第31筆 作家の才能
「ごちそうさまでした」
食べ終わったことを宣言して食器を流しにあるボウルの中に突っ込むと、俺は自室に入った。歯を磨きながら考える。
もう一度、作家を目指す。
確かに、できないことではない。社会人になってからデビューした作家だってたくさんいるのだから。平日は仕事をし、休日は小説を書いて、働きながら作家を目指すというわけだ。
でも俺、今まで全然上手くいかなかったし、これから仕事しつつ苦労して小説を書いても、やっぱりダメなんじゃないか。そうしている間にも、自分より若くて将来有望な新人たちがどんどん現れて先を越してゆく。彼らを傍目で見ながら臍を嚙む、ずっとそんな生活が続くことに、俺は耐えられんのか。本気で目指せば目指すほど、村上君が賞を取った小説を読んだ時のあの感覚を、また味わうことになるのか。その痛みを受け入れる覚悟を、もう一度できるのか。
・・・やっぱり、俺には無理だよ、彩菜ちゃん。
『本多君は、それでいいの?』
『本当に、作家なんか、小説なんかどうでもいいっていうのが、本多君の本心なの?』
・・・・・・
くそっ!!
俺はどうしたいんだ!!
分かんねえよ!
頭の中も心の中もごちゃごちゃしてきたので、歯ブラシを片付けて、リビングに一旦水を飲みに行った。そして部屋に戻ろうとしたとき、
「おい、言葉」
弟が俺の名前を読んだ。珍しく真剣な顔だった。
「何だよ」
「ちょっと、俺の部屋に来い」
「・・・何で?」
「話があるんだ」
こいつが、俺に話?何なんだろう。
俺はコップをテーブルに置き、弟とともに2階にある奴の部屋に向かった。
「で?話って何だ」
こちらが問いただすと、弟は自分の机の上にあるファイル立てから白いファイルを抜き取り、中身を一つ一つ広げていった。俺は机に近づいて、その中身を見てみた。どれもホッチキス止めしてあり、そこそこ分厚い。
って、ちょっと待て、これは・・・!
「おい、これ・・・!」
「そうだよ。俺、お前の小説、全部読んだんだ」
「え・・・!?」
事態がいまいち飲み込めない。
「俺、お前に俺が書いた小説見せたことないだろ。なのにどうして」
「前に俺がお前に対して、作家になんの?って聞いたことあんじゃん」
「ああ」
そういえばそんなことあったな。
「それでお前は、そのつもりだけどって答えた。驚いたよ。お前が小説書いてたのは父さんたちの話聞いてて分かってたけど、まさか本当にプロ目指してるなんて思いもしなかったから。こいつ正気かって思ったわ」
「何が言いたいんだよ」
また俺をこき下ろそうとでもいうのか。
「最後まで聞け。で、気になってお前がいない間にお前の部屋に入って、探したわけだ。机の上にほったらかしにしてあったから、すぐ分かったけどな。で、それを自分の部屋に持っていって、勉強の合間とか大学から帰ってきてゆっくりしてる時とかに、ちょっとずつ読んでったんだ」
「・・・マジか」
そうか、前に小学校の時に書いた俺の初作品を探してる時に、机の上に見当たらなかったのはこいつのせいだったのか。
「つまり、お前は俺の部屋に勝手に入って、落選した俺の小説を読んでたわけだな」
「うん。部屋に勝手に入って悪かったとは思ってる」
「それは別にいいけど、勝手に読まれるのは恥ずかしい」
俺の発言を受けた弟は首を傾げた。
「お前、そんな人に読まれて恥ずかしい作品書いてたか?」
「・・・どういうこと?」
「俺、ここにあるやつは全部読んだけど、普通にすげえって思ったんだ。こんなん俺には書けないしな。いいじゃん、お前の小説。プロ目指してたってたっていうのは本当だったんだな」
「お前の口からそんな台詞が出てくるとは思ってなかった」
弟が俺を褒めるだと?一体何年振りだ、そんなの。口の悪いだけの奴かと思ったら、そんなこと思ってたのかよ。
