりたいことなんだから。
俺は、小説を書くことが好きなんだから。
それだけで、いいんだ。
だから、俺は、物語を書くことをやめない。
『言葉くんの小説は、まるで花が咲いているみたいだね』
そうだろ、先生。
もう一度、言葉に花を咲かせてみせるよ。
もう返ってきてるかな―――――
そう思いながら、俺は玄関のドアを開けた。
「ただいま」
「ああ、おかえり」
俺は荷物を置き、手洗い場に向かった。
「あ、そうだ。これ、届いてたよ」
そう言いながら、母さんが俺に封筒を差し出してきた。
「うん」
封筒には、俺がこの間応募した賞を主催している出版社の名前が書かれていた。間違いなく届いている。
俺は深呼吸をした。
そして、封筒を開けた。
べりべりべりっ。
封筒を破く音が、なぜか心地よく耳に響いた。
これにて言葉達の物語は終わりです。ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
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それでは、次回作でまたお会いしましょう。




