四・死者と疑惑と恋心 9
風花は軽くイチを睨み、すぐに表情を苦笑に変えた。
「そうね。暗いこと言ってる場合じゃないわね」
イチは「うんうん」と頷くと、風花に笑みを返した。
「ところで、もし体調が落ち着いているなら、紅とロイヒテンが戻ってくる前に体拭いちゃったら?」
「あぁ……そうね。手伝ってもらってもいいかしら?」
「あ、じゃぁ私、お湯の準備してくる」
私は水場へ行って、湯を沸かした。
……先刻の話をロイヒテンにしたら、彼は怒るだろうか。この土地はそれほど裕福ではないようだし、宗教に縋ることでしか生きられなかった末端の人々を虐殺しなかったことがそんなに不思議なのかと、腹を立てるかもしれない。
確かにひた隠しにするより、漏れ出る話は有り得ない伝説や噂話のような扱いにしておいて、人々の暇潰しに語られている方が、信憑性が薄くなる場合もある。
沸いた湯に注し水をして温度を調節し、私はそれを風花のところへ運んだ。
「ねぇ、風花。竜殺しの一族で、他に生き残った人はいるの?」
尋ねると、風花は首を横に振った。
「後で里に戻ってみたら、死体は全員分じゃなかったけれど――もう誰もいなかったわ。父上と母上は殺されてしまった」
「婚約者さんは……?」
「…………」
風花は黙り込み、僅かに唇を噛んだ。
「ご、ごめん。無神経だった……」
慌てて謝ると、風花は首を横に振った。
「彼の死体は無かった。……きっと、どこかで生き延びてる。もし出会えたら、力を借りることができるかもね」
風花は小さく微笑むと、服を脱ぎ始めた。彼女が眠っている間に紅が着替えさせたのだろう。今の彼女は簡素な麻の服を着ており、いつもの着物はベッドの足元に綺麗に畳んで置いてあった。
「紅は違うみたいだけど、竜殺しの人達って、みんなこういう服なの?」
イチが風花の着物を示して尋ねると、風花は左肩に巻いた包帯を自分で解きながら言った。
「祖父母の頃はね。でも、今はほとんど自分の趣味みたいなものだわ」
「趣味?」
「それ、素敵な柄でしょう? 動きにくいから普段は袴姿にしているんだけど、本当は下の方の柄がとても美しくて――って、語りだしてもいいなら、語るけど?」
「確かに凄く綺麗な柄だけど……」
私は半笑いで首を傾げた。それを否定と受け取ってくれたらしい風花は、おかしそうに笑った。
「よかったら、今度着せてあげる。カナタは小柄だし胸も小さいから、きっと似合うわ」
「!」
さらりと言われて、私は思わず両手で自分の胸を押さえてしまった。隣でイチが「ぶはっ」と噴き出した。
「あら、どうして? 気にしているの?」
不思議そうに首を傾げる風花は、私の主張しない大きさの胸を、本当に羨ましく思っているような顔をしている。
「ストンとした体格の方が、着物は綺麗に着られるのよ」
包帯を外した風花は、イチほどではないものの、ふんわりと膨らんだ自分の胸元を残念そうに見下ろした。
胸が小さいだのストンとした体格だの、褒められているとはとても思えない。
「それなら交換したいくらいだよ……!」
半ば切実にそう言うと、いよいよイチが声を上げて笑い出した。私は口を尖らせながら、風花の背中を拭くのを手伝った。
そんな時、出入り口の扉の方でガチャリと鍵が外れる音がした。何やら難しい顔で部屋に入ってきた紅の視線が、ベッドに起き上がって素肌を晒している風花の姿を捉えた。
「お嬢! 気が付いたのか!」
「ノックもしないで何入って来てるのよ、変態!」
顔を真っ赤にした風花が、左腕で胸元を隠しながら、右手で水差しをブン投げた。
「なっ……!?」
しかし持ち前の動体視力で、紅は恐らく咄嗟に水差しを避けた。その後ろには、未だ室内の状況を把握していないロイヒテンがいる。
「あが!?」
水差しは、風花の姿を見てもいないであろうロイヒテンの顔面に激突した。