一・銃士と剣士と魔法使い 2
すると不意に耳元で大きな炎が弾けて、ジリジリと髪の焦げる臭いがした。咄嗟に顔を背けていなかったら、今頃顔面をステーキにされていただろう。
視線を走らせたが、残るシャドウのうち、どいつがそれを使ったのかはわからない。
「カナタ、足元!」
「!?」
珍しくイチの慌てた声が聞こえたと思ったら、私の足元に赤い光が集束していた。襲い掛かってくるシャドウの中に、一体だけ奇妙な動きで揺れている奴がいる。ちょうど別のシャドウの刃を受け止めたところで、退避が間に合わない。
「やば……!」
激痛を覚悟しながらも、直撃を逸らそうと辛うじて僅かに足を引いた。その時だった。
「大地の鎖よ、我が枷を緩め解き放て――〈フリーゲン〉!」
ドォンッ!
炎が弾ける直前、私の腰が強い力で引き寄せられ、重力に逆らって上空へと引き上げられた。男が片手で私を抱き、空へ高く跳躍したのだ。彼の足元には、緑色の光で描かれた魔法陣が浮かんでいる。
「わーお。魔法使いさんだ」
イチの声と、パチパチという気の抜けた拍手。先刻彼が使った〈フリーゲン〉は、風の力を借りて空を飛ぶ魔法だ。私達は人の脚力では絶対に昇ることのできない高さから、辺りのシャドウ達を見下ろす形になった。
「ちょっと逆さになるけど、暴れないでくれよ?」
「逆さ?」
「俺の見立てじゃ、あんたならなら上手いことバランス取れるはずだぜ?」
言うなり男が勢い良く体を振って、ぐるんっと天地が引っ繰り返った。私と一緒に抱え込むように構えたショットガンを地上へ向けながら、彼はニヤリと口の端を上げた。
「リーグナン・ショット!」
銃口が白く光り輝き、連続したいくつもの銃声が炸裂する。
雨のように降り注ぐ散弾に穿たれ、シャドウ達が次々とバラバラに吹き飛んでいった。
「どうだ、俺の必殺技!」
言いながら再度体を振って天地を元に戻した男に、私は手を離すように促した。
「まだ。……一体残ってる」
「え?」
「私がやる」
私は両手の短剣を振り上げ、着地と同時にシャドウの脳天へ叩き込んだ。落下の衝撃でシャドウの頭部が潰れ、噴き出した真っ黒な靄を浴びながら、私は小さく息を吐いた。今度こそ片付いたようだ。
「俺としたことが、可憐なお嬢さんに助けられたようだ。感謝するぜ」
「……私の方こそ、ありがとう」
「礼には及ばないよ。当然のことをしたまでさ」
彼は得意気な顔をしながら、金色の長髪を大仰な仕草でかき上げた。
……まだ名前も聞いていないのだが、何やら面倒臭そうな男だ。所作には気品のようなものが漂っていて育ちが良いことは伺えるのだが、その整った面立ちに浮かぶ自己愛の強そうな笑みから察するに、恐らく鏡が好きな男だろう。気取ったような長い金髪と自信満々な琥珀色の眼が、妙に腹立たしい。
「俺はロイヒテン・ケーラー。ロイって呼んでくれ」
「私はカナタ。あっちの彼女は――」
イチを振り返ると、彼女はニッコリ笑って右手をひらひらと振った。
「彼女はイチ・ドラールよ。……ねぇロイヒテン。私達、アイスビーツっていう村に行きたいんだけど、何か知らない?」
「アイスビーツ? 一体何しに? こんなだだっ広い草原を歩いているのなんて、俺くらいだと思ってたけど」
「ちょっとね。……ロイヒテンの方こそ、こんなだだっ広い草原で何してたの?」
「ん? この辺にいる黒兎の肉が大層美味なんだ。しかしどうにもシャドウしか見当たらないようだし、諦めようかと思っていたところだ」
ロイヒテンはそう言って肩を竦めると、「遠慮しないで気軽にロイって呼んでくれていいのに。恥ずかしいのか?」と付け足した。イチはそれをばっさり無視した。
「知ってるのか知らないのか、どっちなの?」
「……アイスビーツねぇ」
ロイヒテンは口元に手を当てて、首を傾げて見せた。その時不意にイチから私へ移された視線に、私は一瞬息を呑んだ。彼の双眸に浮かんだ光に、なぜか心の底を覗き込まれたような錯覚に陥ったのだ。
だが、その不思議な光はすぐに消え去って、ロイヒテンは首を横に振った。
「そんな村、この辺には無いよ。名前を聞いたことすら無い」
その白々しい答えに私は思わず目を見開いたが、イチは気にしていないようだった。
「そう。ありがとう」
「どういたしまして」
ロイヒテンはニッコリ笑うと、「じゃぁね、子猫ちゃん達」と気色悪い台詞を残して、私達が今まで来た方角へ去って行った。
「……。カナタ、私ちょっと頭が痛い」
「そうね、私も」
淡々と応じて、私は鼻を鳴らした。
「ロイヒテンだっけ? あいつ、絶対アイスビーツのこと知ってる」
「え、何で?」
怪訝そうに尋ねたイチ。私はロイヒテンが去って行った方向を睨み付けた。
「本当にそんな村が無いなら、それを伝える前に用事を訊いたりしないでしょ。何より、一瞬だけ探るような眼をしてた」
「ふーん」
イチは目を細めて頷き、ポケットから取り出したコンパスに視線を落とした。
「まぁいいや。あいつが隠し事をしてるってことは、あの噂は脈ありってことかも。行こう」
そうして私達は再び歩き始め――しかし歩けど歩けど、村らしきものはどこにも見えてこなかった。やがてイチが足を止めたので、私も立ち止まって軽く息を吐いた。
「おかしいな……。地図の縮尺じゃ、とっくに見つかっても良さそうな頃なのに」
既に日は傾き始めており、赤く燃えた空は夜の気配を見せ始めている。
「野営の準備でもする?」
イチの背に向かって尋ねたが、彼女の反応は無い。
「……イチ?」