五・過去と鎖と薔薇の毒 10
バンッと大きな音がして部屋の扉が開いたかと思うと、バシャバシャッと連続したシャッター音と共に白いフラッシュが瞬いた。雪崩れ込んできたのは紺色の軍服姿の男達で、彼らはあっという間に私を嬲っていた男を押さえ込み、私を吊るしていた糸を剣で切断した。
重力に引かれるまま崩れ落ちた私を受け止めたのは、床に散らばった私の肉片ではなく、力強い腕だった。口を塞いでいたボールが外されて、誰かの上着が素早く私の肩にかけられた。
「すまない、遅くなった」
聞いたことのある声に、私はゆるゆると顔を上げた。私を抱き留めているのは、軍服を着たシオウだった。
「くそっ、何で憲兵がこんなところに!?」
憲兵……確かにそう聞いて、私は目を見開いた。
「おい! 手を離せ! そいつは薄汚い奴隷だ! 私が買ったんだから、そいつをどう扱おうと私の勝手だろう!」
「……彼女のこの姿と先日のリーンの虐殺映像を公開したら、いくら奴隷が相手とは言え、世間はあんたをどう思うだろうな。保護した少女達の中には、幼い頃に誘拐されて両親から捜索依頼が出されていた子もいたようだが」
シオウは冷たい蔑みの眼で男を見下ろし、眉間に皺を寄せた。
「あんたは終わりだ。変態野郎」
連れて行け、とシオウは他の憲兵達に命じて、私をゆっくりと床に座らせた。
「かわいそうに……すぐ治療するからね」
血でズルズルと滑る私の身体を抱いて、シオウは身を震わせていた。赤く濡れた彼の指が私の上で不思議な模様を描くと、そこから溢れた光が私へ降り注いだ。
その光は心地良い温かさで私の傷を癒し、痛みを和らげた。だが腹部で疼く痛みは消えず、脚の間から流れる血は止まらなかった。
「なぜ……何でだ。何をされた」
シオウは眉間に皺を寄せ、辺りを見回した。
「シオウ、多分これだ!」
大きなカメラを首にかけた壮年の男が、血塗れの釘打ち機を拾い上げてシオウに掲げて見せた。その男だけは軍服姿ではなく、ラフなジャケット姿だった。
「なんてことを……!」
シオウは低く呻き、すぐさま叫んだ。
「すぐに病院と搬送の手配を! 体内に異物が刺さっていて魔法じゃ治しきれない! 大至急だ!」
「はっ」
シオウに命じられて、バタバタと憲兵の一人が部屋を出て行った。
私はシオウを見上げ、尋ねた。
「何で、ここに?」
「……君を助けるって、言っただろ」
シオウはそう言って、悲しげに微笑んだ。
「本当にすまない……」
私を抱くシオウの腕に力がこもり、彼は震える息を吐いた。
「あーぁ。ホントにやっちゃったねぇ、シオウ。おかげさまで俺の楽しい人生もおしまいだよ」
首から大きなカメラを下げた男が、大仰な仕草でやれやれと首を横に振った。
「だったら、あんたはこれを許せると?」
「愚問だな。だったら来ないっつーの」
彼は肩を竦めると、少し複雑そうに顔を歪めた。
「だがな、シオウ。世界はそう簡単に変わらないぜ? 現におまえは、彼女がここまで凌辱され虐待された後でないと、ここの主人や客達を罪に問うことすらできないんだからな。……お嬢さん、俺達に恩を感じるなんてことは一切しなくていいぜ? 何しろ俺達は、あんたがこうしてズタズタにされるのをわかっていて、事前に止めなかったんだから。そうだろ、シオウ?」
「……あぁ。すまない」
シオウが顔を歪めて私に頭を垂れると、カメラの男はニヤッと口の端を上げた。
「まぁ、いいや。レルゴ・テイラー新聞社、明日の号外お楽しみにね」
カメラの男はそう言ってその場を立ち去りかけて、ピタリと足を止めた。振り返り、ビシッとシオウを指差した。
「ところでシオウ、俺の護衛は信頼できるんだろうな? ここまでやってパァにするわけにはいかないぞ」
「心配するな。一人は俺の右腕だ。そこいらの兵士じゃ束になっても敵わない」
「あーっそ、ならいいか。んじゃ、他の資料は頼んだぜ。俺は殺される前にさっさと帰る」
カメラの男は踵を返すと、ヒラヒラと手を振りながら去って行った。入れ替わりに、一人の憲兵が部屋に入って来た。
「シオウさん、搬送の手配が整いました」
「わかった、ありがとう」
シオウは頷くと、私を抱いて立ち上がった。
「さっきの人……殺されるって、どういうことなんですか?」
「大丈夫、君は気にしなくていい」
優しい笑みを浮かべ、シオウは言った。私は目を閉じて、彼に身を任せることにした。
「本当に、来てくれたんですね……」
呟いた言葉にシオウがどんな顔をしたのかは、見られなかった。一度閉じた瞼は重く、一気に意識が遠くなっていったからだ。
翌日、レルゴ・テイラー新聞社の打ち出した号外には、市長失脚と闇オークションについての記事が記されていた。私を赤札で落札したあの男は、セントラルタウンの市長だったらしい。あの日のオークションの客と主人のフレッドは、全員逮捕。彼らは少女嗜虐趣味を持つ異常者のレッテルを貼られ、世間の批判を浴びた。恐らく金の力なり何なりですぐに釈放されたとは思うが、私はシオウに保護され、セントラルタウンを離れた彼の屋敷に身を寄せていた為、主人達のその後は知らない。
ちなみに他の少女達は、家族から捜索依頼が出ていた子達の他は、信用できるシオウの知り合いとやらにそれぞれ引き取られていったそうだ。彼女達は、奴隷として。
やがて、私の身体はすっかり回復した。シオウは私を奴隷としてではなく一人の兵士として彼の一団に加えてくれたが、そのせいで彼に対する風当たりが非常に強くなったことと、レルゴ・テイラー新聞社の社長と社員数名が何者かに殺害されたことは、しばらく後になって知った。