一・銃士と剣士と魔法使い 3
不審に思って彼女の顔を覗き込んで、ハッとした。風の中に、微かに今までと違う不快な臭いが入り混じっている。
「血……」
新しいものではない。すっかり酸化して錆び付いたような、そんな臭いだ。それから、腐り果てた蛋白質の臭いも。
「カナタ、下がって」
いつになく真剣な声音でそう言ったイチは、前方に翳した両手で白い光の魔法陣を描いた。ロイヒテンの使った〈フリーゲン〉に比べて、ひどく複雑な紋様だ。
「沈黙の刻よ、惑いの狭間に我らを隠したまえ――〈トランスパレント〉!」
「!?」
イチが呪文を唱えるなり、一体どういうわけなのか、私とイチの体が辺りの景色を透かし始めた。同時に目の前の景色の中には、私達の体と同じく半透明の村がゆらりと姿を現した。少し離れた場所には民家が見えて、辺りには枯れた田畑が広がっている。
「何……これ」
思わず呟くと、イチが言った。
「アイスビーツの村」
「は!?」
「魔法で隠されていたのよ。……私達が村と同じモノになったから、見えるようになったの」
「でも〈トランスパレント〉ってそんな簡単な魔法じゃ……」
〈トランスパレント〉は、数ある魔法の中でも、非常に難度の高い魔法だと聞いたことがある。物体の存在する次元をほんの少しだけ別次元にズラすというわけのわからない効果を持つ魔法で、お目にかかったのは初めてだ。
そんなとんでもない魔法が丸ごと村一つにかけられているというのは、一体どういうことなのだろう。
「怖い怖い。帰るなら今のうちかも?」
冗談めかしたように、イチが唇に指先を当てて首を傾げた。
「…………」
私は唖然として一瞬沈黙した後、イチを睨んだ。
「イチ」
「ん、何?」
「こんなに凄い魔法をさらっと使えるのに、どうしていつも何もしないの?」
イチの持つ魔法の力は、常人を遥かに上回るほどに強大なものだ。彼女はロイヒテンの使った〈フリーゲン〉くらいなら、魔法陣さえ描けば、呪文を使って呼びかけなくても力を解放することができる。ちなみにこの〝呼びかける〟という感覚は、イチ曰く〝世界の理に力を貸してくれと頼むこと〟らしいが、さっぱり理解できない私は、魔法があまり得意ではない。もしかしたら魔力を豊富に持っていないと、その感覚は理解できないのかもしれない。
「こんな魔法を使えるなら、普段からイチが戦った方がさっさと済むじゃない」
「えー、だってカナタが一生懸命頑張ってる姿、可愛いんだもん」
「……本音は?」
「面倒臭いし」
ガックリと肩を落とした私に、イチはクスクスと笑った。
「まぁまぁ。こういう時はちゃんと役に立ってるんだから、いいじゃない」
言いながら、彼女は指先で小さな金色の魔法陣を描き、静かに囁いた。
「――〈シールド〉」
ドォンッ!
轟音と共に土埃が強風に舞い上がり、驚いた私は短剣を抜きながら飛び退った。衝撃を軽々と受け止めたのは、小さく控え目な魔法陣と比べて桁外れに重厚な光の盾だ。イチの唇に、艶やかな弧が浮かぶ。
「シャドウじゃなくて魔法使いが相手なら、頑張ってあげてもいいわよ? カナタには荷が重いもの」
「揺らぐことなき光よ、悪しき刃から我が身を護りたまえ――〈シールド〉!」
イチが言い終わるのとほとんど同時に魔法陣を描きながら呪文を唱え、私は自分の正面に〈シールド〉を作り出した。
「あら、可愛くなーい」
イチの棒読みを聞き流しながら、私は土煙の向こうの襲撃者に目を凝らした。ちらりと見えた人影の腕が振り上がり、空気が熱を孕んだ。
「嘆きの声よ、集いて冷たき剣となれ――〈アイス〉!」
飛来してきた巨大な炎を氷魔法で迎え撃ち、掻き消しきれなかった炎の残滓と熱波を〈シールド〉で耐え凌ぐ。大地を蹴って土煙を突き抜け、私は跳躍と同時に襲撃者の姿を捉えた。
「!」
襲撃者は、白いワンピースを真っ赤な血で汚した金髪の少女だった。歳は十五、六くらいで、私とそう変わらない。その愛らしい面立ちはどこかで見たことがあるような気がして記憶を辿っていると、光の無い琥珀色の瞳がぐるりと私を捉え、途端に赤い光が辺りに炸裂した。
「イチ!」
「わかってるって! サポートは任せて」
どこか楽しそうな響きを含ませて応じたイチの声が、高らかに響き渡る。
「魔の理を背負いし力よ、暗黒に失われた言の葉に平伏せ――〈レイション〉!」
おどろおどろしい黒い魔法陣から放たれた闇魔法〈レイション〉に呑まれた赤い光が、砕けるように弾け飛ぶ。魔法を掻き消す効果のある〈レイション〉は私を守っていた〈シールド〉も同時に消し去ってしまったが、私は構わず少女へと突っ込んだ。
「喰らえっ!」
ダァンッ!
しかし少女に刃を振るおうとした刹那、背後から響いた銃声が私の右足を撃ち抜いた。
「カナタ!」
ふぉんっ、と空間が歪んだような音が耳元を走り抜け、私は草の地面の上に落ちた。
「ぐっぅ……」
ズキズキと痛む右足を抱えるように蹲り、私は低く呻いた。顔だけ上げて新たな襲撃者の姿を探すと、半透明の村とワンピースの少女は消えて、草原の中にショットガンを構えたロイヒテンが立っていた。
あぁそうか、あの女の子――何となくだけど、ロイヒテンに似ているんだ。