三・羊と孤独と魔法陣 12
風花が不可解そうに眉を寄せるので、私は頷き、手近のシャドウに向けて短剣を振るった。シャドウは素早い動きで私の攻撃を躱し、風の刃を纏った両腕を振り上げた。私は頭から前方に飛び込んで一回転し、立ち上がり様に背後からシャドウに斬りつけた。切り口から噴き出した靄が、私の視界を黒く染めた。
「これ!」
私は言ったが、風花は顔を顰めて、別のシャドウに向けて刃を振り下ろした。
「……こいつら斬ったって、靄なんか出ないわよ」
斬り裂かれたシャドウは、真っ二つに割れて消滅した。……確かに言われてみれば、風花が倒したシャドウは、鮮やかな切り口のまま消え去っている。あの纏わり付くような黒い靄は、全く噴き出していない。
「さっきの割れ目といい靄といい……どうやらカナタには、私には見えないモノが見えてるみたいね。紅からもそんな話は聞いたことがないし――イチやロイヒテンはどうなのかしら」
風花は呟いて、街路の向こうに見える城門を睨んだ。
「それにしても――ここまでシャドウにしか遭遇してないっていうのは、どうにも嫌な感じね」
燃えたはずなのに焦げ跡すら付いていない民家の脇には、真っ黒な塊と化した焼死体らしきものが転がっている。――シオウ様の砦にあった死体と、全く同じものだった。
「これがメイヴスなの……?」
悲鳴一つ上がらない、静まり返った町。身体はいつしか震え出していて、私は自分の腕を反対の手でぎゅっと握った。
「人の命をこんなに簡単に奪って、何が神様だっていうのかしら。――もしもメイヴスが復活したら、ご機嫌伺いに大層忙しくなるんでしょうね」
風花は不機嫌そうに鼻を鳴らし、聳え立つ城門を見上げた。
「正面突破で構わないわね?」
「今更コソコソしたって仕方ないものね」
私は頷いたが、さて、魔法の使えない風花は、この閉ざされた城門をどうやって越える気なのだろう。
「何ボサッとしてるのよ。さっさと開けてきてちょうだい」
「あ、やっぱり」
私は苦笑して、足元に風の魔法陣を描いた。
「大地の鎖よ、我が枷を緩め、解き放て――〈フリーゲン〉」
尽きかけの魔力を絞り出し、私は風の力で城壁の上に飛び乗った。戦に備えてなのか、城壁の上にはたくさんの投石機や弩弓の類が配備されていた。そしてその傍らには、真っ黒に焼け焦げた人間大の塊が点々と転がっていた。
「…………」
私はその光景を振り払うように視線を走らせ、城壁の内側に降りる階段を探した。しかし動揺の為に気を散らしていたせいで、すぐ近くで闇が口を開き、そこからシャドウが飛び出してきたことに気付かなかった。
「やばっ……!」
ハッとした時には、もう遅かった。
「――っ!」
鋭い風の刃が私の右肩を切り裂き、途端にブワッと血の華が咲いた。それを認識した直後、傷口を中心に強烈な熱と痛みが脳天へと突き抜けた。激しく脈打つような激痛に悲鳴を上げることしかできないまま、私はその場に崩れ落ちた。
「うぐ……」
スパークする視界の中で辛うじて意識を繋ぎ止め、左手に握った短剣の切っ先で、何とか魔法陣を描いた。
「失われし力に祝福の風を――〈ヒーリング〉!」
しかし元々魔法が下手なのに加えて、魔力が足りないせいだろう。生み出された光は、傷を癒すどころか出血を止めるほどの効果にすら至らず、消えてしまった。ただ、いくらか痛みは和らいで、視界に鮮明さが戻ってきた。
「このっ……!」
割れ目の中から新たなシャドウが出てくる前にケリを付けるべく、私は左手の短剣を振り上げながらシャドウに斬りかかった。シャドウの背後へ抜けるような形でシャドウの刃を躱し、振り返る勢いでシャドウの背を一気に斬りつけた。突き立てた刃の傷口から影が弾け、黒い靄を吐きながら、シャドウは消えていった。
「痛……」
私は肩の傷を庇いながら、闇の割れ目の傍らを走り抜け、階段を駆け下りた。門扉に近付いてみると、どうやら城門は鉄のハンドルで開閉する仕組みになっているようで、幸いなことに一人でも回すことができた。
内側から門を開けると、外では風花がシャドウ達と戦闘を繰り広げていた。
「消えなさいっ!」
風花の快刀が白銀の閃光とともに影を斬り裂き、彼女の纏う赤の着物が蝶のように翻る。まるで舞い踊るかのようなその姿はとても美しく、私の目に焼き付いた。