五・過去と鎖と薔薇の毒 5
* Closed Story…Kanata & Shio *
――赤札が付いたら、死ぬ。
「毎週水曜にオークションが開催されますので、気に入った奴隷を競り落としてください。落札したら、その奴隷と一晩お好きに過ごして頂くことができます」
初めて彼を見た時、彼は主人からそんな説明を受けていた。彼が近くにいる壁には、私達奴隷の名前と金額の書かれた札が、きっちり揃って横に並べられている。
「この札がオークションに出る奴隷の名前だよね。水曜ってことは、明日か」
「左様でございます」
頷いた主人に、彼は一人の奴隷の名前の下に付いている赤い札を指差した。
「この札は何?」
「あぁ、それは――」
主人がニタリと嫌な笑いを浮かべた。
「また来週のオークションの時に、お分かりになるかと思います」
「ふぅん……。それにしても、みんな高いね。普通の売春婦の倍額だ。あの赤札の付いてるリーンなんて特に」
そう言った彼に、主人は薄く笑うのみだった。
「この子達の顔や年齢は?」
「競りの際にお見せしています」
「じゃ、最初はどんな子達かわからないのか」
ここで生活していて、人が見かけによらないのは嫌という程に思い知ったが――彼は格別だった。金色の短髪に澄んだ蒼い眼。精悍で凛とした顔立ちに、すらりと姿勢良く伸びた立ち姿。もし彼がこんな場所に来る理由があるとしたら、実は彼の正体が生真面目な警官で、隠密捜査でここの主人を取り締まりに来たくらいしか思いつかない。それくらい、堅実で優しそうな青年だった。
まぁ……そう見えるだけで、それはあり得ない。何しろこの闇オークションは、赤札奴隷の落札者から紹介を受けないと、参加することができないのだから。ここにいるということは、彼は人殺しの仲間だ。
床を雑巾がけしながら顔を上げると、ふと、こちらを向いた彼と目が合った。私はすぐに視線を逸らした。私が身に着けているのは古くて固い首輪だけで、服を纏うことは許されていない。最初のうちは感じていた屈辱の類は、とっくの昔に胸の奥底に閉じ込めた。今この場で突然主人に襲われても、別に驚かない。彼らにとって私達は行き場の無い欲望の捌け口で、私達の方も、それを受け入れる以外の生き方を知らない。
「あの子は? オークションに出る?」
「あー、あの子は愛想が無くて。カナタっていうんですが、痛みによく耐えるのだけが取り柄なんですよ。すみませんね」
主人は、私のことをそんな風に紹介した。
「おいカナタ。掃除はいいから、さっさと部屋に戻れ! おまえみたいな仏頂面がいると目障りだ」
直後に主人の怒声が飛んできて、私は雑巾バケツを手にしてその場を去った。
ただでさえ、こんな生活は望んでいない。それなのに、自分を痛め付け、果ては殺すかもしれない相手に、どう愛敬を振りまけと言うのだろう。
雑巾バケツを掃除用具入れに戻して、私は自室に戻った。
――自室、と言っても八人部屋だが。
窓一つない薄暗くて狭い部屋が、私達の寝床。板張りとほとんど変わらないような固さの二段ベッドが二つあるばかりで、室内にはもう座るスペースすら残っていない。隅の方には、特に仕切られているわけでもなく設置された便器と小さな洗面台。そこに放り込まれている私達は全部で八人。今は二段ベッドを四人ずつで使っている。
ただ……赤札の付いたリーンだけは、先週から私達とは別室に連れて行かれている。自分が殺されることを知っている彼女が、その別室でどう過ごしているのかは知らない。
リーンはここにいる奴隷の中でも一番の美人で、ここ三回のオークションを除いては、落札額は誰よりも高額だった。
「ねぇ、新しい客が来たって本当?」
誰かが言った。声の方に視線を向けると、リーンと仲の良いアイラだった。彼女の顔はひどく引き攣って青ざめていた。
「来てたよ。……若い男の人だった」
「怖そう?」
「どうかな。見た目はとても真面目そうで、凛々しかったよ」
淡々と答えて、室内にはしばらくの沈黙が満ちた。皆、新しい客にさほどの興味があるとは思えなかった。
「何でリーンなんだろう……」
ポツリと、誰かが呟いた。
「ここはそういうところだもの。仕方ないわ」
誰かが応えたが、言葉の先に続いたのは、カチカチと歯の鳴る音だった。
私はベッドで丸くなり、震える身体を抑え付けた。
明日なんて来なければいい。
誰もがそう思っていたのに、長すぎる沈黙の夜はいつも通りに明けた。そして再び夜闇の訪れを待ってから、私達はそれぞれの落札者の待つ部屋に連れて行かれた。オークションで、リーンには今まで見たことが無いようなとんでもない額が付いた。
私の落札者は恐ろしく興奮した様子で、私の両手を縛り上げた。
「あぁ、リーンちゃんが今頃どんなことをされているのかと思うと堪らないね。今日の彼女のお相手が本当に羨ましいよ」
「……!」
ギラついたその男の眼を見るまで、私の頭の中はリーンのことでいっぱいだった。しかし縛られたまま大きなベッドの上に蹴倒されて、たちまちリーンのことは頭から吹っ飛んだ。男の手には鈍く光るナイフがあった。
「駄目、やめて!」
「君にも少しくらいなら大丈夫さ。死にやしないよ」