四・死者と疑惑と恋心 3
紅は身体を起こし、動かなくなった黒い塊にゆっくりと近付いて行った。
「これは……」
眉を寄せた紅が黒い塊の傍から拾い上げたのは、チェーンの切れたドッグタグだった。紅はそれを私の方へ放ってよこした。
「心当たりは?」
受け取ると、タグにはジェイクの名があった。
「アルノルト達を襲った兵士長の名前。……多分、エスメロードがこうなった原因」
「……そうか」
紅は頷くと、僅かの沈黙を挟んで、小さく息を吐いた。
「ロイヒテン殿――医務室か、せめて水場があると助かる。お嬢の足を手当てしたい」
「あぁ、ちょうどいい。こっちもひと段落だ。休める場所に移動しよう」
頷いたロイヒテンの手元で、魔法陣が静かに消えていった。
「イチの傷、もう大丈夫なの?」
尋ねると、ロイヒテンはショットガンを背中に戻してイチを抱き上げながら言った。
「いや、まだ最低限の止血程度だ。俺の魔力がどこまで持つかわからんが、これからじっくり治療する」
イチの顔は血の気が引いて青白く、私の前で目を閉じて眠り始めた時とは違って、何だか辛そうだった。私達に心配をさせないように、あんな風に笑っていたのだろうか。
知らず、不安な気持ちが表情に出ていたのだろう。ロイヒテンが茶化すように笑った。
「心配しなくても、イチは大丈夫だよ。俺を庇って負った傷だ。この俺が絶対に死なせるものか」
「と言うより……だから心配なんじゃないの?」
紅に肩を借りて立ち上がりながら、風花が険のある声で言った。ロイヒテンは眉を寄せ、風花を軽く睨んだ。
「俺が治療するから心配ってことか? 失礼な奴だな」
「イチが貴方を庇って倒れた後、貴方は呆っと突っ立っていたじゃない。肝が小さいにも程があるわよ」
小馬鹿にしたように鼻を鳴らした風花に、ロイヒテンは口を閉ざしながらも、唇を尖らせた。
「それにしても貴方、あの炎からどうやって生き延びたの?」
「俺か? 俺はその……あれだ。あの瞬間に、イチが魔法で庇ってくれたんだ。だからその黒い奴に襲われた時、イチが魔力切らしてフラフラで――」
モゴモゴと言い淀んだロイヒテンに、しかし風花は彼を責めるでもなく、思案顔で首を傾げた。
「ふぅん。じゃぁイチは、ギリギリとは言えあれを防げるくらいの魔族なのね。……紅は? 私、てっきり貴方は死んだと思ったわ」
「勝手に殺さないでくれ。俺は炎に呑まれたが、何の問題も無かった。竜殺し所以だと思ったが、お嬢はあれで怪我をしたのか?」
「いいえ、この火傷はまた別物。私とカナタは、時計塔で黒ずくめの男に庇われたのよ」
「黒ずくめの男?」
「そう。ハウィンって名乗ってた。足の火傷は、そいつにやられたの。胸糞悪いったらありゃしない」
風花は吐き捨てるように言うと、ギリリと奥歯を鳴らした。
「でも、竜殺しに魔法は効かないんだろう?」
尋ねたロイヒテンに、風花は苛立ったように首を横に振った。
「えぇ。だけどあれはまるで魔法だったわ。私の竜殺しの血が薄いのかしら……」
「おいおい。あんたは族長の娘なんだろ? 竜殺しの中でも超エリートじゃないか」
「そうだけど……それ以外に説明が付かないもの」
そう言った風花に、紅は眉間に皺を寄せていた。そんなことは有り得ないとでも言いたげな表情だった。
「だが……お嬢に攻撃を仕掛けたということは、そいつはカナタだけを庇ったということか?」
「さぁ、どうかしら。カナタのことも、思いっきり壁に叩き付けていたから、何がしたかったのかさっぱりだわ。……ただ、カナタには少し不思議な力があるのかしら。シャドウの出てくる黒い割れ目が見えるって言うのよ」
「シャドウの出てくる割れ目?」
復唱した紅に、風花は頷いた。説明を求めるように、三人の視線が私に集まった。
「何もない空間に真っ黒な割れ目があって、奥にシャドウが犇めいているのが見えるの。そこからシャドウが出てくるみたいなんだけど――ロイヒテンも見えてないの?」
「そんな話は初めて聞いたし、当然見えてないぞ」
ロイヒテンは怪訝そうに私を凝視し、辺りを見回した。
「もしかして、ここにもあるのか?」
問われて、私は首を横に振った。
「ここには無い。来る途中の階段や廊下にいくつか」
「ということは、出入り口さえしっかり戸締りしておけば、シャドウの出現しない安全地帯を確保できるってわけだな。身体を休めるには最高だ。医務室と食堂がそうなら、もっといいな」
「……そうだな。なぜ見えるのかはさて置き、ひとまずその力、利用した方がよさそうだ」
紅は頷いて、風花を支えて彼女を立ち上がらせた。
「カナタ、先導を頼む。ロイヒテン殿は後方から道案内を」
「そう言う紅は、ちゃんとカナタを助けるのよ? 私は一人でも立っていることくらいならできるんだから」
紅を見上げて釘を刺した風花に、しかし紅は無言のまま首を傾げたのみだった。
「大丈夫。ありがとう、風花」
私は笑って、両手に短剣を握った。
「ロイヒテン、イチをお願いね」
「あぁ、任せろ」
ロイヒテンは自信満々に口の端を上げると、細い体躯で軽々とイチを背負った。
「医務室に向かおう。扉を出て左。真っ直ぐ進んで最初の十字路をもう一度左に曲がって、階段を下りた先だ」
「了解」
私は頷き、四人の先頭に立って部屋の扉を開いた。