七・竜と真実 5
「まぁ……そういうわけで。もうわかるよね? 君が竜を倒す力を得るまで待った上で、君を殺そうっていうんだから」
イチは言って、風花とロイヒテンの間を縫うように、剣の切っ先を真っ直ぐに私へ向けた。
「カナタ、抵抗すると痛くしちゃうかも。だからおとなしく死んでね?」
「させると思う? 竜殺しが二人もいるのに退かないなんて、あとはどんな隠し玉を持ってるの?」
風花は鼻を鳴らし、足を軽く引いて刀を構えた。
「最初から紅が正しかったのね。何となく貴女は信頼できる気がしたんだけど……私が馬鹿だったわ。悪かったわね、紅」
「いや。……それよりお嬢、油断だけはやめてくれよ?」
「わかってるわよ。二度とイチに気を許すつもりなんて無い」
風花と紅から、身を貫くような怒りと憎しみが伝わってくる。イチは余裕の笑みでそれに応え、肩を竦めた。
「面倒くさいなぁ。ロイヒテンみたいにボーっとしててくれていいのに」
「最っ低……貴女、よくそんな言葉が出るわね」
風花は嫌悪を露わにして顔を歪め、眉間に深い皺を寄せた。ハッとしてロイヒテンの姿を探せば、彼は愕然とした青白い顔で、床の上に座り込んでいた。
「そうだ……」
小さく漏れた自分の声の直後、私はゾッとして身を強張らせた。
ロイヒテンの妹は――
「リーゼロッテを殺したのは、私じゃない……」
震えた声で呟くと、紅は苦しそうな顔をして俯いた。
「あぁ。……そういうことだ」
理性を失ったリーゼロッテに止めを刺したのは、ロイヒテンだ。そういえばあの時、黒い靄は見えなかった。
紅はそこで一度口を閉ざし、ロイヒテンに視線を向けた。私は、もう彼の方を見られなかった。
「ロイヒテン殿は……そのことでイチを恨むつもりはなかったと、そう言っていた。竜を倒す為に必要な手段だったなら、イチはそうせざるを得なかったんだと」
「なかった……?」
「例え竜を倒す為だとしても身の毛のよだつような話なのに、こんな結果だ。――イチがメイヴスの者だとはっきりした今、到底許せるはずもないだろう」
「そんな! イチはメイヴスなんかじゃ……!」
言いかけた私を、紅が険しい表情で遮った。
「現実を見ろ、カナタ。イチがメイヴスだとすれば、全て辻褄が合うんだ」
イチがシャドウとの戦いに手を出さなかったのは、私にシャドウの力を吸収させる為。
イチが今になって私を殺そうとするのは――。
「でもイチはエスメロードで滅茶苦茶な傷を負ってまで、ロイヒテンのことを助けたんだよ!?」
否定要素を見つけて食い下がったが、紅は同意してくれなかった。
「イチは貴女のことをよくわかっている。……ロイヒテン殿や俺達は、敢えて彼女に殺されなかったんだ。エスメロードで身を挺してロイヒテン殿を庇ったのも計算の内だろう。そうしてカナタと俺達の関係を築いた上で、ロイヒテン殿とお嬢は命懸けで貴女を守るように、シグルドを通して情報を与えられた。俺の方は貴女に引っ張られる形で貴女を守らなければならないという結論に至ったが、恐らくそれも彼女の思惑通りだろう。そして最後に――」
「あの竜が全てを奪っていくように……?」
震える私に、紅は頷いた。
「あぁ。傷付いたイチと俺達を目にしたことで、貴女は力に目覚めた。誰よりも強い力を望んだ。……イチは貴女に仲間を作らせたんだ。彼女自身を含め、貴女にとっての〝仲間〟を傷付けることを切っ掛けにして、貴女の力を目覚めさせる為に。そして何よりそれは――」
言葉を濁した紅に、私は愕然としながら呟いた。
「竜を倒す力を……私を殺して奪い取る為……」
手指の先が氷のように冷たくなり、嫌な汗が背中を伝った。
「そんな……」
それじゃぁ、まさか私の拠り所を奪ったのも、彼女なのだろうか。私と彼女だけが都合よく生き延びた、一年前のあの日――。
「そんなはずない……」
シオウ様が死ななければ、私がここに辿り着くことはなかったのだ。
「嘘……」
噛み付く言葉は何も出てこなかった。私は唇を引き結び、震える身体が崩れ落ちないように、全身に力を込めていることしかできなかった。熱くなった目頭から涙が溢れたら、きっと声を上げて泣いてしまう。泣いてしまったらイチの裏切りを認めることになりそうで、私は必死にそれを呑み込んでいた。
「イチ……なの?」
ようやく絞り出した声で、私は尋ねた。
「アイスビーツでロイヒテンの鏡を割ったの、イチなの?」
イチはふわりと笑った。
「そうよ。あの時に飲んだお茶、とっても眠たくなったでしょう?」
言われて、心臓が握り潰されたように鋭く痛んだ。そういえばあの時、確かに突然の眠気に襲われて、火の番をしながら寝入ってしまった――。
「何で、そんなこと……」
「呪詛をかけてもシャドウに姿が変わらないっていうのはね、それだけ強い魔力を持っているからなの。リーゼロッテはもってこいの素材だったのよ。だから貴女が彼女を殺していれば、もしかしたらシグルドの分はいらなかったかもね」
「シグルドさん……? あの人にも、何かしたの?」
「あぁ、彼も魔族なんだけど――貴女に与えるシャドウが足りないって言ったら、自分で自分に呪詛をかけたのよ。それで本当に、あの崩れていく世界が救えると思っていたんだから」
イチはクツクツと喉を鳴らし、おかしそうに笑った。
そうか……それで、あの時の彼はおかしかったんだ。理性を失って暴走したはずだったのに、あんなに満足気な顔で死んでいった……。
「イチ、何でこんなひどいこと……」
「ひどい?」
イチは僅かに眉を上げ、不思議そうな顔をした。
「奴隷を殺して何が悪いの?」