七・竜と真実 12
私はハウィンに突き付けた刃に、鋭い冷気を纏わせた。凍り付いた刃から白い冷気の炎がゆるゆると零れ、辺りの空気をキラキラと凍らせていく。
――シオウ様! どうしてシオウ様が死ななくちゃいけないの!? 何でシオウ様が生贄に……!
――前に話しただろう? 私はいいんだ。
――大嫌い……。あの子さえいなければ、シオウ様は死なずに済むのに!
白い冷気の中に、シオウ様に縋るイチの姿があった。彼女は唇を噛み、泣いていた。
「でもね、イチ。その前に一つだけ」
左手の刃には、轟々と唸りを上げる風を呼び込んだ。例え刃の間合いが届かずとも、風の凶刃が彼を貫くようにと。
――ジェイク、裏切るつもり!?
――まさか。俺は卵を育てる為に死ぬつもりでいますよ? あんたの父親が人質に取ってくださった妹の為にもね。
――妹を人質って……父がそんなことを?
――えぇ。俺は望んでメイヴスの人柱になるわけじゃない。エルフリーデに「死人が生き返る」と嘘を吹き込んで魔力を集めさせ、魔族の俺がそれを奪い取り、至高のシャドウとなって竜の卵に殺される。……全部妹の為ですよ。
――そんな……。
――ただ、俺は妹を連れ去った貴女の父が憎いから、こうして貴女にちょっとした仕返しをするわけです。どうやら貴女の父君は、娘である貴女がどんな辛酸を舐めようと知らんふりのようですから。
荒れ狂う暴風の向こうに、拘束された状態で素肌を暴かれ、ジェイクに犯されているイチの姿があった。憎悪を込めて繰り返される乱暴な律動に、彼女は声も無く震えながら歯を食い縛っていた。途端にカッと頭に血が上った。
「暗き法の守護者? 世界を統べる竜すら統べる? 冗談じゃない。もしもメイヴスの話が全て本当だとしても、ただでさえ趣味の悪い暗き法とやらを、そのニヤニヤした気色悪い顔で塗り替えているのは貴方じゃない」
「いいや、暗き法とは元々無理矢理に世界を創造する禁術だ。だから、いわゆる自然の摂理たるもの以上の犠牲と条件を必要とする。この世界はそういう場所なのだよ、カナタ。そして私は片鱗こそ与えたことがあったとはいえ、この暗き法の全ては、他の誰の手にも渡したことが無い。務めは果たしている」
「それならその役目も暗き法も、今日で永遠に闇の中よ。……イチ、あいつはぶっ倒しても問題無いのよね?」
イチに問うても、返事は無かった。
「イチ、返事しないなら始めちゃうよ!」
「ははっ、奴隷風情が勇ましいな!」
おかしそうに笑うハウィンに、私は氷の短剣を振り翳した。
「いけ!」
私の動きに合わせて真っ白な冷気が空気中の水分を凍らせ、刃の軌道が氷の煌めきとなって尾を引いた。ハウィンは黒衣を靡かせてひらりと身を躱し、その手に黒く淀んだ不気味な球体を生み出した。
「風よ!」
その一言で、力は私に応えた。青い光が手元に集束するのと同時に氷雪が渦を巻き、天井を貫かんばかりの氷の竜巻となってハウィンに襲い掛かった。
「なるほど、悪くないセンスだ」
「吹き飛べぇっ!」
氷雪はあっという間にハウィンの姿を飲み込み、視界を白く煙らせた。しかしその吹雪の合間を縫って、鋭い何かが猛烈な勢いで接近してきた。
「――っ!」
側方へ飛び込むようにしてそれを回避すると、赤黒い雷刃が傍らを突き抜け、後方の壁へ激突した。……が、何も起こらない。
それに不信感を抱いたのも束の間、今度は消えゆく吹雪の中から、大きな手がぬっと突き出された。ゾクリと嫌なものを感じて咄嗟に飛び退ると、私の前に紅と風花の背が並んだ。
「カナタに気安く触らないでくれるかしら」
そう言って鼻を鳴らした風花に、現れたハウィンは私へ伸ばしていた手を彼自身の方へ向けた。氷雪に呑まれたはずのハウィンは一切傷を負っておらず、彼はニタリと笑って、その手で自分の顎をゆっくりと撫でた。
風花は私の方をちらりと振り返ると、苛立ったように舌を打った。
「まったく……死んでもいいだなんて。守らないといけないこっちの身にもなってくれる? 言っておくけど、私達はイチの話も彼の話も信じないわ。だから当然、貴女も死なせない。ねぇ、紅?」
「……あぁ」
同意を求めた風花に、紅は短く頷いた。好戦的な表情を浮かべている風花と違って、彼は少しだけ、どこか思い悩むように眉を寄せていた。
「紅……?」
不審に思って彼の様子を窺うと、紅は「油断するな」と言ったきり、口を閉ざしてしまった。
「ははは! 迷いのある良い顔だ、紅!」
「黙れ」
吐き捨てた紅に、ハウィンは目を剥いて笑った。
「それでも尚、族長の娘に従うか。健気なものだな」
するとハウィンの手に、先刻と同じ不気味な赤黒い刃が生み出された。刺されば傷口を拡げ、抜けば肉が抉り取られるであろうことが容易に想像できるような、歪な形の刃だった。相手を殺すことではなく苦しめることを目的とした残酷な形状だ。
「……趣味悪すぎ」
風花が顔を歪めて呟いた。私は過去に受けた拷問の数々を思い出し、背筋に冷たいものを感じた。やはりハウィンはそういう目的でイチに近付き、それを愉しんでいるのだ。