三・羊と孤独と魔法陣 11
「ちょっと! そんな小柄な身体で無理しないで! 私なら大丈夫って言ってるでしょう」
風花が慌てたように身を捩って私の腕から飛び降り、辺りのシャドウを警戒しながら私の顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫……折れてない」
「当たり前よ。格好付けて骨折されたんじゃ、堪ったものじゃないわ」
風花は刺々しい口調で言いながら私を睨むと、火傷をしている右足を徐に振り上げ、力強く地面を踏み締めて見せた。間違いなく凄まじい痛みが走っただろうに、風花は眉一つ動かさなかった。
「心配してくれてありがとう。でも、庇ってくれなくて結構よ。足を引っ張るつもりはないから」
「風花……」
「まずはここ、突破するわよ」
「……わかった」
私は頷き、両手に短剣を構えた。時計塔の周りを囲んでいるシャドウ達に、風花は抜き放った刀を向ける。
「それで? どこを抜ければいいの?」
「あっち! 付いてきて!」
私は低い姿勢で駆け出し、前方のシャドウの胴を、下から一気に切り上げた。しかしシャドウは後方へバックステップを踏み、のっぺりとした顔面一杯の、真っ赤な口を開いた。
「!?」
鋭い牙の並ぶその口が、私を食い殺さんとする勢いで噛み付いてくる。すかさず身を沈めると、頭に上をヒュンッと鋭い風が通り過ぎ、シャドウの頭が見事に吹っ飛んだ。
振り返ると、まるで剣の舞でも披露するかのような美しさで、風花がシャドウをズバズバと切り裂いていた。陽の光を受けて煌めく刃には、一点の曇りも迷いもない。
「貴女は前に進むのに最小限だけ倒してちょうだい。他は任せてくれていいわよ」
次々とシャドウを斬り倒しながら、風花が涼しい顔で言った。
「凄い……」
「ほら、ボヤッとしない!」
風花に怒られて、私は慌てて前に向き直った。飛んできた氷の刃を右手の短剣で叩き落とし、突き出した左手の刃で、シャドウの胸を穿つ。引き抜くと同時に噴き出してきた黒い靄を纏いながら、別のシャドウの懐へと潜り込む。左右の短剣を交差させた状態から、一気に切り開いた。視界を奪う靄を振り払って、更に奥へと進む。そうして時計塔を囲んでいるシャドウ達の壁を突破し、私達は街路を駆けた。
「……ねぇ、聞いてもいいかしら?」
「何?」
「さっき貴女が言ってた割れ目って何?」
尋ねられて、私はちょうど前方で口を開けてシャドウを吐き出している、裂け目のような暗闇を指差した。
「シャドウが出てくるあの割れ目……あんなの私も初めて見たけど、風花には見えないの?」
「割れ目ねぇ……。私には、あそこから突然シャドウが現れているようにしか見えないけど。魔力と関係してるのかしら」
「空間がバックリ割れていて、そこから見える闇の中に、シャドウがたくさんいるの。それが外に出てきてるみたい」
「ふぅん、後でイチや紅にも聞いてみるわ。――ところで進路は、あそこを突破しないといけないのよね?」
前方のシャドウ達を示しながら風花は言って、私が頷くよりも早く、私の前に躍り出た。
「食らいなさい。――流星斬!」
シャァァアアンッ!
風花の刀が鞘の中から滑らかに引き抜かれ、刃の放つ銀光が凄まじい速度で閃いた。風花の纏う着物の赤が鮮やかな残影を描き、振るわれる刃の銀の煌めきが、尾を引くように宙を走る。居並ぶシャドウは彼女に対して攻撃のモーションを取ることも許されないまま、次々に斬り刻まれていく。速すぎて、途中から目で追えなくなってしまった。
「……こんなものかしら」
キンッ!
小さな金属音と共に風花が刀を鞘に収める頃には、割れ目の周りに犇いていたシャドウ達はあらかた片付いてしまっていた。
「急ぐわよ」
「うん! ……って、風花! その傷!」
風花のあまりの強さに気を昂らせていたのも束の間、真っ赤に染まって地面に点々と染みを作っている彼女の右足に、私は目を見開いた。しかも一体いつ受けたのか、額からは血が滴り、左肩にも血が滲んでいる。
しかし風花は痛みなど全く感じていない様子で、瞳孔の開いた獰猛な双眸と、苛立ちを交えた冷静な顔貌で首を傾げた。
「気にしないで。今は痛みも辛さも、何も感じていないから」
「それって……?」
「火傷の後に飲んだ薬の効果よ。興奮剤みたいなものね」
風花はさらりとそう言うと、血の滴る足で平然と走り出した。慌てて後を追い、彼女の傍らに並んだ。すると風花が前を向いたまま口を開いた。
「カナタにもう一つ聞きたいことがあるのよ。カナタって、戦いながら時々何かを振り払うような仕草をするけど、あれ、癖なの?」
何かを振り払う仕草――。何のことかしばらく考えて、思い至った。
「シャドウを斬った後、黒い靄が噴き出すでしょう? あれが纏わり付いてくるのが鬱陶しくて」
「シャドウから噴き出す黒い靄?」