六・王女と虚実 8
「!?」
思いも寄らない返答にたじろぎ、私は咄嗟に抜いた短剣の切っ先を彼に向けた。
「近寄らないで」
彼はいとしい人と同じ、穏やかな顔をして言った。
「カナタの言う通り、私は死んだ。今ここにいる私は、私が魔法で残した幻の姿だよ。君の力を真に解放する為に、私はここで君を待っていたんだ」
「そんな話、信じると思う? シオウ様は確かに強かったけど、こんなことができるような魔法、そもそも存在するわけないじゃない」
鼻で笑ったが、彼は落ち着いた表情を崩さなかった。
「――力が欲しくないか?」
「!」
この手の誘いに、碌なものがあるわけがない。
「今の君なら、きっと上手く使いこなせる。この世界を守る、何よりも強い力だ」
「…………」
「君はきっと、これまでとは違うものが見えるようになっているね? この場所で、どうしようもない不快感を覚えているはずだ。……なぜなら、ここには竜がいる」
「竜? ……何なの、貴方」
頭が痛い……気を張っていないと、崩れ落ちてしまいそうだ。
「私を受け入れてくれるだけでいい。眠っている君の力を解放する為の鍵が、私の中に用意してある」
「変態は昔の経験でお腹一杯なの。シオウ様の姿でそういう台詞、本気でやめて」
「…………」
彼は答えなかった。私は両手の短剣を握り締め、足を軽く引いた。
「貴方を受け入れるなんて、まっぴらごめんだわ」
低く唸るように呟いて、私は彼に斬りかかった。
「壊れていく世界を、君だけが未来へ繋ぐことができる」
振り上がる私の刃を気にした風もなく、彼は続けた。
「もう自分でわかっているだろうけど、君は特別なんだ、カナタ。だから私は君を助けた」
その言葉のせいで信じられないくらい心臓が大きく拍動し、ぎゅっと胸が締め付けられた。それでも悪意を持ってシオウ様を模った何かがいるということが許せなくて、私は刃を振り下ろした。
「消えろぉぉぉおおおっ!」
私の絶叫とは裏腹に、彼は表情一つ変えず、その場から動こうともしなかった。
ザッ!
両手の短剣に、まるで砂を斬ったような手応えが響いた。勢い余った私はそのまま前方へバランスを崩し、彼の姿を突き抜けた。
「なっ……!?」
驚愕しながら振り返ると、彼は静かな表情で、私に微笑んでいた。
「でも、カナタ。もし君が未だ世界を愛せないと言うのなら――美しいものも汚れたものも、全て消えてしまえばいいと願うなら。君は戦わない選択をすることができる。それをしても、私は決して君を恨んだりはしないよ。この世界は美しいが、とても歪んでいる。君に力を与えようとする私を、君は憎むことになるかもしれない。けれど私はそれを選んだ。君も、自分の選びたい道を選ぶといい」
彼は優しい声でそう言うと、私のよく知る、包み込むような笑顔を浮かべた。心が揺れ、私は大きく目を見開いた。
「カナタ、君が私を見つけてくれて、本当に嬉しい。君が私を見つけたということは、今、君が生きてこの世界にいると言う事だ。……君の傍にいられなくなってしまって、すまなかったね」
あぁ、やめて。
そんな優しいことを言われたら、疑うなんてできなくなってしまう。
「本当に……シオウ様なの……?」
呟いた時、彼の姿はランプの灯を消すかのように、フッと見えなくなってしまった。
「シオウ様!?」
叫んでも、彼の姿は戻らなかった。私は彼のいた場所に縋り、辺りを見回した。
「シオウ様、お願い! 返事をしてください! 疑ったこと、謝ります! 私、シオウ様に聴いて欲しいことが沢山――ねぇ、シオウ様ぁっ!」
その時、慌てた様子で紅の足音が駆け寄って来た。しかし溢れる涙と叫びは、止まらなかった。
「ああああああああ―――――――――っ!」
「カナタ、危ない!」
不意に強い力に突き飛ばされ、私は床の上を勢いよく滑った。それでも慟哭は止まず、私は俯いたまま、地べたに爪を立てていた。
「立て、カナタ!」
紅の鋭い叱責と同時に、辺りに割れるような雷鳴が轟いた。
「!?」
驚いて目を見開くと、ボタボタッと濡れた音を立てて、赤い液体が落ちてきた。
「ぐうっ……!」
低く呻くような声がした。苦痛に顔を歪めて耳元を押さえている紅の手が、ぐっしょりと血に濡れていた。
「紅!? 何で……」
「何で? こっちの台詞だ」
紅は舌を打つと、薄闇の奥を睨んだ。
「俺に魔法で傷を負わせるなんて、普通の相手じゃない。――出て来い、何者だ」
厳しい声で呼びかけた紅に、姿を現したのは、あの黒ずくめの男――ハウィンだった。