四・死者と疑惑と恋心 7
「可愛いでしょ。ロイヒテンに貰ったの。美味しかったから、分けてあげる」
イチはケースの中からピンク色のキャンディを取り出して、私の唇に押し当てた。咄嗟に私が口を少しだけ開いてしまうと、イチは悪戯っぽい笑みを浮かべながら、キャンディを私の唇の奥へと押し入れた。カラン、とキャンディが歯に当たって、甘い桃の味がした。
「ロイヒテンと紅が戻るのを待って、まずは腹ごしらえ。真面目な話は、それからにしましょ?」
イチは自分の口にもピンクのキャンディを放り込み、ニッコリと笑った。
「……ねぇ」
不意に小さな声がして、私達は後ろを振り返った。風花が目を開けて、ぼんやりと天井を見つめていた。
「風花!」
声を上げると、風花は天井を見つめていた目を閉じて、それを再び開きながら、私達に顔を向けた。
「貴女達、源泉魔法って知ってる?」
「源泉魔法?」
イチが少し驚いたように目を丸くして、風花のベッドに近付いた。
「どうしたの、目が覚めるなり藪から棒に」
イチはベッドサイドに置いてあった水差しを取ると、それに水を注いで、風花に差し出した。
「起きられる?」
「……まだ体がだるいわ」
駆け寄って風花が身体を起こすのを手伝うと、彼女の身体はまだ熱く火照って、じっとりと汗をかいていた。イチの方がよほどひどい傷を負ったのに、彼女は既にピンピンしている。対して風花の右足と左肩には痛々しい包帯がグルグルに巻かれていて……――魔法が効かないというのは、やはりいいことばかりではないようだ。
風花はイチから受け取った水を口に含むと、ゆっくりとそれを飲み下した。疲れたような長い息を吐いて、彼女は忌々しげに舌打ちした。
「悪いわね。私、汗臭いでしょ」
「こんな怪我で何言ってるの、気にしないよ。それより、痛みは?」
「それほどひどくもないわ。少し気になる程度ね」
風花は言うと、イチを見上げた。
「そう、それで……知らないかしら? 源泉魔法のこと」
「源泉魔法……」
口の中で呟いて、私は首を横に振った。まるで聞いたことのない魔法だった。
「イチは?」
イチは記憶を辿るように口元に手を当てて考え込んでいたが、やがて私と同じく、首を横に振った。
「聞いたことないわ。何か特別な魔法なの?」
尋ねたイチに、風花は僅かに目を伏せた。
「あんなに凄い魔法使いの貴女でも知らないなら――やっぱり私の夢だったのかしら」
「夢?」
眉を寄せると、風花は頷いた。
「紅のお爺様が亡くなる時に、父がそんな話をしていたの。紅のお爺様は伝染り病で長いこと臥せっていて、その病の感染力を抑える希少な薬を飲んでいる父と、世話役の人しかお爺様のところへは行けなかった。けれど私……少しだけならって、こっそりお爺様のところを訪ねたのよ」
「無茶するわねぇ」
「あの時は小さな子どもだったもの。それに、実際にそれをやったのかどうかもわからない。あの時、細い隙間から覗いた部屋には、父と痩せ細ったお爺様がいた。お爺様は父にこう言ったわ。『源泉魔法を返さなければいけない』って。ただそれを聞いた日、私は気が付いたら自分の布団の中で眠っていて――だけどどうやって布団に戻ったのか、全然覚えていないのよ。源泉魔法なんて言葉も、それきり一度も聞かなかったし」
「だから夢だった、ってこと?」
「えぇ」
風花は自分でも納得できていない様子で頷いて、額に手を当てた。
「今、その昔の夢をまた見ていたの。あの時の父の顔――何か思い詰めたような、とても怖い顔だった」
「風花のお父さんってことは、竜殺しの族長?」
「そう。あぁ、でも気にしないで。あの黒ずくめの男が変なことを言ったから、気になっただけ。きっとあれは子どもの頃の夢よ」
「変なことって?」
首を傾げたイチに、風花は思い出すのも嫌という様子で答えた。
「あの男の力を竜殺しの民が盗んだとか、それを知らない私に罪は無いから流れを見守れとか……。この世界は竜が廻しているとか、その理を曲げて自分達に都合の良い歴史を作ったのが竜殺しだとか! おまけにハウィンの名を騙るなんて! あぁ、苛々する!」
風花の口調は段々と熱くなっていき、遂には握り締めた拳でベッドを叩き、牙剥く勢いで吐き捨てた。
「何よりこの足の火傷! 私に魔法で傷を負わせるなんて、明らかにただの魔法使いじゃないっていうのが更に苛々する!」
「風花、傷に障るよ」
慌てて彼女を諌めたが、風花の眼は爛々とした怒りに満ちていて、どうにも収まりそうにない。