七・竜と真実 15
「貫け!」
指先から生まれた鋭い氷の杭が、振り返ったハウィンの肩口を掠った。彼は驚いたように目を丸くすると、黒い靄の溢れている自分の右肩を凝視した。しかし間もなくその唇は不気味な弧を描き、底知れぬ漆黒の双眸が私に向いた。
「終わりだと言ったはずだぞ?」
「!」
バチンと目の前が真っ白に明滅し、私の脳天を再び激痛が貫いた。手足が折られ、今度は息まで上手くできない。
「かはっ……」
泡立った鮮血が口から零れた。ヒューヒューと嫌な音が自分の呼吸に混ざっている。見下ろしてみると、右胸から血が溢れていた。肺が傷付いているらしい。
ハウィンは私の傍に落ちていた短剣を悠々と拾うと、黒衣を揺らしながら紅へ近付いて行った。
「なるほど、随分と痛め付けられたようだな。これは影の竜と戦った時の傷だろう?」
ハウィンは紅の髪を鷲掴みにして顔を上げさせると、おかしそうに顔を歪めた。紅は痛みに耐えるように歯を剥いて、獰猛な眼光でハウィンを睨み付けた。ハウィンは露わになった紅の首筋へ、そっと短剣の刃を伝わせた。
「おまえの祖父も身を引いた甲斐が無いというものだな。エレオノーラを託した友が、彼女との間に産まれた息子の手でシャドウに変えられてしまうなんて。おまけに、変貌したその友が自分の孫に瀕死の重傷を負わせることになるとは、露ほども思っていなかっただろうさ」
「……!」
紅は大きく目を見開き、ハウィンはクツクツと喉で笑った。
「静かに見守れと、警告はしたのだ。もう殺されても文句はあるまい?」
紅の喉元に短剣を押し当てながら笑うハウィンの視線の先には、血の海の中に倒れている風花の姿があった。たちまち紅の血相が変わり、彼は鬼のような形相で叫んだ。
「お嬢っ! ……貴様、殺してやる!」
身を乗り出した紅の喉に短剣の刃が食い込み、血が零れた。しかし彼がそれ以上の抵抗をする前に、彼は激しくむせ込み、苦しそうに血を吐き出した。床の上に伸ばされた血塗れの手は震えるばかりで、錘でも付いているかのように動かない。
「何だ。薬に頼っていなければこの程度なのか。いっそ飲ませてやってもいいが――」
ハウィンはつまらなそうに眉を下げると、紅の髪から手を離した。
「まぁ、いい。そこで見ていろ。新たな竜の誕生――世界の始まりを」
ハウィンはイチを振り返り、手にしていた私の短剣を彼女に差し出した。
「さぁ、イチ。もう刃向かう者はいない。カナタを殺せ」
「…………」
やがてイチの唇から長い息が零れた。彼女はハウィンから短剣を受け取ると、ゆっくりと私に近付いてきた。
「カナタ……」
私を見下ろすイチの唇は乾き切っていて、その上に流れた血液が、水分を失ってひび割れていた。私は上手くいかない息を辛うじて繰り返しながら、イチを見上げた。
「イチ」
声を絞り出したものの、私はそれ以上顔を上げていることができなかった。全身がギシギシと痛みの不協和音を奏でる中、私はイチの手にしている短剣に意識を集中させた。魔法で、短剣よりも鋭く美しい刃を描いた。
――ねぇシオウ様、もしも竜が消えたら、私達はみんな死ぬの?
――さぁ……。だが、どうも世界がバラバラになるらしい。あの黒ずくめの男が言うには、暗き法による繋がりが解けて、全てのものが元の場所へ帰っていくそうだ。それが死なのか、あるいはどこか別の場所へ行くことなのかはわからないが。
――それならシオウ様は、どうして今確かに死んでしまう方を選ぶの? どこか別の場所へ行くのなら、死なずに済むかもしれないのに。
――私には、今ここに大切なものがあるからだよ。……君はどうだい?
彼女に尋ねたシオウ様は、優しくて穏やかな笑みを浮かべていた。
目の前にいるイチは、美しい銀の剣を手にしながら、大きく瞳を震わせていた。
……あぁ、イチ。
やっぱり貴女には、その銀の剣が良く似合う。




