4.再会
夕方、五時を少し過ぎた頃。ドアホンを鳴らせば賑やかな声で迎えられた。
「ミニー!中に入りなさい!騒がしくてごめんなさいね」
俺の母くらいの人が、ずいぶん下にいる毛がとても短いけれど、おそらくミニチュア・ダックスフンドのミニーちゃんを押さえつけながらのご挨拶となった。
どこからか見られている? たどっていけば二階の手すりの上からは、白と茶の猫が此方をじっと見下ろしている。
「あと、とても申し訳ないのだけど今、犬のカットが早めに終わったみたいで迎えにいかないといけなくて。40分くらいで戻れると思うんだけど。いいかしら?」
「はい。早くても1時間半程かかります」
「よかった!」
本当ならかなり無用心な話だけれど、このお宅は昔からのお客様だと聞いていたので、それに困った様子に無理ですとも言えなかった俺は了承した。
「じゃあ、お願いします」
「はい」
いきなり1人、静かになった部屋の中。
いや違うか。
「よろしくな。ちょっとの間いさせてくれよ」
足元から見上げてくるミニーちゃんといつの間にかソファーにいる猫に俺は声をかけ、道具を取り出し作業にかかり始めた。
どれくらい経過しただろうか。
作業半ばくらいでミニーちゃんが騒ぎ始めた為、手をとめた。犬をつれて帰って来たのかな?
「騒がしくてごめんなさい」
すりガラスの引き戸からひょっこり顔を出したのは、若い女の人だった。
「いえ。今回、有村が急な仕事が入ってしまって私が代わりに調律させて頂くことになりました」
鞄をあさり、名刺入れから真新しい名刺を1枚抜き差し出した。その女性が名刺を手にとって、その手が止まる。
俺を見上げて俺の名前を呟いた。
「颯君?」
ああ、やっぱり。
「…はい。美和さん、お久しぶりです」
その人は、十数年ぶりに会った、お姉さんだった。
「久しぶり!背、凄い伸びたね!あっでも睫毛バサバサなとこや小学生なのに既にイケメン風だったのは変わらないね~。むしろレベルアップしてカッコよくなった!」
「美和さんも変わってないですよ」
うっすら化粧をしていているし、やはり昔とは違う、可愛いから綺麗にすっかり大人だ。彼女も、俺も。でも弾むような生き生きとした話し方は変わっていない。
「それって、成長してないって事?駄目じゃん私。だから振られたのかな~」
…今、後半、物凄く俺にとって重要なセリフを聞いた。
「あっ、帰り途中でお母さんと会って、急がなくていいよって言ったら、ホームセンター寄ってくって言ってたよ」
「そうですか。まだあと少しかかってしまうと思います」
「大丈夫だよ。ゆっくりで。お願いします!」
とにかくまず仕事だ。
俺はまた集中し始めた。
最後に音を確認し調律は無事終わった。
「ねぇ、これ弾いてくれないかな?」
「えっ?」
美和さんに、楽譜を見せられた。
「…上手くないので」
「そっか」
俺は断った。
それは知っている曲だし弾いてもよかった。
でも、今の俺は調律師だ。
ピアニストじゃない。
「有村さんも、来てもらった時何回かお願いしたことがあるんだけど、柔らかく微笑みながら絶対断られたんだ」
「あの、先程の名刺、返して頂けますか?」
「えっ?」
仕事中は弾かない。
けれど。
「俺の番号です」
社用の下に番号を書きたし再度差し出した。
意味がわからない様子の彼女。
当たり前だ。
「変に思われても仕方がないですけど、ガキの頃好きで。今も多分、それは変わらない」
「えっ?颯くん?」
「友達からで構わないです。今は」
──偶然は、チャンスは来た。
掴むのは自分次第だ。
『チャンスがきたら、そこからは自分次第だと私は思う。逃すのも掴まえるのも…。颯はどうかな?』
尊敬していた、師と仰ぐ調律師が言った言葉を思いだした。
俺は、逃さない。