「で、そろそろデビューできそう?」
「・・・・・・」
「ん?どした?」
「プロ作家は諦めたんだ。俺はもう、二度と小説を書かないって決めた」
弟は目を瞠った。
「え?何で?」
「そりゃお前、俺には才能がないから・・・」
「そんなことない。お前には才能がある」
『言葉さんは才能があると思います』
村上君の言葉が重なる。
「俺はずっと賞に出し続けてきたし、ネットにも投稿してきた。でも全然ダメだった。それなら、お前の言う才能って、何だよ!」
熱いものが胃から口まで移動してくるようだった。その熱い何かを上手く制御できない感覚に襲われる。声が大きくなり、まるで喚き声のようになる。
「だってお前、小説書くの好きじゃん。それを才能っていうんだろ」
「・・・・・・え?」
「好きこそ物の上手なれっていう言葉があんだろ。お前の作品読んでて、ああこいつ本当に話を書くのが好きなんだなあって感じた。書くのが好きじゃなきゃ、あんな話は書けないし、あんなにいっぱい書けない。違うか?」
「俺は・・・!」
目の淵が少しずつ熱くなっていく。
「なあ、言葉。お前がプロ作家目指すのを諦めるのは、しょうがないことかもしれない。難関国立大の受験なんかとは比べ物にならないくらい狭き門なんだし、第一、お前の人生なんだから俺が口を出すことじゃない。でも、それでも」
心は続けて言った。
「それでも、好きなら書き続けてくれよ。プロになれるかどうかがそんなに大事なのか。唯一絶対の基準なのか。俺はそうは思わない。プロになんかなれなくたっていいし、他に読む人がいなくたっていいから、俺はお前の小説が読みたい。それじゃ、ダメか」
目の淵に溜まっていたものは堪えきれずに零れ落ち、頬を伝っていった。床に水滴が落ちる。
「なあ、兄貴」
体が上下に震えているのが自分でも分かる。これ以上は無理だ。
「・・・ごめん。ちょっと、外出てくる。後で帰るから」
俺は小さな声で言った。
「分かった」
心は全てを理解したかのように、静かにドアを閉めた。
「うあああああああああああああああ!!!!」
よく晴れた夜空の下で、22歳成人男性の叫び声が近所中に響き渡る。近所迷惑になるかもしれないが、そんなことはこの際どうでもよかった。叫ばずにいられなかったのだ。
「何なんだよ、みんなしてお節介しやがって!!くそっ、くそっ、くそっ!!!!」
叫んで、叫んで、叫んで、気付けば家から走って20分ほどの場所にある河川敷まで走っていた。汗をかいた体に夜風が心地良い。顔に張り付いた涙はすっかり渇いてしまった。走っている時の俺の顔は、きっとぐしゃぐしゃになっていたのだろう。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
一呼吸おいて、またしても夜空に向かって叫んだ。犬の散歩をしている人が驚いた様子で振り向いた。客観的に見れば俺は不審者だった。
「はあ、はあ、はあ・・・」
流石に疲れたので、座って一休みする。今日はもう、ここで寝てもいいかもしれない。喉が渇いたけど。
「書くのが、好き」
そうか。
そうだったのか。
俺は、小説を書くのが好きだったのか。
すっかり、忘れていた。武田先生に褒められたあの日から、俺は小説を書くのが、誰かに自分の物語を読んでもらうのが好きになったんだ。誰かに何かを伝えようとすること、その誰かが自分の作品を読んでその何かを思ってくれること。それが、たまらなく好きだった時期があった。
もしかしたら、そういう人間が作った物語にこそ、花が咲くのかもしれない。
一番大事なことを、ずっと忘れていた。
『本当に、作家なんか、小説なんかどうでもいいっていうのが、本多君の本心なの?』
彩菜ちゃん。俺は、俺の本心はね――――
小説を、書きたい。




