六・王女と虚実 7
「…………」
……あまりにもご都合主義な考えなのは、わかっている。でも賭けるしかない。
「レルゴ・テイラーが死んだ時の情報を、もう少し集めてみよう。俺は他紙を探してくる」
そう言って、紅は私を残して別の書棚へと向かった。私は胸の奥に何かがつかえたような重圧感を覚え、下を向いて、彼の足音が遠のいていくのを聞いていた。
「シオウ様……」
縋るように呟いて、唇を噛んだ。あの地獄から助けてもらっただけでは飽き足らず、私はまだ彼に頼ろうと言うのか。
シオウ様が「世界を変える」為に私を助けたのなら、私は強くなければいけないのだから。
その時、ふと先刻紅が食い入るように見ていた記事のことが気になって、私は紅が見ていたファイルを手に取り、その辺りを捲ってみた。
「あ」
それらしき記事は、すぐに見つかった。記者の訪れた名も無き村が賊に襲われて滅んでいたという内容の、小さな記事だった。その文面の隣には、「村人が着用していたと思われる民族衣装」と銘打って、風花の着ているような着物の写真が載せられていた。文面には、村の水源に毒が流されたらしい旨も記されていた。
竜殺しの一族の村のことだろうか……記事は、更にこう続いていた。
――実は私がこの村を訪れるのは二度目である。まだ新聞記者になる前の事だ。己の見聞を広めようと各地を旅していた際、私はこの村で一人の男に出会った。彼は、先日孫が産まれたばかりなのだと言っていた。私がそれを祝おうと彼に酒を贈ると、彼は私にもその酒を勧め、空が白むまで二人で語り合った。共に過ごしたのはたった一夜であったが、私達は紛れも無く友であった。その時、彼は一つの叶わぬ恋の詩を私に教えてくれた。彼自身の思いなのか、なぜ彼がその時私にそれを語ったのかはわからない。しかし詩に出てくるその相手の名を聞けば、確かにどんなに恋焦がれても届かないであろう女性の名であった。彼女は王妃だったのだ。荒らされた彼らの品々の中に、私はその詩を見つけた。私が記者となった今、再びその詩に出会ったのは、果たして唯の偶然だろうか。懐かしい彼の姿を瞼に思い浮かべながら、その詩をここに記しておこうと思う。
「やっぱりこれ、竜殺しの一族の村のことだ……」
呟いて、私は綴られた詩に目を通した。
一目見て 魅入られ射られし我が命
蜻蛉の如く儚くも 愛しき無二を守りけり
紅纏いし剣桜花 理破りて黒く染む
仄暗く霞む深淵に堕ち 朝露の光を珠に捧ぐ
これは……一目惚れだったのだろうか。それも、自らの命を射られたと感じるほどの。しかし王妃に恋をしたというには、続く言葉がいささか物騒だ。〝蜻蛉の如く儚くも〟の部分が叶わぬ恋の儚さ、彼が王妃と釣り合う人間ではないことを表しているのだとして、なぜ彼が王妃を守らなければならない状況になっているのだろう。
「紅……」
剣は戦う者の象徴で、恐らく彼の事だろう。それが、何らかの理を侵して深淵へと追いやられた。深淵が何を指すのかはわからないが、彼がそこへ堕ちることで珠――つまり王妃が、光のある世界にいられるようにした、ということだろうか。
どうしてだろう……何かが引っかかる。
「…………」
私は息を深く吐き出して、ピタリと止めた。悪いとわかっていることをするのは、少し気が引ける。しかし小さく息を呑み、私はその記事を破り取り、手のひらに握り込んで服のポケットに押し込んだ。
「カナタ」
「っ!」
呼ばれた声に驚いて、私は思わず身を強張らせた。私を呼んだ声は、紅のものではなかったのだ。
私は振り向くことができないまま、薄闇の一点を凝視していた。
「カナタ」
もう一度、名を呼ばれた。懐かしい声だった。
「シオウ様……?」
声に出して呟いてしまった後、いやまさかと首を横に振る。こんなところでシオウ様の声が聞こえるわけがない。
「こっちだ、カナタ」
「っ!?」
また一度、声が聞こえた。……シオウ様の声が聞こえた。
我慢できずに振り返ると、立ち並ぶ書棚に囲まれた薄闇の向こうに、シオウ様の姿があった。短い金色の髪に、澄んだ水面のような優しい蒼の眼――。ドクンと大きく心臓が脈打ち、私は歓喜に目を見開いた。込み上げてきた涙に、彼の姿が滲んで見えた。
「シオウさ――」
声を上げかけた私に、シオウ様は悪戯っぽく笑いながら唇の前に人差し指を立てた。
「静かに、ね」
微笑んだシオウ様は、小さく首を傾げた。
「おいで」
踏み出しかけて、突如頭が脈打つようにズキンと痛んだ。一瞬視界が歪み、私は近くの書棚に手を付いた。
「痛っつ……」
胸の中の不快感が増している。吐き気だけではなく、頭痛までひどくなってきた。
――貴女はいかにも騙されやすいのだから。
紅の言葉が頭を過ぎった。
「カナタ、おいで」
彼は、優しい声で私を呼ぶ。まさか紅の言葉が警告代わりになるとは思わなかった。
私は舞い上がった気持ちと胸の中に膨らんだ喜びを抑え、大きく息を吐いた。今は冷静にならなくてはならない。
「……貴方は誰? シオウ様は死んだわ」
強い口調で言うと、彼は少し驚いたように目を見開いた後、口元を綻ばせた。
「強くなったね、カナタ」