六・王女と虚実 12
「イチ、ロイヒテン達と何かあったの?」
何だかイチの様子がおかしい。しかしイチを見上げると、彼女は小さく笑って「何も? いつもの格好付けでしょ」と肩を竦めた。
「それより怪我はもう大丈夫ね? 私達も早く行かなきゃ」
「待って。……ねぇ、イチは竜を倒す力のこと、何か知ってる?」
するとイチは訝しげに眉を寄せた。
「竜を倒す力?」
「シオウ様が私を助けてくれた理由――イチは、知ってる?」
覗き込んだ彼女の美しい瞳が、微かに震えた。
「何言ってるの? カナタ」
「あのね、イチ。私には多分……多分だけど、竜を倒す特別な力があるの。だけど使い方がわからない。紅はイチのところへ行けって言ってたけど、もしイチが何も知らないなら、イチの得意なもの――魔法と何か関係があるってことなのかな」
「竜を倒すって……そんな魔法、聞いたことないわ」
イチは困惑したように首を横に振った。
「しかも、それがどうしてシオウ様と関係あるの?」
「うぅん、今は説明している時間が無い。……もしイチが知っていたらと思ったけど、知らないなら、やっぱり自分でどうにかするしかないね」
私は言って、胸の前で両の拳を握り締めた。
イチがいれば、あんな竜は簡単に倒せてしまうだろう。けれど私も、その隣で肩を並べて戦うことができるなら――。
「早く紅を助けなきゃ……イチ、お願い」
「何だかよくわかんないけど、まぁ任せて。ちょいちょいっとやっつけちゃいましょ」
ニッコリと笑ってウインクしたイチと共に走り出しかけて、不意に聞こえたのは、後方の兵士達の悲鳴だった。
「!?」
驚いて振り返った私の視界の中で、血飛沫が舞った。
「シグルド様、何を――」
「お気を確かに!」
兵士達が動揺と困惑の声を上げ、悲鳴と共に肉塊へと変えられていく。その中心では、先刻ロイヒテンに応じていた初老の騎士――シグルドが哄笑を上げながら剣を振るい、次々と兵士達を斬り付けていた。
「何!? どういうこと!?」
その場にいた兵士達は、皆あっという間に血の海に沈んだ。彼らばかりではない。外の様子を窺いに出てきていた家人達も、悲鳴を上げる暇も無く斬り伏せられている。
シグルドはニタァと不気味な笑みを浮かべて、血の雫が滴る剣先を私に向けた。
「……っ」
ゾクリと私の背筋が震えたのも束の間、まるで老いを感じさせぬ踏み切りで、彼は一気に私へ向かって迫ってきた。
キィィィィンッ!
二本の短剣で受け止めた剣は、両の腕がジリジリと痺れるほどに重かった。
「イチ、ここは私が止めておく! 多分風花とロイヒテンだけじゃ無理。紅を助けに行って!」
「でも、カナタ!」
「大丈夫、負けないよ」
短剣を構えながら、私はイチに笑みを浮かべて見せた。イチは一瞬躊躇ったようだったが、すぐに頷いた。
「カナタ、気を付けて!」
「うん、イチもね」
走り去っていくイチの足音を聞きながら、私は魔法陣を描いた。
「嘆きの声よ、集いて冷たき剣となれ――〈アイス〉!」
現れた氷の刃が次々にシグルドへ襲い掛かるが、彼はそれらを剣の一振りで打ち払い、閃光のような速さで斬り付けてきた。刃を受け止めると、彼は間近で血走った眼を見開かせ、ニヤッと口の端を吊り上げた。
「その程度の腕で私に勝とうなど、百年早い」
甲高い音と共に力押しで弾き飛ばされ、私は後方にバランスを崩した。すかさず振り下ろされた刃を辛うじて横転で避け、立ち上がることもままならないまま、顔の前に翳した短剣で再度シグルドの剣を受けた。
月光を浴びて白く光るその軌跡は――……どうしてだろう。どことなくイチの剣筋に似ているような気がした。
月明かりの逆光を受けながらシグルドが笑みを深めた時、私は妙なことに気が付いた。
私を見下ろすシグルドの双眸が、深い闇の色で満たされていた。シャドウの出てくる闇の裂け目と同じ、真っ暗な闇だった。
「さぁ、死ぬがいい」
シグルドは私に突き付けた刃に体重を乗せてきた。私は両手を震わせながら、刃を通すまいとそれに抵抗する。
「シグルドさん、どうして突然みんなを襲ったんです!?」
「どうして? ははっ、目障りな虫を蹴散らして何が悪い?」
シグルドはおかしそうに笑い、私は目を見開いた。この短絡的とも言える残虐性は、リーゼロッテの時と同じだ。
「シグルドさん、魔族だったんですね……」
唸るように、低く呟いた。確かに一年前の魔族の暴走は突然のことだったが、こんなにも急に人が変わってしまうのか。
世界を、変える――。
……イチをこんな風にして、堪るものか。




