遺書
「遺書とは、これから死のうとしている人、または死を覚悟した人が書くものである。」
遺書を、書こうと思った。
僕は死を覚悟しているから、問題ない。人間なんて、どうせいつ死ぬかわからないのだから。
人は、なぜ生きるのか。これはいろいろな人たちがずっと考えてきてまだ明確な答えが見つかっていないものの代表だろう。
僕は、「死にたくない」から。
死にたくない奴が何で遺書なんて書こうとしてるんだ、と思うだろう。さっきも書いた通り、人はいつ死ぬかわからない。ある日ぽっくり死んでしまったときのために、書いておこうというだけだ。
生きているのは面倒くさい。とてもストレスがたまる。でも、
今もこうして小説を書いている。つまり、生きている。
死んでしまったら、もうできない。
「生きていればいつか良いことがある」なんて、ただの綺麗事だ。
「生きているというのは旅に近い。何か自分に合うものを見つける旅が、人生なんだ」
笑わせるな。
僕は死にたくないから、死ぬのが心のどこかで恐ろしいから、
食べて、寝て、こうやって自分の気持ちを書いて、
生きている。
「死にたくない、死ぬのが怖い」というのは、
きっと本能のようなものなのだと思う。
なんか、ばかばかしいな。
遺書を書こうと思っていた紙を破り捨てる。きっとこれも生きている証。
また、明日は来るのだから。
僕は本能に、自分自身の気持ちに、
従うだけだ。