暗き法 3
* * *
それからロイヒテンがイチを見つけるまでに、一年を費やした。否、イチがどこにいるのかは早々にわかっていたのだが、そこへの侵入経路と手段を割り出すのに一年近くかかった。
「……よっ、と」
屋根の縁に手をかけ、ロイヒテンは軽々と自分の身体を持ち上げた。高所特有の強風に煽られながらトントンと屋根を渡って、塔の一室を格子のかかった窓越しにそっと覗いた。カーテンは窓の端に留めたままになっていたが、室内は星明かりを受け入れるばかりの薄闇だった。
ローズガルド城の別棟にあたる高い塔の天辺に、彼女は軟禁されていた。外からその部屋を見上げれば窓が二つあるはずなのに、中から辿り着くことのできる部屋の窓は一つだけ。そちらには、誰もいない。その塔で過ごしている彼女の元に辿り着くには、王族でも一部の者しか知らない通路を通って来なければならなかった。
その秘密の通路を見出すことはどうしてもできなくて、仕方なくロイヒテンは、城の外壁を伝ってここへ辿り着いた。原始的手段だがそれでも一年かかったのだから、並大抵のことではなかった。
「…………」
部屋の中でぼんやりとベッドに腰掛けているイチは、まだこちらには気付いていない。室内には彼女しかいないようだ。
「……イチ」
呟くように、名を呼んだ。閉め切った窓の向こうには当然届かず、彼女はこちらを振り向かない。ロイヒテンは意を決し、格子の隙間から窓を叩いた。
それほど大きくは無い音が、夜闇の中に小さく響いた。部屋の中にいるイチが不思議そうな顔で窓の方に顔を向け、たちまち、大きく目を見開いた。
「ロイヒテン……!?」
声は聞こえなかったが、驚愕の表情を浮かべたイチの口がそう動いたのがわかった。ロイヒテンはニヤッと笑うと、小さく肩を竦めて見せた。慌てたように駆け寄ってきたイチが、閉め切っていた窓を開いた。
「ロイヒテン! どうしてここに!?」
「囚われの姫君がいれば、どこへでも駆け付けるのが王子の役目だろう?」
ロイヒテンは長い金髪をかき上げながら笑い、「まぁ、白馬も国も無いけどな」と付け足した。
「ロイヒテン……」
イチの表情は間もなく驚きから悲しみの色へと変わり、それでも彼女は、気丈に微笑んだ。
「君は本当に、相変わらずだねぇ」
するとロイヒテンは不意に眉を顰め、首を横に振った。
「そう白々しく笑うな」
「!」
イチはビクリと怯えたように身を震わせたが、すぐに苦笑を浮かべた。
「心配してくれるのは嬉しいけど……私がそんな風に見えるなら、それは君の勘違いだよ。それより君、見つかったら殺されちゃうよ?」
「そりゃぁ困るが、その覚悟はしてきたつもりだ」
ロイヒテンは懐に手を差し入れると、そこからヤスリを取り出した。
「無駄だよ、この格子は魔法で強化してあるもの。ヤスリくらいじゃ外せない」
「知ってる。――その気になればあんたが自分で吹っ飛ばせることもな」
ロイヒテンは淡々と言うと、窓の傍に膝をついて、今度は腰のベルトから一振りの短剣を抜いた。
「それは……?」
形は少し似ていたが、カナタのものではなかった。ロイヒテンは言った。
「俺の家には〈トランスパレント〉の魔具があったが、〈レイション〉の魔具がある家もあってな。盗んできた」
「なっ……!?」
「心配するな、終わったらちゃんと返しに行くから」
ロイヒテンはさらりと言うと、遂に愕然した表情を隠しきれなくなったイチを、真剣な眼差しで見つめた。
「あんたは前に、俺はイチの選択に続くだけだと言ったな。確かにその通りだ。責任の伴う辛い選択をしてきたのは、今まで全部イチだった。だがな、俺だってあぁ言ったからには、どこまでもイチの選択に付き合う覚悟くらいあるんだ。もし次の竜がイチなら、その時は俺も死ぬ。竜殺しの一族と同じように、例えばイチの子を殺す必要があるのなら、俺もその罪を被る」
ロイヒテンは格子の隙間に短剣の刃を差し入れた。格子にかけられていた魔法が解けたのか、パキンッと軽い音が響いた。
「独りにはさせない」
ロイヒテンは芯のある強い声音でそう言って、格子を取り外そうとやすりを握った。
ギ……と金属を擦り切る音が一瞬響いたところで、イチは顔を伏せて言った。
「――帰って」
「嫌だ」
ロイヒテンは格子を外す手を止めないまま、間髪入れずに答えた。イチはふるふると首を横に振った。
「お願いよ、ロイヒテン。帰って」
「嫌だと言ってる。俺はイチを連れ去りに来たんだ」
「ロイヒテン――これ以上は、苦しいの」
顔を上げたイチの懇願に、ロイヒテンはようやく手を止めた。イチは泣いていた。
「もう遅いのよ。私は君と行くことはできない」
「遅いって……」
言いかけたロイヒテンの視線が、イチの腹部へ動いた。イチはずっと、手を自分の下腹部に押し当てていた。それでイチの言わんとしていることを何となく察して、ロイヒテンは目を見開いた。その唇が、言葉を紡げずに震えている。
「……赤ちゃんがいるの」
掠れた小さな声に、ロイヒテンは自分の心臓がビシリと凍り付いたのを感じた。そしてそんな反応をしてしまったことを、次の瞬間にひどく後悔した。
顔を歪めるロイヒテンに、イチは涙を流したまま、悲しそうに微笑んだ。




