六・王女と虚実 3
一瞬シグルドの言葉を理解できず、ロイヒテンと風花は息を詰まらせた。目を見開いたまま二人で顔を見合わせ、それから同時に素っ頓狂な声を出した。
「「王女!?」」
シグルドは頷いた。
「えぇ。邪竜から人々を救う為に幼き頃より城を離れ、時にはメイヴス信者達の中に潜り込んで情報を探ってくる等の、危険な任務もこなしてくださっています。メイヴスの信者達は確実に闇の中で蠢いています。ケーラー家があったからこそ、本来の拠点であるエスメロードでのメイヴスの活動は、むしろ無いに等しかったのです」
「メイヴス側に潜り込んでいた割に、現状打破に繋がる有力情報は無いのか?」
「いわゆる〝悪用〟レベルの連中をどうにかしただけで、本質の部分には辿り着けていません。ただ……風の噂によれば、ロイヒテン殿はエスメロードの地で自分の身を守るので精一杯だったとか。身を挺してローズガルドを守ろうとしている王女を、誰が疑い責めることなどできるでしょう」
「あぁ……確かに各地の様子がおかしいのは知っていたが、俺にはそちらへ手を伸ばせるような余裕は無かった」
俄かには信じられず、ロイヒテンは絞り出すようにそう言った後、黙り込んでしまった。しかし、それならば納得がいく。通りでシグルドは、カナタのことを詳しく知っているかのような口振りで話すわけだ。それに、紅が集めていたメイヴスの情報の中にイチの姿が度々挙がっていたことにも、これで説明が付いてしまった。
「イチが王女様って……嘘でしょ」
風花はしばらく呆然としていたが、やがてハッとした様子で頭をブンブン振ると、強い眼でシグルドを睨んだ。
「無礼を承知で言うわ。私達竜殺しは、ローズガルドにメイヴスの者がいる――つまり裏切り者がいると推測しているの。正直私は信じたくないけれど、イチ・ドラールはその有力候補よ。その彼女が王女だって言うなら、裏切り者は王家だと考えることも吝かじゃない。魔族に呪詛をかけてシャドウに変えていたのが王様なら、尚の事ね」
「その疑いは、確かに至極当然のものです」
シグルドは神妙な顔で目を閉じると、間もなくそれをゆっくりと開き、言った。
「しかし呪詛が英雄ハウィンに伝えられたものだとしても、風花殿は王家をお疑いになりますか?」
「は……?」
「ハウィンも今の少女と同じようにして、竜を倒す力を得たそうです。力が満ちれば、自ずと竜を倒す術がわかるのだと。……彼は万一の時に備えて、ローズガルドの王に魔の力を集める術を伝えました。ただ、ハウィンは元々の素質が今の少女よりも遥かに高かった為に、犠牲となった魔族は少なかったようですが」
「そんなの……! 信じると思う!?」
「信じられないのも無理はありません。少女が竜殺しの一族だったなら、もっと納得もいったのかもしれませんが……竜殺しの中でも、これは族長しか知らなかったことのようです。こういった事情故、迂闊に世間にメイヴスのことを公表するより、王家への求心力に物を言わせて『手は打ってあるから安心しているように』と言っておいた方が、人々の心も落ち着くのです」
ロイヒテンは何か考え込むように口元に手を当て、やがて長い息を吐いた。
「……その話を俺達にして、どうしろと? イチが今まで隠していたことをこの場で明かす理由は?」
「王女から伝達があったのです。お二人のことは信頼できると。そしてその上で――」
シグルドはロイヒテンに向き直ると、真剣な眼差しで彼を見つめた。
「ロイヒテン殿。竜を滅し、事が済んだ後には……自らの命を貴殿にと」
「!」
「貴殿を騙し、欺いた上で妹君の命を奪った償いをしなければならない。どんな報いも受けると――王女は仰っていました」
「…………」
目を見開いて黙り込んだロイヒテンに、シグルドは顔を歪めて目を伏せた。王女の代わりに自分では駄目だろうか。老いた男の顔には苦渋の色が窺えたが、彼はそれを言葉にはしなかった。
「すぐに答えは出ないかと思います。お二人の意思がはっきりするまで、どうかこちらにご滞在ください。自由に出歩いて頂くことができずご不便をおかけしますが、部屋の前に召使を待たせておきますので、何かあればお申し付けください」
そうして深々と頭を下げたシグルドに、ロイヒテンは僅かに唇を噛んで顔を伏せた。
「……。わかった」
「ロイヒテン!」
呟くような声音でシグルドの言葉を受け入れたロイヒテンに、風花が非難の声を上げた。しかしロイヒテンはパッと顔を上げると、そこからはすっかりいつもの調子で、大仰に肩を竦めて見せた。
「ひとまず一晩、話を整理する時間が欲しい。お言葉に甘えて、今夜はここでゆっくりすることにします。ただ、仲間が心配するといけない。手紙を書かせてもらっても?」
「えぇ、もちろんです」
「ロイヒテン! ふざけないで! あんな話――」
風花はロイヒテンの肩を掴んだが、ロイヒテンはするりとその手から逃れると、風花の肩をふわりと抱いて耳元に唇を寄せた。
「お嬢さん、俺達が味方に着かないと判断されたら殺される。少し黙っていてくれ」
「……っ、気安く触らないで!」
風花は眦を吊り上げながらロイヒテンの手を振り払ったが、自分の行動が賢明でないことには気付いた様子で、それ以上追及しようとはしなかった。
「心配しなくても、俺はここでおとなしくしていますよ。俺はね」
そう言ったロイヒテンを風花はきつく睨んだが、ロイヒテンに気にした様子は無かった。