七・竜と真実 13
「どうしたカナタ? そんなに顔を強張らせて」
ハウィンが白々しく首を傾げ、色の無い唇に赤く濡れた舌を這わせた。
「おまえはこういうのでいたぶられるのが好きだったろう?」
「ふざけないで……!」
「好きでなかったなら、おまえは王族を恨むべきでは? おまえをあんな風に扱っても構わないとしていたのは、他でもない王族なんだ。人間以下の奴隷には何をしても罪にならない……例え生きたまま手足を捥いで凌辱し、その肉をスプーンで少しずつ抉り取るような責苦を与えたとしてもだ」
「私を挑発しているつもり? そんなことしなくても、私はもう十分怒ってる」
「それとも、イチは悪くないはずだとでも自分に言い聞かせているのか? ここセントラルでは、今もあの日のおまえと同じように、或いはそれ以上の業を与えられて、奴隷が慰みものにされているんだ」
「イチが王女なら――どうして人として扱われないような状況に立たされないといけないの。それでどうして私がイチを責め
られると思う?」
かつて私を暴行し虐殺しようとしたあいつらの眼と、ロイヒテンの為に男達に肌を晒して見せたイチの凛とした眼がどれだけ違うものなのか、私はよく知っている。
そしてあの狂人達の暗く澱んだ粘っこい光に比べれば、ハウィンのような愉悦を含んだだけの眼をした男など、例えどんな力を持っていようと、怖くも何ともない。
「奴隷のことだけじゃない。確かにイチはこの為にたくさんの魔族を犠牲にして、きっとたくさんの人を殺してきたんだと思う。でもそれは貴方とじゃなくて、イチと話すわ。だから無駄話はこれで終わり」
会話を打ち切り、私は再度魔法を使おうと右手の短剣を動かした。
「そうだな……あぁ、別に構わないが」
ハウィンは頷くと、赤黒い刃を指先でくるりと弄び、悪戯っぽく首を傾げた。
「精々喘ぐといい」
ゆったりとした口調でハウィンがそう言った刹那、刃が突如激しい電流を帯び、こちらへ飛来してきた。
「凍り付け!」
短剣を掲げて叫ぶと、私の周囲に大振りの氷の剣がいくつも生み出され、それらが一斉にハウィンへと襲い掛かった。しかし赤黒い刃と激突した氷剣はあえなく砕け散ってしまい、私は飛来してきたそれを避けるべく、再度側方へ跳躍した。
――が、ハウィンの歪んだ笑みに戦慄を覚えた時には、もう遅かった。
バチンッ!
避けたはずの刃が私の動きに合わせて急速に軌道を変え、目を見開いた時には、既にそれは私の下腹部を貫いていた。
「あ……っ!?」
しかし地面に着地した私を、刃で貫かれた痛みが襲うことはなかった。突き刺さった赤黒い刃は熱で溶かされた鉄のように一瞬で溶け落ち、消えてしまったのだ。
「カナタ、大丈夫!?」
「風花――」
大丈夫だと頷こうとした、次の瞬間だった。突然視界が暗く歪み、記憶の蓋がこじ開けられた。
恐ろしい唸りを上げる鞭と、冷たく無機質な釘打ち機の――
「ぐうっ!?」
不意に下腹部に鋭い痛みが走り、私は思わず身を屈めた。あまりの痛みに目の前がチカチカと点滅し、身体中から脂汗がどっと噴き出した。
「何……なの……!?」
ワケのわからないままに、服の生地を赤い血がジワジワと染めていく。そうしている間に、今度は連続した激痛が下腹部から脳天へと一気に突き抜けた。
「ぎゃあああああああ―――――っ!」
床の上にボタボタと血が広がった。立っていることができなくなり、私はその場に膝を着いた。襲い来る痛みに激しく強張る全身の筋肉がビクビクと痙攣し、口からは引き攣った喘鳴が漏れるばかりで呼吸すらままならない。
「カナタ!」
駆け寄ってきた紅が慌てたように私の服を捲ると、そこは刃物で何重にも滅多切りにされたようにグチャグチャに引き裂けていた。
「何だこれは……!?」
私は痛みに喘ぎながら紅の胸元を掴み、顔を上げた。赤黒い刃をこちらへ放とうとしているハウィンと目が合った。
「くれな……!」
声にならない警告に、紅がハッとして後ろを振り返った。しかし彼が反応するよりも早く、風花が私達の前に躍り出た。
「下がって! 貴女は治療に専念しなさい!」
風花は片足を引いて素早く抜刀の構えを取ると、ハウィンに向けて力強く踏み込んだ。私は手で腹部を抑えながら、必死の思いで〈ヒーリング〉を発動させた。
――源泉魔法を返さなければ。私達は本来の役目を全うしなければならない。あまりに犠牲者が出過ぎている。
――今更何を言っているんだ。俺達はもう二度とかつての使命を受け入れることなどできはしない。まして、俺達の寿命の短さが秘密の英雄譚とは真逆の理由だと皆に知れたら、おまえの妻も子も孫までも、村八分では済まなくなるぞ。
――……私は間違っていたのだろうか。
――老いによって薄れるような愛なら、間違っていたのだろうさ。とにかくその考えを改めるまで、おまえをここから出すわけには……おい、今の物音は?
親子ほど年の離れた男二人が、薄暗い明かりの灯った部屋でぼそぼそと何かを話していた。光源が足りず、二人の顔立ちまではわからない。ただ恐らく、それは風花の父である竜殺し一族の族長と、病の為に隔離されていたという紅の祖父に違いなかった。
「そんななまくら、叩き落としてあげる!」
銀色の閃光を纏って引き抜かれた刀は、鮮やかに赤黒い刃の中心を捉えた。しかし直後、確かに風花の刀と接触するはずだった赤黒い刃は突如ガクンと軌道を変え、彼女の右足に突き刺さった。
「お嬢っ!」
紅が絶叫を上げたが、風花は構わず口の端を吊り上げ、更にハウィンへと斬り込んだ。
「おぉっ?」
ハウィンは意外そうに眉を上げて身を躱したが、届いた刃の先端が、鋭く彼の胸元を斬り払った。飛び散ったのは血液ではなく、真っ黒な靄だった。
「意外。ちゃんと斬れるのね?」
風花は妖艶に微笑むと、ペロリと舌なめずりをした。だが彼女の右足は、血で真っ赤に染まっていた。