五・過去と鎖と薔薇の毒 2
「私のヘソクリ。好きな物、買っておいでよ」
「えっ!? 駄目だよ、貰えない!」
「いいから。ついでに、買い物も頼まれてちょうだい」
イチはニヤッと笑うと、音のしない花模様の缶ケースを軽く振った。
「それ、ロイヒテンからもらったキャンディだよね? セントラルにあるかな?」
「もしあればでいいわよ。他のはいらない」
「そっか……わかった、ありがとう」
私は金貨を握ると、紅のスープとサンドイッチをお腹に詰め込んで、立ち上がった。
「紅、そろそろ行こう」
「そうだな」
紅が頷いたその時、後ろでロイヒテンと喧嘩していた風花がこちらへやってきて、ロイヒテンからツンと顔を逸らした。
「聞いてよカナタ。ほんっと、目玉焼きは半熟だなんて信じられない!」
「玉子焼きの話じゃなかったの?」
少しの驚きと呆れを込めて尋ねると、今度はロイヒテンが腕を組んで鼻を鳴らした。
「おい紅、おまえ目付け役のくせに、このお嬢さんに一体何を教育してたんだ? 目玉焼きは半熟に決まっているだろう!?」
「俺のせいなのか?」
紅は渋い顔で二人を見比べ、溜め息を吐いた。
「お嬢、ロイヒテン殿……本当に大丈夫か?」
イチは笑って、サンドイッチを手に取った。
「まぁ……ロイヒテンと風花の組み合わせじゃ、門前払いされちゃうかもね。出発前の今なら、組み合わせの変更も可能よ?」
そう言ってモグモグとサンドイッチを頬張ったイチに、紅は苦笑を浮かべた。その紅の背後から、風花の拳が彼の頭上に振り下ろされた。
「!」
しかし紅はサンドイッチを食べながらヒョイと身体を傾け、風花の拳を鮮やかに躱した。
「お嬢、俺は何も言ってない。言ったのはイチだ」
「イチはいいのよ」
風花は鼻を鳴らすと、片手を腰に当てて小首を傾げて見せた。
「心配してくれなくても、竜殺しの族長の娘として、大人の対応くらいできるわ」
「お嬢さん、頼むから下手なことして不信感を与えるようなことはしないでくれよ?」
「こっちの台詞よ」
風花は横から口を挟んだロイヒテンをギロリと睨み付けたが、それを受けたロイヒテンは、意外なことに真顔だった。風花は驚いた様子で、ロイヒテンを睨むのをやめた。
「貴族ってのは、結構扱いが面倒臭いんだ」
ロイヒテンは言うと、最後だけ冗談めかしたようにニヤッと口の端を上げた。
「あ、そうだわ、カナタ。うちの紅を荷物持ちに使っていいから、必要な買い物が済んだ後、素敵な服と可愛いアクセサリーでも買ってきなさいよ。貴女、少し飾り気が無さすぎるもの」
「えっ」
私は自分の身体を見下ろし、首を傾げた。
「私は別にこのままでも……」
「あぁ、もう! 駄目! 全然駄目! いい? イチが隣に立ったら、貴女、完全に彼女の引き立て役よ。あのオーラとボディに勝たないと!」
「オーラとボディ……」
視線は、思わずイチの胸元に向いた。
「やー、こればっかりは金貨一枚じゃどうにもならないかも?」
イチは両の手で自分の胸を持ち上げ、そこに深い深い谷間を作って見せた。ロイヒテンの視線はたちまちその谷間に釘付けになり、紅は口元を抑えて赤くなった顔を背けた。
「んんっ。カナタ、先に外で待ってる」
紅は咳払いをしながらそう言って、ロイヒテンの服を引っ張った。
「え、えぇ、もうちょっと……」
「ロイヒテン殿?」
紅の手が今度はロイヒテンの耳を掴み、ロイヒテンは慌てた様子で立ち上がった。
「わーかったわかった! あんた最近俺の扱い悪いぞ! 尊敬してたんじゃなかったのか」
「扱いが悪い? 気のせいだ」
紅はサラリと言って、ロイヒテンの耳を掴んだまま立ち上がった。
「イチ、すまんが後は頼んだぞ」
「はいはーい。行ってらっしゃい」
そしてロイヒテンを引き摺るようにして、紅は宿屋を出て行った。残った私達は思わず顔を見合わせて噴き出し、ひとしきり笑ってから、ロイヒテンと紅を追って宿屋の外に出た。
外は降り注ぐ陽光が眩しく、賑やかな石畳がキラキラと光って見えた。
「じゃぁ、お嬢。頼んだぞ」
「えぇ。貴方達もよろしくね」
ロイヒテンと風花は、一瞬バチバチと火花の散りそうな視線を絡め合った後、素知らぬ顔で城の方へと歩いて行った。その背を心配そうに見送った後、紅は「俺達も行こう」と私を促して、市場の方へ歩き始めた。