七・竜と真実 11
「一目見て、魅入られ射られし我が命。蜻蛉の如く儚くも、愛しき無二を守りけり。紅纏いし剣桜花、理破りて黒く染む。仄暗く霞む深淵に堕ち、朝露の光を珠に捧ぐ。――だったか。さすがにその意味がわかっただろう? ん?」
「……っ!」
不可解そうに眉を寄せた風花の傍らで、紅の顔色がサッと変わった。私は服の上から、ポケットの中のそれを握り締めた。あの時覚えた違和感の通り、どうやらこれはただの恋詩ではなかったらしい。世界を巻き込んだ罪の詩だったのだ。
「そんなに私を睨んでも現実は変わらないさ。彼は私に世界を繋ぐ術を問い、私はそれに応えただけだ。また盗ませてやってもよかったのに、今度は正面から来た。だから私も、ちょっとした優しさを見せてやったのさ」
ハウィンは勿体ぶるようにそこで言葉を切ると、笑みを深めて私を見た。
「ここローズガルドには奴隷制があると聞いて、その中でもいらない人間から、次の竜を選んでやることにしたんだ。もちろんある程度の素質は重要だし、いらなすぎたせいで殺されかけていたから、かえって苦労したようだがな」
「いらない人間……?」
いらない人間の中から選ばれて、殺されかけていた――
「それじゃ、シオウ様もそのつもりで私を……?」
呟くと、イチが大きく顔を歪めた。それが答えだった。
「待って。じゃぁレルゴさんはどうして死んだの。護衛がレルゴさんの銃で撃たれていたんだもの。ただの事故じゃないんでしょう?」
するとイチは首を横に振った。
「彼は……この国を変えたがっていた。きっと本当の良心と正義で君を助けようとしたのは、彼だけよ」
だとすれば彼の良心と正義は、恐らく邪魔になったのだろう。シオウ様やイチの信じる何かにとって。
護衛がレルゴの銃で撃たれていたのは、本来彼を守るはずだった護衛に彼が襲われたから。だからレルゴは谷底に呑まれたのだ。
私はしばらく言葉を失ったまま、イチを見つめていた。
これまでの自分を作り上げて来たであろう全てが壊れてしまった時――私は一体どうしたらいいのだろう。
イチが自分の胸元を握る手は、今もひどく震えている。その姿がとても痛々しくて――私は唇を噛んだ。
奢りだと笑われるかもしれないが、イチは彼女の信じて来た何かに、ひどく傷付いているように見える。私達は、きっとまだ壊れてなんていない。私を好きだと言ってくれたイチの言葉は、私の宝物だから。
だからこそ、許せない。
「ハウィン……!」
拳を握り締めたそれだけで私の周囲に風が吹き荒れ、髪や衣服が激しくはためいた。お腹の中がジクジクと熱くて、心臓が信じられないほど大きな音を立てている。
「ハウィン、イチに何をしたの。何でイチはそんなに苦しそうなの。どうしてイチが泣いているの!?」
「はは、何を勘違いしているんだ。俺は何もしていない」
ハウィンは首を傾げると、イチの長い髪を無遠慮に梳いた。
「カナタ、おまえは新しい竜になる。たくさんの魔の力をその身に集めたおまえは、肉体の死によって、ただの人から竜の魂へと変わる〝竜の卵〟だ。おまえはこの世で誰からも必要とされていない存在から、世界にとって必要不可欠な存在に成り代わるのだ」
「馬鹿なこと言わないで。今の竜が死んでいて、源泉魔法が竜にしか使えないもので、私が新しい竜なのだとしたら――もしそれが本当なら、紅や風花を傷付けることのできる貴方の使っている力は何だって言うの」
「私は暗き法の守護者たる存在だ。世界を統べる竜すら統べるとしても、おかしくはあるまい?」
私は両の短剣を抜き、右手に握り締めた切っ先をハウィンへ向けた。
「汚い手でイチに触らないで」
「ほぅ。……なるほど、どうやら弱者の眼ではないらしい」
「貴方がイチを苦しめるなら、私は貴方を倒すわ」
「なぜイチを庇う? その女はおまえを殺そうとしているのだぞ? メイヴスの為におまえに近付き、おまえを利用する為に生かし続けて来たんだ」
言われて、私は堪らず眉間に皺を寄せた。
「そんなのどうでもいい。イチが望むなら、私は死んだって構わない」
頭で考えるよりも先に、そんな台詞が出てきた。私はイチの愕然とした表情を見て、ようやくその意味に思い至った。しかしやはり私を殺そうとしていることよりも、イチが辛そうにしていることの方がよほど許せなかった。
「イチ、私が竜の卵なら――イチは私を壊さないといけないのよね? イチはその為に、私と旅をしてきたんだから」
少し意地悪く尋ねると、イチは引き攣った泣き笑いのような顔で、吐息を震わせた。
「さっきの言葉、本当よ。風花と紅は怒るかもしれないけど、竜とか世界とか、そんなの私にはどうでもいいの。イチやシオウ様が私の命を必要とするなら、喜んで差し出せる」
「カナタ!? 貴女、そういうことは……!」
口を開いた風花を、私は短剣を握った左手で制した。
「だってどんな理由だったとしても、私にここまでの時間をくれたのはシオウ様だもの。あの時シオウ様が現れなかったら、私はとっくに殺されていた。それも……いっそ死を願うほどの生き地獄の末に」